気の補給という名目での口付けで、慣れている筈だと思い込んでいた。
口付けを終えた途端に丘に上がった魚のように息をし始めたマサキに、よくよく考えてみれば人事不省だからこそ補給を受けているのだと、シュウは今更ながらに彼が『普通のキス』を知らない事実に思い至った。それもそうだ。どうかすれば気を失うほどに消耗している際に、呼吸にまで気を回している余裕などある筈がない。
「息をすればいいでしょうに」
「やなんだよ。鼻息がお前に当たるの」
些細なことが気になるのは、それだけ彼が自分に気を遣ってくれているからでもある。その事実に満たされた気持ちになりながら、シュウは気恥ずかしさからか。伏しがちなマサキの顔を覗き込んだ。
「だったら口ですればいいでしょう」
「どうやってだよ。塞がってるっていうのに……」
勝ち気な瞳。睨むように自分を見上げてくるマサキの顔を仰がせる。続けて、こうですよ――と、シュウはマサキの口唇を塞いだ。
舌を絡めながら微かに口唇をずらして、開いた口の端で静かに息を吸う。
澱む、時間。最後に軽く啄んで口唇を離せば、不満を窺わせる表情がマサキの顔に浮かぶ。わかんねえって。次いで口を衝いた彼の言葉に、シュウはクックと声を潜ませて嗤った。このままの方がむしろマサキらしいだろうに。そう感じるも、彼が呼吸にばかり気を取られてしまっているのでは楽しみが減るというもの。
「舌を絡めているその間に」
「ああ」
「顔を動かすでしょう」
「まあ、動く」
「その時に口の端で吸うのですよ」
「口の端って、空くか?」
「空かなければ空けるのですよ」
「やってみる」
首に絡んできた腕がシュウの頭を引き寄せてくる。ほら、とシュウはマサキに顔を重ねた。
気の補給を受けた回数の分、キスそのものには慣れた感がある。躊躇わずに口唇を重ねてくるマサキに、彼を取り巻く仲間たちの影響が見て取れるような気がして、シュウの胸が疼いた。いつでもマサキの傍にいられる彼らが憎らしく、また妬ましい――その遣る瀬無さをぶつけるように、シュウは思うがままにマサキの口唇を貪った。
時折、頬にかかる彼の息。
どうやら云われた通りに息をしているようだ。吐息が混じった呼吸は、静かだけれども熱く、彼がこうしている時間に感情を高ぶらせているのが伝わってくる。
「お前さー……」
だのにやがて剥がれた口唇が、面白くなさそうに言葉を吐く。
「こういうの、どこで覚えてくるんだよ」
自分の知らない遣り方を、さも常識だとばかりに伝えてくるシュウの知識の根拠が気になったようだ。
さあ。シュウは薄く笑った。
シュウがマサキの地上時代を知らないように、マサキにも知らないシュウの過去がある。
シュウとしてはそこにマサキを深く立ち入らせるような真似はしたくなかった。面白い話ばかりではない自らの過去。感情的にも子どもだった自分をつまびらかに出来るほど、シュウはまだその頃から未来に生きてはいなかったからこそ。
それに、大事なのはふたりで刻んできたこれまでの時間と、これからふたりで進んでゆく未来だけだ。
濁っていた自らの時間を、元ある形に取り戻してくれた恋しい人。時には妬ましさを感ずることもあれど、それでもしがみ付ずにいられない。それは、これまで積み重ねてきた彼との時間が、シュウの人間性を取り戻させてくれたからに他ならなかった。
「ホント、面白くねえな。お前」
シュウが言葉を濁したことが気に障ったようだ。とん、とシュウの胸をマサキが叩いてくる。
「知れば妬くだけだと思いますが」
「ああ、くそ。本当に面白くねえ」
咄嗟に手が出たといった様子でシュウのコートの襟を掴んできたマサキが、シュウの顔を真っ直ぐに見据えてくる。
目の下に白く筋引く三白眼。それが例えようもなく愛くるしい。
シュウは黙ってマサキの顔を眺め続けた。どうやらそれ以上、愚痴めいた言葉を吐いても何も解決しないと覚ったようだ。授業料。ぼそっと言葉を吐いた彼が、再び自分に口付けてくるのをシュウは黙って受け入れた。