ラングランより北上した海沿いにある港町。潮風が心地良く髪を撫で付ける町にマサキが足を踏み入れたのは、この町の自警団に書類を届けて欲しいと、軍部より依頼があったからだ。
地域によって規模は様々だが、場所によっては師団に匹敵する戦闘能力を持つ自警団は、ラングランに於いては軍の予備役の役割を果たしているのだという。いざとなれば戦場に駆り出されることとなる彼らの人数や年齢、性別を把握するのは、軍部からすれば必要な作業である。そこで年に一度、書類を使って自警団の構成員確認を行っているのだという。マサキが自警団の本部に届けたのは、その書類であるらしい。らしい、というのは軍部が依頼をしたのは情報局だったからだ。
魔力を持たないが故に、王位継承権争いに絡まない王族であるセニア。女傑と評される彼女を筆頭とする情報局は、一元化された国民の各種データの管理から諜報活動まで、幅広い職域を得ては日々の活動に余念がない。だからこそ、細々とした雑務や事務作業だけでもその作業量は軍部の比ではない筈なのだが、どうも他所の省庁からすると苦労を見せないセニアの性格もあってか。閑職に映るようだ。
――子供は親に甘えたがるのよ。
正魔装機の監督権をセニアが有していることもあって、軍事的な進行権を巡って衝突することも多々ある軍部と情報局。その当て付けだろう。こうして稀に、軍部は情報局に自分たちのて手に余る雑務を押し付けてきたものだった。それを“子供のすること”と評して許容するセニアの胆力。それは情報局の局員たちも彼女に忠誠を誓う筈である。お転婆王女だった時代の彼女を思い返しながら、あれから随分と年月が過ぎた。マサキは感慨に耽りながら、今しがた書類を届け終えたばかりの自警団の本部を後にした。
入り組んだ細い小路を吹き抜ける海からの風。迷ったらとにかく風を追って海に出なさい。方向音痴を案ずるマサキに先んじてセニアがレクチャーしてくれた言葉を反芻しながら、マサキは潮の匂いを過分に含んだ風を追いかけてゆく。
――偶にはひとりで羽根を伸ばすのも大事よ。
騒々しい仲間たちに囲まれて日々を送っているマサキに、余計な気を回してくれたらしい。セニアはそう云って、マサキにこの町の自警団当ての書類を渡してきた。
たった一通の書類。風の魔装機神の機動力であれば、何十倍もの書類を一日で届けることが出来る。それをこれだけで済ませるからには、何か裏があるのではないか――マサキがそうセニアに詰め寄ると、
――馬鹿ね、それじゃああなたの骨休みにならないじゃないの。
セニアはそう云ってマサキの懸念を笑い飛ばした。
どうかすると働き詰めになるマサキたち正魔装機の操者たち。気ままに日々を過ごしているように見えても、西へ東へ。要請があれば直ぐに出動し、事態の対応に当たる。生まれ育った世界の出自が地底人たちとは異なるからか。ひとつの任務を終えては、束の間の休息を、仲間たちで寄り集まって過ごすのが常だ。
そういったマサキたちのラ・ギアスでの生き方に、セニアは思うところがあるようだ。
――そんなに自分たちは、自分たちだけで生きているように見えるのだろうか。
白壁の背の低い建物が並ぶレンガ路。緩い下り坂になっている建物の隙間から海辺が覗いている。空の青と海の青。コントラストも美しい景観を眼前に、レンガを踏みしめるようにして、マサキは真っ直ぐ砂浜へと降りてゆく。
それなりの年数をラングランで生活しているマサキには、魔装機の面々以外の知り合いも数多い。
王都を守る騎士団の面々、任務をともにした兵士たち……行き付けの店の店主たちに、住居の近くに住む住人たち……日常的に顔を合わせている情報局の局員たち……世の中には奇特な人間もいるもので、住む世界が異なる貴族連中にも、マサキとの交際を望む者がいる。魔装機神の操者という立場上、普通の人間同士のような気さくな付き合いというのは難しい面もあったが、食事や酒をともにするなど、日々を満足して過ごせる程度の付き合いは出来ている。
心配性なんだよなあ。浜辺に降り立ったマサキは白い砂を踏みならしながら、波が打ち寄せる水際へと近付いて行った。そして少しの間、波と戯れた。独りは案外寂しいもんだぜ、セニア。いつの間にか仲間たちが側にいるのが当たり前の日常になってしまっていたマサキは、ひとりで波打ち際に立つ自身の姿にそう呟かずにいられなかった。
周囲を見渡せば、まばらながらもマサキと同じように、海を臨みに来たらしい人々の姿がある。リゾート地ではないからだろう。町の人間と思しき人々の姿も多い。午後の散歩に訪れたのだろう。ただ浜辺を歩くだけの人々も多い砂浜で、だからこそ、その子供の姿は異質に映ったのだ。
