ガラス製のアーチが長く回廊を描いている。
青味の強い水が隙間なく湛えられたアーチ。その中を小魚が群れをなして泳ぎ回っている。アクアブルー、レモンイエロー、ライムグリーン、フラッシュピンク……水槽内を照らしている明かりを受けた小魚が体色をビビットに変化させてゆくのを、シュウは不思議な気持ちで見守った。
「凄いだろ。こないだプレシアに連れてこられたんだけどさ、とにかくどの魚も綺麗でさ……」
成程とシュウは合点がいった。
一週間ほど、不眠不休で研究に励んだ後のことだった。チカから主人の惨状を耳にしたらしい。気分転換に水族館に行くぞと姿を現すなり口にしたマサキは、引っ立てるようにしてシュウをこの場へと連れてきた。
確かに美しい。
側面のガラスを覗き込んでいるマサキに倣って水槽内を覗き込んだシュウは、けれども――と、悩ましさを口にせずにはいられなかった。
「こういった手法で魚を美しく見せるのは、動物愛護の観点からしてどうなのでしょうね」
「それを云い出したら自然保護なんて出来ねえだろ」
眉を顰めたマサキがシュウを振り仰ぐ。
きっと、浪漫のないことを口にしていると思ったのだ。シュウは目に入ったマサキの表情に陰鬱な気分になった。
シュウとてわかってはいるのだ。自分のこういった面が、マサキに面白くなさを感じさせているのは。わざわざ誘いに来たぐらいである。もっと純粋な気持ちで水族館を楽しみたかったことだろう。それでもシュウは、目の前の問題から目を背けることを良しと出来ない。何故ならそれこそが王家に生まれたものに施される教育でもあるからだ。
だが、今のマサキは決して気分を悪くしたのではなさそうだ。仕方ねえな。そう呟くと、口元を緩めてみせる。
「聞きかじりだけどよ、こういった施設の収益が海洋生物の保護に使われてるんだろ。なら多少は人目を引く造りにしねえとな。綺麗事だけじゃ回らないのが世の中だ。世の中の人間ってのは、当たり前のことには目を向けないからな」
「確かに。あなたの云う通りですよ、マサキ。野暮なことを云いましたね。なら、精々楽しんで、ついでに散財をして帰ることにしましょう」
「お前の散財は桁が違うからなあ」
水槽から離れたマサキが呆れた口調で云い放つと、先へと進み始めてゆく。
シュウはマサキに続いて回廊を歩んでいった。と、巨大な影がゆらりとシュウの視界を横切った。エイだ。右手側からゆっくりと姿を現したエイが、身体を波打たせながら左手側へと頭上を泳いでゆく。動物愛護の観点はさておき、これだけ間近に生物を目に出来る機会はそうない。
シュウはマサキと会話をしながら、回廊を巡って行った。様々な魚が視界を過ぎる。日頃、目にすることのない海洋生物がのびのびと泳ぎ回るさま。それは彼らが場所を違えても、変わらない存在であるのだとシュウに感じ入らせた。
「少し待つけど、見ていこうぜ」
回廊を抜けた先に広がる外の世界。広場の右手側にはイルカショーのステージがあるようだ。開始時刻を知らせる看板の前で足を止めたマサキが、シュウの袖を引っ張る。いつもと異なる環境に浮かれるマサキの姿を見るのは悪い気はしない。シュウはショーのチケットを買い求めると、ステージを囲う観客席へと足を踏み入れた。
まだショーまで三十分ほどあるからか、席はまばらにしか埋まっていない。
どうせなら間近で見たいのだろう。ずんずんと前に進んでゆくマサキに続いたシュウは、彼が腰を下ろした席に不安を覚えた。ステージの正面の最前列。水飛沫をまともに被るに違いない席。けれども、ちゃんと見たいじゃねえか。そう云って無邪気に笑うマサキの顔を見ていると、その気持ちを挫くのは憚られてしまう。シュウはそうですねと相槌を打って、マサキの隣に腰掛けた。
「かなり賢いんだぜ。飼育員との息の合った動きが、見ててとにかく気持ち良くてさ……」
