「ぶっちゃけリューネさんでも良かったと、あたくしとしては思ってるんですけどね」
燦燦と降り注ぐ陽光が、黒々とした影を足元に落としている。まだ春先だというのに、真夏を思わせる陽気。ラ・ギアスにも温暖化の波が到来しているのだろうか。ラングラン州の外れにある人口十万人ほどの街の大通りに面したアイスクリームショップ。バニラにクッキークリーム、ラズベリー。おまけにチョコミントとアイスをカップに山積みにしたマサキは、店先に並ぶパラソル付きの丸テーブルのひとつに座って、目の前で愚にも付かないお喋りを繰り広げている青き使い魔の主人を待っていた。
「そうかそうか。お前の本心はよーくわかった」
すくった先から溶けてゆくアイスを立て続けに口の中に放り込む。ひやりと口の中を通り抜けてゆく感触が心地良い。ジャケットを脱いだ程度では暑さが和らがない今日の陽気では、芯から身体を冷やしてくれるアイスクリームは絶好のデザートだ。
「俺じゃなくてもいいなんて良く云えたもんだ。後で焼き鳥にして食ってやるから覚えておけよ」
正直、食べる方に忙しいマサキは、チカのお喋りに付き合っている暇などなかったが、彼の発言が「シュウが選んだ相手が何故マサキであるのか」というテーマを孕んでいるとなれば、黙ってはいられない。
「そういう意味じゃあないですよ。あたくしはあの人がちょこっとばかり苦手ですからね。やっぱ女の執念を感じるんですよ。それと比べれば、そういった面ではさっぱりとしているマサキさんの方がいいです。遊び相手にもなってくれますしね。でも、ご主人様はそれなりに気に入っている様子でしたからね。あの人マサキさんとそっくりじゃないですか。単細胞なところとか、なのにズバッと核心を突いてくるところとか。妙に達観してるとこまで瓜二つですよ。どうしてそっちに行かなかったのかなーって」
暑い暑いと煩かったマサキの二匹の使い魔は、パラソルの影で丸くなっている。時折、ぴくりぴくりと耳が動いている辺り、マサキとチカの会話を聞いてはいるようだ。とはいえ、口を挟むほどの内容ではないと感じているのだろう。黙って地べたに寝そべっている二匹の使い魔は、眠たげな目を瞬かせながら、マサキ同様に用事で席を外しているシュウを待っている。
「知るかよ。お前、あいつの使い魔だろ」
「使い魔だからって全部がわかる訳じゃないですよ。ましてやあの鉄仮面なご主人様が相手ですよ。誰であろうとも本心を悟られたくないってご主人様が、あたくし如きにご自分の気持ちを打ち明けるなんてことがあるとお思いで?」
「お前は口が軽いんだよ。俺だって大事な話はお前とはしたくねえ」
「これでも云っていいと話とそうでない話の区別は付けてるつもりなんですがねえ」チカは羽根でくちばしを隠すと、大仰に溜息を吐いてみせた。「まあ、単純な好奇心です。もしかしたら違う世界ではご主人様がリューネさんを選ぶなんてこともあったのかなあ、っていう」
「まあ、確かに。リューネが気味悪がる程度には、あいつリューネを気に掛けてるけどよ……」
ラズベリーとバニラ、バニラとクッキークリーム。この組み合わせはマストだったが、ここにチョコミントを混ぜたのは失敗だった。マサキはラズベリーとの境界から滲み出してくるチョコミントを、顔を顰めながら頬張った。
極悪なミントグリーンの物体を片付けてゆく間、ぼんやりとシュウとリューネの関係について考える。何があったか知らないが、リューネは父の盟友とも呼べる相手に好ましい感情を抱いていないようだ。顔を合わせれば憎まれ口が口を衝く。態度があからさまなリューネに、マサキは自分のことを棚に上げて、そこまで毛嫌いしなくとも――と思ったものだ。
だのに、それだけ嫌われても、シュウはリューネに構うのを止めないのだ。
そもそもマサキ相手でも退くことをしないどころか、大いにちょっかいをかけてくる男である。嫌われようが、憎まれようが、そんなことはどこ吹く風。鋼の心臓を持つ男は、もしかしたら被虐嗜好があるのではないだろうか? 今でもシュウに憎まれ口を叩くことがあるマサキとしては、そういった恐ろしい考えが脳裏を過ぎったりもする。
けれども、あそこまでマイペースだと、いっそ爽快ですらある。
きっとマサキたちのような向こう見ずで直感的な人間は、彼のように思慮深い人間からすれば危なっかしい存在に映るのだ。だから放っておけない。ついつい口やら手やらを出してしまうのも、その証左だ。
そうマサキが考えを纏めた矢先だった。けれどもそうは思っていないらしいチカが、思いがけない台詞を吐く。
「何だかんだでリューネさんの父親を気に入ってたんじゃないですかね。あたくしは良く知りませんけど、リューネさんを見るご主人様の目って懐かしそうな感じじゃありません?」
