マサキ=アンドーは困っていた。
しとしとと雨が降りしきるラングラン州の街での出来事だった。どうしても料理に使いたい食材であるらしい。ハーブを買ってくるようプレシアに頼まれたマサキは、雨の日に遠出もないと近場の街に買い物に出ていた。
目当てのハーブは直ぐに見付かった。
迷うこともなく市場に辿り着いたマサキにシロとクロは驚いていたが、三度に一度はこういったこともある。ハーブの入った小さな紙袋を手に傘を差して街を往くマサキは、だから恐らくは帰路も順調にゆくだろうと安易に考えていた。
「戦士さま! 早くしないと猫が溺れちゃうよ!」
帰りがけに雨合羽を着た子どもたちが集っているアパートメントの前を通りかかるまでは。
みゃあみゃあとか細い鳴き声が聞こえてくるものの、子どもたちの近くに猫の姿はない。おかしいな。マサキは首を傾げた。鳴き声は近い。だのに姿がない。どういうことだと周囲を見回していると、子どもたちの中のひとりがマサキに気付いたようだ。
――戦士さまだ!
後は怒涛の勢いだった。六人の子どもたちに囲まれたマサキは、助けてと口々に迫ってくる彼らに困惑しながらも、その尋常ではない様子に取り敢えず話を聞いてみることにした。
――あのね、あのね、そこの側溝にね、子猫が入り込んじゃったの!
なんだって? マサキは声を上げた。
生活用水や雨水が流れ出る排水溝は、身体を収めるのに程良い環境だからか。良く猫が入り込むのを見掛けてはいたが、それは天気が良い日の話だ。今日のように大量の水が流れ込むような日に入り込んでいい場所ではない。
マサキは急ぎ排水溝脇に立ち、子どもたちの指し示した場所を見た。側溝に蓋をするコンクリートブロック。そこに小さく開いている穴の奥から、確かにみゃあみゃあと、助けを求めるように鳴く子猫の声が聞こえてくる。
弾丸のように注ぐ雨ではなかったものの、まとまればそれなりの量になる。アパートメントの雨どいから流れ出る雨水の量に目を遣ったマサキは、ちょっと持ってろ。と、子どもたちに傘とハーブ入りの紙袋を渡した。そしてグローブを外し、指先を側溝の穴に突っ込んだ。
戦士として定期的にトレーニングを行っているマサキは、自身の筋力に自信があった。排水溝の蓋程度であれば直ぐに空けられることだろう――ところがこれがびくともしない。うんうん云いながら持ち上げてみるも、微かに動く気配さえないのだ。
長年蓋をされ続けたことで、土埃で隙間が埋まってしまったのだろうか?
マサキはもう片方の手を使うことにした。両手の指を穴に突っ込む。これでどうだ。そう思いながら両脚を踏ん張るも、やはり――というべきか、排水溝の蓋が開く気配はない。
「マジか……」マサキは天を仰いだ。
雨が止めばいずれどこからか出てゆくことだろうと思い切れるが、厚く天を覆った雨雲は直ぐには晴れなさそうだ。みゃあ、みゃあ。か細い声に心が騒ぐ。水位が上がってしまっては、子猫のこと。排水によって奥に流されてしまいかねない。
――なら、開くまでやってやる。
マサキは再び両手の指を穴に突っ込んだ。ざらりとしたコンクリートブロックの感触と、せせこましい穴の圧迫感で指に痛みが走る。だが、泣き言を云っているような猶予はない。持てる力を振り絞って、開けと念じながらブロックを引っ張る。
「何をしているのですか、あなたは」
天の助けが現れたのは次の瞬間。顔を見ずともわかる声の主に、今は助けを求める相手を選んでいる場合ではないと、マサキは思いっきり声を上げた。
「見りゃわかんだろ! 子猫がこの中にいるんだよ! 手伝え!」
「なら、先ずはそこをどきなさい」
続けて降ってきた冷徹な声に、マサキは身体を退けた。するりと子どもたちを掻き分けて入り込んできた長躯が、迷いを一切見せぬ仕草で排水溝前に屈むと傘を道の上に置いた。
「何をする気なんだ」
「開けられないのであれば、壊せばいいのですよ」
中の様子を探っているようだ。鳴き声の位置を確認したシュウが、子猫がいるだろうブロックの隣のコンクリートブロックに手を押し当てる。聞き慣れない発音。短く呪文を吐いたシュウの手元のブロックに罅が入る。
「おい、あんまり手荒な真似は」
「大丈夫ですよ。このぐらい罅が入れば開くでしょう」
細い穴に吸い込まれた白い指が動くのと同時に、半壊したコンクリートブロックが持ち上がった。
開いた穴にシュウが手を突っ込む。みゃあ、みゃあ。どうやら逃げずにいたようだ。彼の手に掴まれた子猫が排水溝の奥から姿を現わした。
「わあ! おにいちゃんありがとう!」
口々に歓喜の声を上げた子どもたちがシュウの手元を覗き込む。彼らから荷物を取り戻したマサキは、その背後から子猫の様子を窺った。
みゃあ、みゃあ。全身が濡れそぼった子猫は寒さに震えていて、酷く痩せこけているように映る。それをポケットから取り出したハンカチーフでシュウが包む。
「誰が面倒を見るのですか?」と、子どもたちを振り返ったシュウに、あたし! と、ひとりの少女が手を上げる。
「なら、急ぐのですね。すっかり冷えてしまっているようですから」
まるで砂金を抱えてでもいるように、そろりとシュウが両手を察し出す。みゃあ、みゃあ。少女はそのシュウの言葉に力強く頷くと、受け取った子猫を胸に抱えて笑顔をみせた。
「おにいちゃん、ホントにありがとう! 戦士さまもありがとう!」
少女を中心とした子どもたちの一団が、街の奥へと遠ざかってゆく。
「子どもというのは本当に、私たちよりも世界を良く見ている」
置きっ放しになっていた傘を拾い上げてシュウが立ち上がる。すっかり濡れ切った衣装の裾がスラックスに張り付く。大丈夫か。マサキの問いに、そう見えますか。シュウが云いながら雫を垂らす前髪を掻き上げた。
「手間のかかることに巻き込んでくれたのですから、少しはお返しがあると期待をしてもいいのでしょうね」
「タオルは貸してやるよ。買い物の最中なんだ」
ハーブの入った紙袋を掲げてみせると、マサキ相手だと我を通すことが多い男は素直にそれを信じたようだ。
「なら、貸しにしておくことにしましょう」
冷えた面差しに広がる温かみ。うっすらと微笑んでみせたシュウが、タオルは結構ですよ。そう口にして、雨にけぶる街の出口へと姿を消してゆく。おい、待てよ。マサキは慌ててその後を追った。風邪引くぞ。そう声を上げるも、シュウの足が止まる気配はない。
「面倒臭いヤツに借りを作っちまったな……」
遠ざかるシュウの背中にマサキは呟いた。
けれども嫌な気分ではない。一体、何を頼まれることやら――そう二匹の使い魔に肩をそびやかしてみせながら、マサキは街の外に停めてあるサイバスターの許へと足を進めていった。
リクエスト「雨の日、排水口に詰まった子猫を見つけた子ども達から救援要請が来たものの、打つ手がないのでさらに通りがかったシラカワに子ども軍団とダブル救援要請出したある日の午後。」