「どうせ私は妙齢を超えても独り身よ」
小気味よい音を立てつつテーブルに置かれたグラス。五杯目のカクテル――オレンジフィズを一気に飲み干したテュッティの呂律が回らなくなり始めた台詞を耳にして、ようやくシュウは自分が厄介な状況に置かれていることを察するに至った。
「……私はそういったことは云っていませんが」
「云っていなくともわかるの」
半目がちな瞳が下からシュウを睨み上げている。
尻上がりの柳眉に、への字に結ばれた口唇。麗しき水の魔装機神操者のイメージが台無しだとは流石にシュウは口にはしなかったが、日頃の穏やかで慎ましい淑女はどこにいったのかと目を剥くぐらいには彼女の言葉には棘がある。
「あまりいいお酒ではなかったようですね。そろそろお開きにしましょう、テュッティ」
「あら、あなたお酒に強いと聞いているのだけど、それは嘘だったのかしら」
うっすらと上気した頬。姿勢を保てなくなっているのだろう。テーブルに肘を付いてあのねと空になったグラスを回すテュッティは、どう安く見積もっても酔っていた。
「私がどうといった話ではなく、あなたが危ないという話ですよ」
悪い酒なのは明白だった。だからこそシュウはやんわりとテュッティを窘めたのだが、彼女は既にそういった言葉を受け入れる余裕を失くしてしまった後だったようだ。いいじゃないの。と、メニューブックを取り上げたテュッティが、さあ飲めとばかりにそれをシュウに差し出してくる。
「ここからが本題なのよ。まさか、あなた私の話も聞かずに帰ろうなんて思ってないわよね」
「いえ、ですから、その状態であなたがまともな話が出来るとは思えないと」
「いいから聞きなさーい」
メニューブックを放り投げた手。それがすっとシュウの眼前に伸びてきたかと思うと、シュウの耳朶を抓んだ。
おかしい。シュウは混乱した。
冷静な酒だと聞いていたのだ。
ゆったりと杯を傾け、ゆったりと会話を愉しむ……蟒蛇のように酒を煽る魔装機操者の酒席は、マサキ曰く、最終的にぐだつくのが当たり前らしかったが、その後始末を涼しい顔をしてやってのけるぐらいに、テュッティの飲み方は常識的なのだと。
それが他の魔装機の面々であれば、シュウとて担がれたのだろうと思うところたが、嘘を吐けば顔に出るマサキの言葉である。しかも何気ない日常会話のついでに聞いた情報。人の悪さに自覚があるシュウ自身でもあるまいし、そこにわざわざ嘘を仕込むような真似をマサキはすまい。
だのに、何故。テーブルの一部を占拠するメニューブックを元の位置に戻しながら、シュウは自分がこうしてテュッティと酒席を持つに至った経緯を思い返していた。このまま情報局に寄ると云っていたマサキと別れた直後、待ち構えていたように姿を現したテュッティ。ちょっと付き合わないと連れて来られたバーには、それなりの意味があるのだろうとは思っていた。
「あのね、私、もうずっと独りなのよ」
だからこそ、何か云われるにしても、それはマサキとの関係についてだろうとシュウは思い込んでいた。
その出鼻を挫く台詞の数々。よもやこういった展開を迎えようとは、さしものシュウも予想だにしていなかった。こうなると表情を取り繕うのが精一杯だ。困惑しきりなシュウは、どう足掻いても取り繕えないテュッティの言葉に、自らの正直な気持ちを吐き出した。
「反応に困ることを会話の糸口に使わないでいただけませんか」
「それなのにマサキったら」
どうやらシュウの言葉を聞く気はないようだ。知ってる? あの子ったらね……と、続く彼女の打ち明け話から察するに、シュウと会う日のマサキは態度でそれと知れるらしかった。
「浮かれちゃって、もう。当てられっぱなしよ」
と、口唇を尖らせるテュッティに、そうですかとシュウはまだボトルに量を残しているワインを飲んだ。
「それで、あなたはそういったマサキの態度に寂しさを感じると」
「そりゃあそうよね。私だって、いい人がいれば身を固めたい気持ちはあるのよ。なのに!」
弟のように思ってきた存在が手を離れることに対する寂しかと思えばこの台詞。訳がわからない。理屈を飛び越えたテュッティの台詞に困窮したシュウは、グラスで口元を覆い隠すと、テュッティに気取られないようにひっそりと溜息を吐いた。
思考のトレースが追い付かない辺りは、流石の魔装機神操者。
とはいえ、悲恋に心を裂かれた過去を持つ彼女が、恋愛に前向きになっていることは素直に評価すべきだ……そう思ったシュウは、そこから延々と終わりなく続くテュッティの愚痴を肴に酒を味わうこととした。