チカのお喋りは時間潰しにはもってこいだが、今はアイスクリームを食べている最中でもある。相槌を打つのも時間との戦いだというのに、この青い使い魔はどこまで話を複雑にするつもりなのか。チョコミントを片付けたマサキは、大分溶けてきた他のアイスクリームをどうすべきかと思いながらも、このまま聞かずに済ませるのも落ち着かない――と、口を開いた。
「懐かしそう――だと? あいつが? そんな性格か?」
「マサキさん、ビアン博士とご主人様の関係をなんだと思ってるんです? いいですか。あのどこまでも独立独歩なご主人様がですよ、ひとときとはいえ、他人の許に身を寄せたんですよ。しかもそれが巨大な組織って云うじゃないですか!」
「そりゃ、俺もあいつが組織に属するなんて柄じゃねえとは思うが」
「だから情があったんだとあたくしは思う訳ですよ」
ふふん、と鼻を鳴らしたチカは、自身の説に相当の自信を持っているようである。情ねえ。マサキはカップの底から溶けたアイスクリームをすくい上げた。この調子ではまだ話が長くなりそうだ。
「そうですよ。まさかマサキさん、ご主人様に情がないとでも思ってます?」
「思ってはいねえけどよ」
「何だか気乗りのしない返事ですねえ。そんなアイスクリームが大事で?」
気になることはあれど、チカの話に付き合い続けていてはアイスが全て溶けてしまう。マサキは口の中に溶けたアイスの汁を流し込んだ。不味い。三種のアイスが混じり合ったクリームが、未知なる風味を醸し出している。
「そりゃ大事だろ。金出して食ってるもんだぞ」
「ご主人様も報われない」
「そういう話じゃねえだろ。お前、小金にがめつい割には、自分の都合は優先させるのな」
「いーやいや! お金は大事ですよ! とっても大事です!」
「だったら食わせろ。お前の話は聞いてるからよ」
アイスとシュウ。どちらが大事かと聞かれれば圧倒的にシュウの方ではあったが、今チカがしているのは過ぎた話――いや、リューネにとっては現在進行形の話でもあるのだが、シュウとマサキの関係に変化が起こる話ではない。
不世出の超越者、ビアン=ゾルダークは愛娘を残して散ったのだ。そう、地球を見下ろす宇宙を墓標として……
「じゃあ話しますけど、ご主人様って孤独じゃないですか」
彼がシュウのように蘇ることは最早ないだろう。マサキはアイスクリームを口に運び続けた。
死した人間がそれ以上の影響を及ぼせないことぐらい、人の死に鈍感なマサキであろうとわかっている。死者と生者の間に新たな思い出は生まれない。そうである以上、どういった影響がマサキとシュウの間に起こったものか。
「マサキさんと知り合って、サフィーネさんさんたちが本当の仲間になって、ようやく人並みに他人と付き合うことを覚えたみたいですけど、あたくしが生まれた頃なんて本当に陰気でしたからね。他人とコミュニケーションが出来ないって訳じゃないですけど、好んで人付き合いをするでもなし。そもそも放っておいても人が集まってくるステータスですからそりゃ人付き合いにも消極的になる。ましてやヴォルちゃんの影響もありましたし」
「ヴォルちゃん」
「ヴォルちゃんですよ。あんなの。仰々しく祀られるほどのもんですか」
「いやー……お前、そういうところ凄えな」
過酷な戦いの記憶をひとことで吹き飛ばす威力。マサキは脱力して、空になったカップを握り潰した。
「崇めるなら今の内ですよ。あたくしの野望は新たな教団を創り上げて、そこの教祖の座にご主人様を就かせることですからね」
「お前、さらっと恐ろしいことを云うんじゃねえよ……」
「まあ、その話はいずれ腰を据えてしましょう。マサキさんにも力を貸してほしい話ですし」
「誰が手を貸すか!」
マサキはカップの残骸をチカ目がけて放り投げた。けれども如何に彼が魔法生物であろうとも、鳥類を模しているだけはある。さっと宙へと羽ばたいてカップを避けると、直後にはマサキの肩に舞い戻ってくる。
「話の続きですけど」
「勝手にしろ」
新たな宗教団体の発足という野望を口にした直後とは思えぬ態度。しれっと話を再開させようとするチカに、マサキは口を結んで頬杖を付いた。このお喋りな使い魔は、自分が話すと決めた話は最後まで聞かせないと気が済まないらしい。
「でもそれって、それだけかって話かってあたくしは思うんですよ。異才が理解されないのは世の常ですけど、ご主人様の場合、揃っちゃいけないものが揃ったような才能の塊じゃないですか。魔力もあって、剣術も扱えて、知力に限りがない。しかも元王族ときたもんだ。するってぇと何が起こるかって話ですよ。人は身近な才能には憧れを抱きますけど、そうじゃない存在にどう向き合うか。その答えって二極化すると思うんですよね。信奉か嫌悪か」