三つに折り畳まれた無料パンフレットを眺めながら、前回もショーを見たらしいマサキの蘊蓄を聞きながら待つこと三十分。八割ほどの埋まり具合な観客席から歓声が上がった。パンフレットから顔を上げると、ウェットスーツを着用した飼育員がステージに立っている。ショーが始まるようだ。シュウはパンフレットを畳んで、ステージに視線を向けた。
※ ※ ※
フープ潜りに、シンクロジャンプ、飼育員を鼻先に立たせての遊泳――ありきたりながらもダイナミックな技の数々は、自身を追い込んで研究を終わらせたばかりのシュウの心を癒してくれるのには充分な効果を発揮した。
自分の専門とする分野外の話題にはあまり興味を持てないシュウではあったが、イルカの知能が発達しているぐらいの知識はある。彼らはもしかすると、自分が見世物になっているこの状況を楽しんでいるのではないか? 飼育員との息の合った動きや、彼らが時折見せる観客席を意識した動きは、シュウにそう考えさせるに足るものであった。
「ああ、面白かった。何回見てもいいな、こういうの。人間だけが賢い生き物じゃねえって良くわかる」
「彼らは自分がショーに出ていることを理解しているようでもありますね」
「理解してるんじゃないか? してなきゃあんなに動かないだろ。生き物って俺たちよりも正直だからな。嫌なことには直ぐそっぽを向くだろ。猫だってそうさ。シロとクロは使い魔だから俺の言葉にちゃんと反応するけど、普通の猫はああはいかねえ。警戒心だって強いしな」
確かに。マサキの言葉に感じ入ったシュウは唸った。
マサキは時々、物事の本質を突いた発言をする。それは彼がそれだけ物を考えてている証左でもあった。理論立って話をするのは苦手なようではあるが、彼なりに見えている世界があるのだろう。年齢に見合わぬ含蓄に富んだ台詞も多い。
「しかしこんなに濡れるとは思わなかったぜ」
くしゅん。広場に出たマサキがくしゃみをする。
それもその筈。最前列に座っていたシュウとマサキは、イルカが噴き出す水飛沫を頭から何度も被っていた。間を空けて前髪から滴ってくる雫。流石に冷えたな。苦笑しながらシュウを見上げてくるマサキに、止めるべきだった――と、今更ながらにシュウは後悔の念を抱くも、時間が巻き戻る訳でもない。
とにかく身体を温めさせなければ。シュウは辺りを見渡した。
広場の左手側にグッズを扱うショップがある。
「行きましょうか、マサキ」
シュウはマサキの背中を押して歩き出した。
とはいえ、マサキからすれば、シュウは好んでグッズを買うような人間ではない。だからだろう。何だよ? 首を傾げながら後を付いてくる。
「散財の時間ですよ」
シュウはマサキを振り返って口の端を吊り上げた。楽しんだ分は還元しなければ。上着の内ポケットに手を忍ばせたシュウは、財布に手を掛けつつショップの中へと足を踏み入れた――……。
※ ※ ※
自分たちで使うタオルにTシャツ、ジャンパーは勿論のこと、プレシアへの土産を大量に買い込んだシュウに、「お前のそれは巫山戯ているのか本気なのかわかりゃしねえ」と云いつつも、喜んでいるようだ。上機嫌で着替えを終えたマサキが、同じく着替えを終えたシュウの姿をしげしげと眺めながら呟く。
「お前、そういう格好本当に似合わないよなあ」
「あなたは良くお似合いですよ」
「浮かれてるって云いたいんだろ。わかってるって」
冗談めかして言葉を返してきたマサキが、広場の中央に立つ時計を見上げた。そろそろ赤く染まり始めた空が気になったのだろう。もうこんな時間か。独り言のように口にしたマサキに、帰りますか。シュウは尋ねた。
「そうだな。家帰ってゆっくりするか」
全部を見て回ることは出来なかったが、充分過ぎるくらいに水族館を堪能した。マサキの返事に笑みを浮かべたシュウは、彼の手から荷物を取り上げて、出口へと。満ち足りた気持ちで歩んで行った。
リクエスト
シュウマサ水族館デートとかどうでしょう!?
出来ればイルカショーでびしょ濡れてもらいましょう!