(一)
「わあ。マサキ、何その荷物の量」
抱えた段ボールやら紙袋やらで前が見えなくなりながら、街を抜けるべく歩いていたマサキは、不意にかけられた声に助かったと胸の内で快哉を挙げた。
「何って、サイバスターに積んでおく非常用の食料に決まってるだろ。定期的に補充しておかないと、いざって時に食料に不自由することになるからな」
「そんなに、いる? あたしもザムジードに積んではいるけど、必要最低限だよ? 非常食ってそういうもんでしょ。それじゃまるでキャンプにでも行くみたい。マサキそんなに大食漢だったっけ?」
「いいから持つのを手伝え」
「え、やだ」
マサキは即座に手にしていた荷物を地面に下ろした。そして間髪入れずに、今まさに逃げ出そうとしているミオの首根っこを引っ掴んだ。
「やだやだやだー! 何であたしが! 声をかけただけじゃないのよ!」
ばたばたと手足を動かしているミオに周囲を行き交う民衆の視線が突き刺さるが、今更その程度のことを気にしていはミオはおろか誰とも付き合えない。襟首を掴んでいる手により力を込めたマサキは、ミオの身体を引き寄せるとその耳元で声を発した。
「お前がこの間云ってた苺パフェ」
ぴくりとミオの耳が動いた――気がした。
「手伝ってくれたら奢ってやろうと思ってたんだがな」
ぴくぴくぴく。前後に揺れるミオの耳はまるで兎のようだ。
――いつ見ても不思議な動きをしやがる。
マサキはそうっと襟を掴んでいた手を離した。ミオが苺パフェに心を惹かれているのは間違いない。マサキは駄目押しとばかりに言葉を継いだ。
「まあ、お前がどうしても嫌って云うなら仕方ねえ。俺の荷物だしな。ひとりで運ぶ」
「やっだあ、マサキ! そういうことは先に云ってよ!」
自らの懐を痛めるのは嫌なようだ。瞳の中にハートマークを浮かべながら、腰をくねらせつつ、しなだれかかってきたミオをマサキは両手で押し退けた。
苺パフェなど幾らでも食べられるぐらいに懸賞金を稼いでいるミオ。彼女は派手な生活とは縁遠かった。それもその筈。魔装機操者たちは自機のメンテナンス代を自分たちで負担していた。財布の紐を解くのを渋るのも無理はない。
とはいえ――たかが苺パフェである。大して値が張るものでもなし。現金にも限度があったものだ。
「ホント、現金な奴だな」マサキは足元に目を落とした。
段ボール箱に紙袋、そしてビニール袋がふたつ。どれを持たせるか。マサキはミオに持たせる分を見繕った。段ボール箱には飲料水が、紙袋の中にはレトルトパウチがぎっしり詰まっている。
どちらもかなりの重量だ。腕自慢の少女とは云え、あまりにも重い物を持たせるのは躊躇われる。マサキはビニール袋を取り上げて重さを確かめた。このぐらいならば持たせてもいいだろう。
「ほら、持てよ。片方はともかく、もう片方はちょっと重いぞ」
マサキはミオにビニール袋を突き出した。片方には菓子類が、もう片方にはレトルトのライスが山と詰め込まれている。
「すっごい量。こんなにあっても食べきれなくない?」
マサキからビニール袋を受け取ったミオが早速と中身を覗き込む。怪訝そうな表情。確かに非常食にしては非現実的な量ではある。
「それがなくなるんだな」
「何で? 最近あたしたち別に遠征とかしてないよ?」
マサキは段ボール箱と紙袋を抱え上げた。重いは重いが、先程までと比べれば随分軽くなった。
「煩えな。迷うんだよ、俺は」
「あー……!」
ミオが合点がいったといった様子で両手を打つ。
「マサキの姿が見えなかったら、絶対何処かで迷ってるもんねえ。でもあれは酷かったわ」
「俺も流石にこの間のは死んだと思った」
遡ること、つい三日ほど前のことだ。
それまでの放浪生活で、既に非常食は大分量を減らしてしまっていた。そろそろ補充をしなければ。そう思って王都に向かうことにしたマサキは、そこで運悪く――しかし半ば運命的にお決まりの能力を発動させてしまった。