「まあ、それは何となくわかる」
スポーツ万能を地で行ったマサキは、ひとつのスポーツだけに秀でていた訳ではなかったからこそ、要らぬ敵が多かった。勿論、純粋に称えてくれる者もいるにはいたが、やれスポーツに対する姿勢がなってないだの、あいつは調子に乗ってるだの、何かひとこと言葉を発しただけも、云われたい放題の批判が四方八方から飛んでくる。
彼らにとってマサキ=アンドーという人間は、何をしようが面白くない存在であったのだ。
運動神経に恵まれた程度のマサキですらそうだったのだ。マサキ以上の才能に恵まれている人間であるシュウが、その手のやっかみとどうして無縁でいられただろうか。
彼はマサキが感じている以上に世の中の汚濁を浴びて育ったのだ。
だからああも達観し、だからああも皮相的に世の中を眺めるようになった……。それをマサキは可哀相などと思うことはなかったが、無常だと感じる程度には、シュウの精神状態を気遣ってはいる。
「マサキさんもぶっ飛んだ才能の持ち主ですもんね。だったらわかるんじゃないですか。ご主人様が世の中に絶望していたんじゃないかって。あたくしはそう思うってるんですけど」
「絶望ねえ。あいつの場合、絶望してる暇があるなら、世の中の方を自分に合わせようとするんじゃねえかって思いもするけどな」
「それってご主人様を随分見縊ってません?」
「そのぐらいあいつに諦めるって言葉は似合わねえって云いたいんだよ。諦めるぐらいなら足掻くだろ、あいつ」
「極論ですねえ」
「まあ、いい。それとビアンがどう関係してくるんだ?」
あれだけの巨大な組織を創り上げた、稀代のカリスマ。彼が孤独に宇宙に散っていったのは、部下を先んじて逃がしたからだとも聞く。それが証拠に、リューネの許にはビアンの遺志を継いだ者たちが、頻繁にDC再建を願って訪れてきたようだ。あいつらにも本当に困ったもんだよね。いつだったかリューネがそう洩らしてきたことがあった。
「一代でDCという巨大組織を創り上げた天才科学者は、自身にも特異な才能があったからこそ、ご主人様の孤独を理解してくれたんじゃないかなーって、思ったんですよ。マサキさんに対するご主人様の感情は異なる才能を持つ者への憧れだったり、救世主に対する信奉だったり、自分を畏れない相手だからこその気安さだったりと色々混ざってますけど、ビアン博士に対してはそうじゃなかったんじゃないですかね。年齢は離れていましたけど、あれはきっと同士だったんですよ」
成程。と、頷いてマサキはテーブルから腰を上げた。人混みの奥から姿を現しつつある長躯。どうやら用事が済んだようだ。白いコートの裾を風になびかせながら、徐々にこちらに向かって迫ってくるシュウに一歩を踏み出す。
シュウとビアン。
烏合の衆にも思えていた彼らは、マサキが思っていたよりは精神的な結び付きを深くしていたのだろう。それは薄々マサキも勘付いていたことだった。シュウは自らにリターンのないことには手を貸さない。その代わりにリターンのないことに他人を付き合わせもしない。そういう男だ。
彼はきっちりと通すべき筋を通してみせる人間であるのだ。
ヴォルクルスの影響下にあろうとも、自身の誇りと尊厳を保つために最期まで戦ったシュウは、だからこそ安直な理由でDCに所属したのではないのだと――マサキは信じていた。でなければあのドライな男が、最後までビアンの供をする筈がない。
チカの想像がどこまで当たっているかはさておき、そう思っているのはマサキだけではなかったようだ。
ならばもういい。そう、もういいのだ。
それをシュウに訊ねるつもりはマサキにはない。今のマサキにとって必要なのは、過去の未練よりもこれから築き上げる未来へのビジョンだ。
距離を近くするに連れて表情を和らげてゆくシュウに向かって歩んで行きながら、だから――と、マサキは肩から舞い上がったチカに向けて笑いかけた。
「でもな、チカ。世界がどれだけ変わろうと、あいつが選ぶのは俺だと思うぜ」
「ひぃ! なんて自信! この男、ご主人様に愛されるのは自分しかいないって思ってる!」
当たり前だろ。マサキは胸を張って人で賑わっている通りを往く。
虚しさや遣る瀬無さに臍を噛み、達成感と高揚感に舞い上がったあの頃。彼と過ごした日々はには喜怒哀楽の全てが詰まっている。だからマサキはシュウを疑わないのだ。なあ、シュウ。目の前に立つなりそう口にしたマサキに、全てを与えてくれた男は、まるで全てを心得ているかのような微笑みを浮かべてみせた。