片目だけの世界

「そういった状態でも、サイバスターを乗り回すあなたの神経の太さには敬服しますよ」
 恐らくは感心半分、呆れ半分であるのだろう。操縦席に収まったマサキの背後に立っているシュウがしみじみと口にした。
「手足が動かないって訳じゃねえしな」
 答えたマサキは、狭くなった視界に二度瞬いた。
 左目には眼帯。ものもらいだそうだ。
 心当たりはなくもない。マサキはセットアップに励んでいる二匹の使い魔をちらと見た。魔法生物である彼らの衛生状態にマサキは気を遣ったことはなかったが、何せ猫の姿である。時にはダニやノミに食われることもあるようだ。
 故に、ものもらいである。
 主人のサポートをするのが務めである彼らは、マサキの許を滅多なことでは離れたりしない。四六時中、傍にいるのが当たり前な使い魔――そう考えてみると、今まで無事で済んでいたことの方が不思議であるのかも知れない。
「手足が動かなくとも、片目は見えていないのでしょうに」
「その相手に送迎役を頼んでるのは、お前なんだがな」
「私はあなたの能力を信用していますので」
 引く気のないシュウの台詞に溜息を吐きつつ、マサキはサイバスターを発進させた。
 起きたら盛大に腫れていた瞼に、流石に病院だろうと王都に向かい眼科にかかった。病院を出て数十メートル。どういった用件で王都に足を踏み入れていたのかは不明だが、背後からマサキを呼び止めてきたシュウに嫌な予感が全身を駆け巡った。
 案の定、家の近くまで送れときたものだ。
 ひと目でそれと知れる眼帯を目にしても怯むことのないシュウに、巫山戯ていやがるとマサキは思うが、元々が遠慮を知らない男でもある。マサキの都合よりも自分の都合。そういった考えであるらしい彼に、自らの要求を収めろという方が難しいのかも知れない。そんなことを考えながら平原を駆け抜けつつ、時折、すかした男の様子を盗み見る。
「ところで、お前は何の用で王都に来てたんだよ」
「ちょっとした調査で、ですよ」
「その調査の中身が肝心なんだが」
「あなた方に迷惑は掛けませんよ」
「どうだか」マサキは鼻を鳴らした。
 どうもこの桁外れな能力に恵まれた男は、その能力を過信しているきらいがある。少数精鋭と云えば聞こえがいいが、片手に満たない程度の仲間とでどれほどのことが出来たものか。仲間を信頼しているのは結構だが、その所為で手に余ることに手を出しては窮状に陥ることも珍しくない。
 ――次はどこで顔を合わせることになることやら。
 口には出さず胸の内で言葉を刻んで、マサキは正面モニターに映し出されているラングランの景色を眺めた。
 片目が塞がっているからだろう。せせこましくも感じられる世界。色鮮やかな草の海も、頭上に広がる澄み渡る空も、今日に限ってはどうにも味気ない。あーあ。遣る瀬無い思いのままに言葉を吐く。
「さっさと治って欲しいもんだぜ」
「医者は何と?」
「ものもらいだってよ。世界が狭くて仕方がねえ」
「危険な病気でなくて幸いでしたよ」ふと口元を緩ませたシュウが、「暫くは我慢をするのですね」
「我慢って云ってもな。片目が不自由じゃ出来ることも限られるだろ」
「サイバスターの操縦をしている人が良く云いますね」
「まあ、そうなんだけどよ……」
 酷く懐かしい感触が、マサキの手足に蘇る。サイバスターに初めて乗ったあの日。操縦席に座った瞬間、その動かし方が頭の中に流れ込んできた。それは初めての経験でありながら、十年ぶりに知人に会ったような懐かしさをマサキに感じさせたものだった。
 今の自分の状態はそれにも似ている……視界を半分塞がれているのにも関わらず、不自由を感じずに動かせる手足。そしてその動きに細やかに応じてみせるサイバスター……マサキは自動操縦に切り替えると、サイバスターの制御コントロールを二匹の使い魔に任せた。そうして、眼前に広がるせせこましくも美しい景色を堪能した。
 眼下に広がる一面の草原。西に森、東に湖。そして雲間に点々と覗く街。どれも高い位置にある操縦席にいるからこそ臨める景色ばかりだ。
 この景色を見たいが為に、マサキはサイバスターを操縦していると云っても過言ではない。
 ふと、背後から伸びてきた手がマサキの右目を覆った。ひんやりとした温もり。マサキ――と、暗がりに包まれた世界にマサキの名を呼ぶシュウの声が響く。
「妬ましいぐらいに幸せそうな表情をしている」
「俺が?」
「片目が見えないことぐらい、あなたには砂ほどの障害にも為り得ないのでしょうね」
 それはどちらに対する嫉妬であるのだろう。マサキはシュウの胸中を思った。
 サイバスターとマサキ。マサキとシュウ。そして、サイバスターとシュウ。サイバスターと浅からぬ因縁があるらしいシュウは、マサキの大事な相棒パートナーに複雑な感情を抱いているようだ。それはもしかすると、マサキに対する感情以上に強いものであるのかも知れない。
「だからあなたの目を塞ぎたくなるのですよ、マサキ。どうです。世界が見えなくなった感想は」
「風を感じるな」マサキは答えた。
 隔壁に守られている操縦席に、サイバスターが受けている風が届くことはない。それでも、肌に感じる風。マサキの脳裏には、先程までの景色に限らず、これまでサイバスターと駆け回った世界の景色が次々と浮かんできていた。
「本当に、妬ましい」
 すっと離れれた手が、次いでマサキの顎にかかった。
 そのまま、やんわりと顔を仰がせてくるシュウにマサキは静かに目を伏せて――重ね合わせられた彼の口唇を味わった。