極度の方向音痴。
西に向かえば南にいる。南に向かえば北西にいる。ここまで思い通りに進めないとなると、欠点というより特技である。
結果、そこから彷徨うこと二日。行けども行けども王都に辿り着けないばかりか、迷い込んだ山岳地帯でぐるぐると回り続ける始末。ラングラン北西から出られなくなったマサキは、その間に非常食を全て食べ尽くしてしまった。
幸い、偶然に通りかかったシュウが道案内をしてくれたお陰で家に帰り着けたのだが、これまでの最長記録を優に超える迷いっぷりに、マサキの仲間たちが盛大に呆れ返ったのは云うまでもなく。
「もうさー、ひとりで出歩くの止めたら?」
「巫山戯ろよ。俺の年齢を幾つだと思ってるんだお前は。ラ・ギアス年齢でとっくに成人を超えてるんだぞ。いい大人が付き添いがなきゃ何処にも行けないって情けないにも限度があるだろ」
どうかすると行方不明になるマサキは、他の仲間と比べても非常食の世話になる機会が多かった。通り一遍の量では直ぐに備蓄が尽きる。だからマサキは、これまでの経験を踏まえた上で、二度と方向音痴で命の危機を迎えないようにと、一ヶ月はもつぐらいに大量に非常食を買い込んだのだ。
――これでちょっとやそっとでは食料が尽きるような事態には陥らない筈だ。
けれども、マサキの方向音痴の度合いを知っているミオとしては、この程度の備えでは不安であるのだろう。
「命とプライド、どっちが大事かって話よね」
「その二択だったらプライドに決まってるだろ」
「マサキ、長生き出来ないよ」
「戦士には守らなきゃならねえモンがあるってな。ほら、行くぞ」
マサキはミオの前を歩き始めた。情報局の格納庫に停めてあるサイバスターまでは、まだまだ距離がある。「方向音痴と戦士のプライドってまるで関係なくない?」死ぬほど不信に満ちた声が背後から聞こえてくるが、これを終わらせないことには何処にも行けない。マサキはさっくりとミオの言葉を無視することにした。
(二)
「あー、重かった!」
手にした荷物をサイバスターに積み込んだミオは、筋の張った腕をぐるぐると回した。菓子類はまだしも、かさばるレトルトライスはかなりの重さで、何度も持ち直してようやくここまで来れたぐらいだった。
「不摂生が祟ってんじゃねえの?」
飲料水入りの段ボール箱と、レトルトパウチを山程詰め込んだ紙袋。それをいっしょくたにして持ち運んだマサキが涼しい顔でそう云うが、日頃の戦い方が異なる相手に云われたくはない。
マサキが所有している剣の重量は3キロほど。つまり成猫一匹と同じくらいの重さになる。それをほぼ毎日のように、トレーニングで振り回しているのだ。それは腕の筋肉も付くに決まっている。
「そりゃあマサキにとっては軽いでしょうよ」
柔よく剛を制すのミオとは異なる戦い方。力こそパワーなマサキの戦いぶりを見ていると、剣で斬るというよりは、剣で叩き潰していると例えた方が正しいのではないだろうか。理不尽だわ。まるでミオまでもがその仲間であると云わんばかりのマサキの台詞に、ミオは頬を膨らませた。
「ところで例の苺パフェは何処にあるんだよ。上腕ぐらいの高さがあるとか云ってたが」
「ふっふーん。マサキと違ってあたしは道に迷わないからね! ほら、こっちよ!」
ミオはマサキの腕を取った。
壊滅的な方向感覚の持ち主であるマサキはとんでもない所に迷い込むのが常だ。数日前の山での出来事のように、ひとりで出歩いた挙句の遭難劇も勿論だが、皆で並んで歩いていた次の瞬間に行方不明になっていることも珍しくない。
先程までもそうだった。幾度も通った筈の情報局への道である筈なのに、何故そっちの道が正しいと思えるのかという方向へと自信満々に進んでゆく。ミオは何度、マサキに道が違っていると云ったことか!