砂を掘り返している。
掘った砂で何かを作るつもりはないようだ。ただ穴を掘り続けている子供は、頭から被った麻の布を腰で留めているだけの、まるで一昔前の奴隷のような衣装を身に纏っている。この町の民族衣装か何かなのだろうか? 底の薄いサンダルといい、日差しの強い砂浜にいるには不釣り合いな格好だ。マサキは遠目に少年の姿を眺め続けた。
子供のすることだ。何か目的あってのことなのだろう。華奢な手足で良くやる……距離のある位置に立っているマサキからは、その顔立ちまでは窺えなかったが、体型から察するに少年のようだ。過去に大怪我でも負ったのだろうか。こぶし大の痕。二の腕に薄黒い痣のような何かが浮かんでいる。
――子供ってのは、やっちゃいけないって云われたこともやるからな……。
マサキの膝にある傷跡もそうだ。どこまでも登れるのが楽しくで続けてしまった木登り。気が付いたらビルの四階ぐらいの高さまで登ってしまっていた。恐る恐る下りてみたはいいものの、地面まで残り一メートルの所で落下。その際に木の幹でしこたま擦ってしまった膝。皮膚の再生が上手くいかなかったのだろう。そこだけ肌が盛り上がっている。
もしかするとそういったやんちゃな傷痕かも知れない。そんなことを考えながら、暫く。少年はそんなマサキの視線にも気付かぬ様子で、あちこちの砂を無心に掘り返している。
やがて、穴の中から何かを取り上げた少年が、宝物を発見したかのような無邪気な笑顔を浮かべた。砂の中に埋まっているものと云えば貝殻、或いは波に浚われる内に角が取れた石。ガラス玉なんてものもある。いずれにせよ、子供にとってはとてつもない宝物だ。自らの子供時代を振り返って、マサキはそう思った。
どうやら少年には連れがいるらしい。手にした何かを見せたいのだろう。父親だろうか? 母親だろうか? それともきょうだいだろうか……砂浜の奥へと駆けてゆく少年の背中を目線で追ったマサキは、その少年のゆく先に待っている長躯を目の当たりにした瞬間、驚きに声を上げてしまいそうになった。
何度目の偶然にも程がある。
子供に最も縁のなさそうな男、シュウ=シラカワ。彼は腿に抱き付くようにして、手に入れた何かを掲げて見せている少年からそれを受け取ると、満足気な笑みを浮かべてそうっと。まるで高価な宝石を仕舞い込むような仕草で、海風にひるがえる衣装の内ポケットにそれを収めた。
――気に入らない。
そもそも広大なラングランの領地で、それぞれ生活圏内が違う筈であるのに、何故こうも偶然に顔を合わせたものか。
いつもそうだ。城下に買い出しに出た時しかり、魔装機の面々とバカンスと洒落ん込んだ時しかり。今日に至っては、突発的な任務でこの地に赴いているのだ。それなのに、何故。
――それはもう、偶然じゃなくて必然って云うのよ。
いつか呆れた様子でミオが吐き出した台詞が脳裏を過ぎる。そんな筈があるかよ。マサキは久しぶりの邂逅を苦々しく感じながらも、このまま何もなかった風にこの場を去るのも癪に障ると、少年と何事か話をしているシュウの許へと歩んで行った。
よう、とマサキが声をかけるより先に、シュウはマサキの存在に気が付いていたようだ。奇遇ですね。マサキの挨拶にそう言葉を返したシュウの背後に、素早い動きで少年が姿を隠す。
「大丈夫ですよ。ナンバー13。彼はマサキ=アンドー。私の知り合いです」
どうやら少年は、人見知りが激しいタイプなようだ。シュウの衣装の裾を掴んだまま、おずおずと顔を覗かせてくる。怯えたような瞳。マサキを相当に警戒しているのが、その表情から伝わってくる。
それにしても――。マサキは少年の手足を見た。華奢だとは思ったが、間近にするとその頼りなさが良くわかる。歳の頃は10歳程。骨の浮き出た肉の少ない身体が彼の生育環境の過酷さを物語っている。
「どういう関係だよ。こんな痩せ細った身体にしやがって。それにその名前、ナンバー13って」
「ここから少し離れた山の中にあった孤児院で育った子供なのですよ」
「“あった”だと?」
シュウのことだ。今でもある孤児院であるならば、「ある」と現在進行形で答えただろう。それを過去形にした意味はひとつ。既にその孤児院は存在していないのだ。
それを確認すべく言葉を吐いたマサキを無視して、シュウはまだ身体の大半を自らの衣装に隠している少年に声をかけた。挨拶なさい、ナンバー13。けれども少年は、身体を露わにする気はないようだ。シュウの衣装の影からぺこりと頭を下げるのみ。まだマサキを警戒しているのだろう。仕方がない――。マサキは腰を落として少年と目線の高さを合わせてから、自己紹介を口にした。
「初めましてだな。俺の名前はマサキ=アンドー。地上人で風の魔装機神サイバスターの操者だ」
「はじめまして……」
変声期前の高めのエンジェルボイス。自己紹介を受けたことで少しは警戒心を解いたようだ。衣装からシュウの手へと。掴む先を変えた少年は、それを頼りとしているかのような様子で、一歩前に進み出てきた。
「質の良くない孤児院でしてね」
シュウの視線が少年に注がれる。マサキもまた少年を見詰めた。足から腰、腕。どこも吹けば折れそうなまでに細い。その二の腕、痣のようなものだと思っていた痕が、焼きごてか何かで刻まれた烙印であるらしいことに気付いたマサキは、そこに沈着している図柄を目にしてぞっとした。二匹の蛇が絡み合いながら、禍々しい悪魔のようなシルエットを囲んでいる。
「ひとつの部屋に六人から八人ほどの子供たちを詰め込んで、食事も碌に与えずに、朝から晩まで奉仕活動と云う名の作業をさせるだけ。運動すらまともにさせてもらえない環境だったようですよ」
「じゃあ、ナンバー13っていうのは」
「子供たちは名前を持っていなかったようですね。この子も番号を自分の名前だと思っています」
「この烙印もその孤児院で?」
「そのようですよ」
マサキの胸に表現し難い感情が湧き上がってくる。怒りなのか悲しみなのかわからない、けれども熱く身体を滾らせるそれは、マサキの瞳を滲ませるまでに激しく。
ごめんな、気付いてやれなくて。少年に向けて言葉を絞り出すと同時に、マサキの目から涙が溢れ出てきた。それをきょとんとした表情で、少年が眺めている。自分の為に涙を流しているとは思わないのだろう。もしかすると、過酷な環境で生きてきた少年の心は、取り返しの付かない程に死んでしまっているのかも知れない。
「本当でしたら子供たち全員を保護したかったのですが、こちらの動きを悟られてしまったようです。私が辿り着いた時には既に孤児院はもぬけの殻でした。唯一、箪笥の中に隠れていたこの子を除いて」
「そっか。頑張ったんだな、お前」
マサキはジャケットの袖で涙を拭い、少年に笑いかけた。髪を撫でてやりたくもあったが、警戒心の強さの理由を知ってしまった今となっては、迂闊に触れることが、この少年に不安を感じさせる行為にしかならないことがわかる。それでも、少年は少年なりにマサキに馴染もうとしているようだ。マサキの笑みに、ぎこちなくも笑みを返してきた。
良く出来ましたね。少年が掴んでいるシュウの手が、優しくその手を握る。
「物心付いた時から孤児院にいたようで、一般常識に疎い面があります。魔装機神はわかりますか、ナンバー13」
少しばかり寂し気な表情で、少年が首を横に振る。
「この通りですよ。かなり情報が制限されていたようですね」
成程。マサキは納得した。シュウがマサキを知り合いだと少年に紹介したのは、魔装機神が何かをこの少年が知らないからなのだ。マサキは立ち上がった。バカンスは終わりだ。セニアにこの情報を伝えなければ。
そのマサキの耳元に口を寄せて、シュウが耳打ちしてくる。恐らくは教団の管理下にあった孤児院です。眉を顰めたマサキに、シュウは更にこう続けた。儀式の生贄を育てる為の。
ナンバー13と呼ばれる少年を不安にさせたくないのだろう。わかった。マサキは頷いて、
「ところでそいつはどうするんだ? 子育てなんてガラじゃねえだろ」
「然るべき施設に預けますよ。実績のある慈善団体が運営している施設にね」
「それならいい」マサキは今一度、シュウの手を強く握り締めている少年を見た。
少年にとって、孤児院の外の世界に連れ出してくれたシュウは、きっと人生で初めての頼れる大人なのだろう。その判断は間違っていない。子供は大人の本質を見抜く目を持っているのだ。
謎めいた行動が冷酷に映すこともある男だが、シュウはこれで案外情の厚い男でもある。手元に置かずとも、最後まで面倒を見きるに違いない。ならばマサキは、自分にしか出来ないことをやるまでだ。
「それじゃあ、俺は行くぜ。やらなきゃいけないことが出来ちまったしな」
「セニアに宜しく伝えてください」
「わかってるよ。孤児院のこともな」
そうしてふたりに背を向けたマサキは、バカンスなんてするもんじゃねえな。そう呟きながらも、瞳に力を漲らせて。砂浜を町に向けて上ってゆく。