「何だよ、お前。俺、そこまでしないと迷うように見えるのかよ」
「当たり前でしょ? 何云ってんの?」
格納庫を後にして賑やかな街中へと、ミオはマサキの腕を取って歩いていった。
件のパフェが置いてある店までは、ここから10分ほどかかる。たったそれだけの道のりでも迷ってしまえるのがマサキ=アンドーという稀代の方向音痴の匠の技だ。
ミオは強くマサキの腕を引いた。待ちに待ったパフェがやっと、しかも他人の奢りで食べられるというのに、そこまでの道のりで資金源であるマサキとはぐれてしまっては笑い話にもならない。
「テュッティから聞いてずっと食べたいって思ってたの! 絶対に奢ってもらうからね、マサキ!」
「いや、云ったからには奢るけどよ……」
「ほらあ、行くよ! たらたら歩かない!」
ミオはマサキの腕に自分の腕を通した。誤解を受けそうな見た目ではあるが、これもマサキを逃がさない為だ。どう足掻いても迷うマサキには、このぐらいの扱いが丁度いい。ミオはぐいぐいとマサキを引っ張って行った。
目指すは苺パフェ。
生クリームとカスタードクリーム、おまけにアイスも付いてくる。間にスポンジやコーンフレーク、パンナコッタもサンドされている。使われる苺の個数はなんと20個。あまりの大きさに個数限定でありながら、全てが掃けることは滅多にない。
ミオがそう話をするとマサキは目を丸くして、「お前、それ食い切れるのか?」と、尤もな台詞を吐いてきた。
「だからマサキを連れて行くんでしょ! あたしが駄目だったらよろしくね!」
「あー、だから奢ってもらえるのを待ってたんだな、お前」
「にひひ。その通り! 食べきれないかも知れないものにお金を出すほど馬鹿じゃないのよ、あたし」
ミオは更に先を行った。大通りをまっすぐ歩き、四つ角を東へ。マサキと会話をしながら道なりに進んで、暫くして左に折れる。
「おや、これは……」
聞き慣れた声。角を曲がり切った瞬間に目の前に飛び込んできた白衣の長躯。顔を見ずとも判別が付く人物の突然の登場に、ミオは思いがけず悲鳴を上げてしまいそうになった。
「何でてめえとここで顔を合わせるかな」
「まるで私が出歩いているのが間違いのような言葉を吐きますね」
気障ったらしささえ窺わせる取り澄ました表情は今日も健在だ。ふわりと揺れた彼の前髪にミオは瞼を落とした。
シュウ=シラカワ。この広大なラングランの土地で何故が偶然に顔を合わせてばかりの相手は、今日も今日とて何を考えているのか読み取れない薄い笑みを浮かべている。
彼が何処を拠点に活動しているのかミオは知らなかったが、こうも頻繁に顔を合わせてしまうとなると活動範囲が被っているとしか考えられない。指名手配犯がいい度胸だ。
「運命にも限度があるっしょ」
半目で彼の顔を窺ったミオは、次いで隣のマサキの顔を見上げて云った。
「またお前はそういう……」
「だっておかしいでしょ、この偶然。何でこうもあたしたち顔を合わせるのよ。それもこれもマサキの所為なんじゃない? だってこの間だって山の中でシュウに助けてもらったんでしょ。ちょっと頻繁過ぎよね」
「まあ、それにはちょっと思うところもある」
「でっしょー? だから」
と、そこまでミオが口にしたところで、クックとシュウが嗤い声を上げた。
「あれは偶々レーダーに反応があったから駆け付けただけのことですよ」
「それが偶然にしては出来過ぎてるって云ってるんだけど」
「では、あなたは偶然出なければ何だと?」
「え? そりゃやっぱり赤い糸」
そこでシュウの視線が動いた。彼はマサキの腕に絡んでいるミオの腕に視線を注いでくると、どうやら何か思い含むところが出来たようだ。「デートのお邪魔をするつもりはありませんよ」と、和やかに言葉を継ぐとミオの横を擦り抜けようとする。
「ちょっと待った!」
ミオはシュウの腕を掴んだ。
陽に透けると淡く輝く紫水晶の瞳が、昏い影を落としている。その口元に先程までの笑みはもう見られない。
他人と向き合っている時は、それなりに表情を取り繕ってみせる男は、一歩その場を離れると冷ややかな表情を露わにしてみせるのだ。あーのーねー。ミオはマサキから腕を離してシュウに向き直った。
「ホント、そういうの良くない」
(三)
彼女の台詞にシュウは微笑った。
そもそもこれ見よがしにマサキと腕を組んで歩いていたのはミオの側だ。それを良くないと云われても、シュウとしては見たままに対する当然の感想を吐いただけである。だのに彼女は憤慨してみせた。シュウの反応が間違っていないにも関わらず。
実に面白い。
マサキの周りにはシュウの興味を喚起する標本に溢れている。感情豊かな地上人たち。それはラ・ギアス人がとうに失ってしまった人間性の表れだ。
だからシュウは彼らから目を離せない。ミオの言葉に足を止めてしまったのも、彼女が次にどういった反応をみせるのかを見たくなってしまったからだ。
「何が良くないというのです」
「良くないでしょ。ハラスメントだよ、それ」
ハラスメント。と、思いがけないミオの指摘に、シュウは口の中でその言葉を繰り返した。
決して嫌がらせのつもりで吐いた言葉ではなかった。むしろマサキ=アンドーという人間の人となりを知っていれば、彼に好意を寄せる女性が多かろうと、それは当然のことと認められるようになる。
それだけ彼の精神は逞しく、雄々しく、そして気高い。
それはまさしく彼が乗機する風の魔装機神の在り方そのままだ。ありきたりな、しかし数多くの偉人たちが叶えられなかった理想の達成に、純情にも己を賭して挑む彼。それにどうして惹かれずにいられようか!
輝けるラングランの旗印はサイバスターだけに限らない。剣聖ランドール。英雄に祀り上げられた彼は、その立場に相応しい魂を磨き上げている。
「しかしあなたがマサキと腕を組んで歩いていたのは事実でしょう」
「だからって直ぐにデートだって結び付けるの良くない!」
「しかしですよ、ミオ。一般的にはそれをデートと云うのではありませんか」
「しかしももしももないの!」
云うなりに目の前に指を突き出してきたミオに、シュウは腰を引いた。
彼らの言葉はいつも感情的で直感的だ。何を云いたいのかが焦点が判然としない。だが、その中に時として金塊以上の真理が潜んでいたりするのであるから侮れない。
聞き逃せば損をするのはシュウの側でもあるのだろう。仕様のないことだ。シュウは続くミオの言葉を待つことにした。
「ねえ、シュウ。シュウってマサキの恋愛に絡む話になるとおかしくない?」
「おかしい――とは?」
「だってそうでしょ。他の話になるとちゃんと相手を気遣った言葉が吐けるのに、何でかそれだけマサキの気持ちなんてどうでもいいみたいな言葉を押し付けていくじゃない。それって何? そんなにマサキに彼女が出来るのが怖いの?」
怖い? シュウはミオの指摘の意味を即時にして悟った。そして激しく動揺した。
シュウはマサキがいずれ真っ当な家庭を築いていくものだと思い込んでいた。その相手が誰であるかはどうでもよかった。救世の英雄に相応しい女性であれば誰でも。
彼には輝ける栄光こそが相応しい。
だからシュウは折に触れて、マサキに誰を選ぶのかとせっつくような真似をしてしまっていた。
それをミオは、シュウの恐怖心からくるものであると指摘してきた。それは、彼女の目にはシュウがマサキに好意を抱いている風に映っているということだ。
それ自体はまだいい。事実であるのだから。
けれども、恐怖心とは。これまで受けたことのない指摘に、面白い。腑に落ちてしまったシュウは、自身の胸の内を振り返った。そして思った。そうだ。私は、前もって覚悟を決めておくことで、やがて訪れ来る未来に対する感情の揺れを少なく済ませようとしている。
シュウは先んじて未来を予測してしまう癖があった。その方が予め心構えがしておける。対処策も講じることが出来るだろう。だからこそシュウは、滅多なことでは心を揺り動かされることがない。
確かに。シュウはミオに頷きかけて、その言葉を喉奥に飲み込んだ。
努めて他人に対して平等であろうとしているシュウは、マサキに対してだけはそうでいられなくなる自分を知っている。その現実を、シュウはミオによって改めて掘り起こされた気がした。
きっと、それこそが恋だとミオは云うつもりであるのだろう。シュウは黙ってミオの深き藍色の瞳を凝っと見詰めた。迷いを知らない瞳。マサキの周りに集まる仲間は、皆が似たような力強い眼差しをしている。
「ってコトで、あとは二人で話をしてねっ! あたしはひとりで苺パフェ食べてくるからっ!」
「あ、おい。ミオ!」
それまでひとり、シュウとミオの会話に取り残された様子でいたマサキが、弾かれたように声を上げる。
だが、ミオは振り返ることなくそのまま雑踏へと姿を消してゆく。困った女性だ。小さく溜息を吐いたシュウは、所在なげに立ち尽くしているマサキを振り返った。
「どういう話なんだよ、今のは」
「あなたを私が気に入っているという話ですよ」
「はあ?」意味がわからないといった顔のマサキに、「取り敢えず、そこの店でお茶でもしませんか」彼女の気遣いを無駄にするのもと、シュウは近場の喫茶店を手で指し示しながら誘いの言葉を投げかけた。