戦艦が補給地入りしたその日。二十八時間の滞在時間を使って、補給基地の近くにある歓楽街で酒盛りをすると云い出したのは甲児だった。
親交を深めつつ英気を養うんだ――と、耳障りのいい理由を口にしていたが、お調子者の彼の言葉を頭から信じるような人間は、残念ながらロンドベルにはもう残っていなかった。
それでも偶には羽目を外したくなるようだ。男ばかりではあったものの、三十人は下らない参加者が揃った店内。どぎついネオンが目に痛い通りの一角にある居酒屋は、予約もなく訪れた大所帯を嫌な顔一つせず受け入れてくれた。
「店に迷惑をかける真似だけはしないことですね」
その参加者の中に、何故かシュウがいた。
「何でお前がいるんだよ」
一杯目の酒はビール。乾杯ぐらいは酒を揃えようぜ。と、甲児が注文したからだ。
三十人ともなれば酒が全員に回るのでさえも結構な時間になったもの。それを待つ間、マサキは澄ました顔で隣に座っているシュウに、彼がこの座に参加している理由を尋ねた。
「来いと云われたからですよ。彼に」
シュウが視線を向けた先には、ビールが注がれたジョッキを手に立つ甲児の姿。主宰者として乾杯の音頭を取るつもりでいるらしい。店員に指示を出しながら全員に酒が行き渡るようにまめましく動く回る甲児に感心しつつも、お前さあ――と、マサキは視線をシュウに戻した。
「甲ちゃんには甘いのな」
「自らの欲するものに正直な人間は嫌いではありませんからね」
冷ややかさに勝る端正な面差しが微かに緩む。決して場に馴染んでいる様子には映らない雰囲気の男は、どうやら誘われれば来る程度には兜甲児という男を気に入っているようだ。
女性陣のシャワーを覗いたり、スナップショットを売り歩いたり――と、碌でもないことにマサキを付き合わせる甲児は、紛れもなくマサキの悪友ではあったが、不思議と憎めない性格をしていた。
朗らかなお調子者。豪気な彼は細かいことを気にしない。
その大らかさに惹かれる人間は多いようだ。甲児の周りには様々な立場の人間が集った。今日集まっている面子はその一部に過ぎない。まあ、わかる気もするけどな。マサキは彼らの顔を眺めて呟いた。
「面白くないですか」
「何をだよ」
「私が彼を好ましく感じていることですよ」
「はあ? 何を云ってるんだ、お前」
――と、どうやら酒が全員に行き渡ったようだった。皆々様! 中央に立つ甲児がビールのジョッキを掲げて声を上げた。
「本日はお集まり有難うございます! これもひとえにあたしの人徳の賜物ってヤツですな、いっひっひ。色んな立場の人間が揃ってあたしゃ大満足にございます。ってことで、本日は無礼講! じゃんじゃん飲んで食って騒ぎましょうや! では乾杯!」
毎度々々よくぞ口が回ると思いつつも、手にしたジョッキを掲げる。隣にいるシュウも形程度にジョッキを掲げてみせている。直後、飲み干される幾つものジョッキ。長い戦争の谷間に訪れた自由時間を満喫するつもりであるのだろう。早くも次の酒を求める人々から注文の声が上がる。
「俺も何か頼むかねえ。ビールはあんまり好きじゃねえんだよな」
瞬間、膝の上に置いていた手に冷えた温もりが重なった。
「お、前……」マサキはシュウの顔を見上げた。
片手にジョッキ、片手にマサキの手。傍目には、乾杯のビールを味わっている様子にしか見えないだろう。テーブルの下で蠢いているシュウの手は、けれども確かにマサキの手を掴んでいて――。
「おい、ホント止めろって……」
小声でそう抵抗を試みるも、それは儚くも散った。
やんわりとマサキの手を包んでいるシュウの手から伸びた指が、マサキ手のひらを愛撫し始めたのだ。
「面白くないのでしょう」
「ねえよ。意外だと思っただけだ」
会話を続けながらも彼の愛撫は止まらない。ゆったりと手のひらを撫でるシュウの冷えた指先の感触が、マサキには擽ったくも、また淫猥にも感じられる……
止めろって。マサキは力なく言葉を継いだ。手を振り解けばいいだけの話だとわかっていても、それだけの力が込められない。
「おやおや、珍しく仲が良さげじゃねえっすか。おふたりさん」
他の参加者に掴まっていたようだ。ジョッキの中身を大分減らした甲児がテーブルの脇に立つ。
マサキは手をテーブルの奥へと滑り込ませた。
彼の位置から見えているとは思えなかったが、甲児はこれでも案外鼻が利く。野生の勘が働くのだろうか。時にシュウとの仲を盛大に勘繰ってくる彼が相手では、何がきっかけで気付かれたものかわかったものではない。
「どこに目が付いてるんだよ、甲ちゃん。良かあねえよ」
とはいえそれでシュウの手が離れる筈もない。むしろこれ幸いとマサキの手を撫で回してくる彼に、マサキは気持ちをざわつかせながら甲児に向き合った。
「肩並べて座って仲が悪いもないだろうよ」
どうやら腰を落ち着けるつもりなようだ。どっかと目の前に陣取った甲児がテーブルの上にメニューを開いた。
まだ一杯目のジョッキも空いていないのに次もないだろう。そうマサキが断れば、この人数だぜ。と、甲児が笑った。
「早めに注文しとかないと、料理も酒もねえってなるに決まってるだろ。ほらほらおふたりさん、飲んだ飲んだ!」
「なければ艦に戻るだけですよ、兜甲児」
「かあーっ! ホントに面白くないっすね、お大尽は! わっかりやした! 拙者、兜甲児がお大尽の分も注文してやりましょう! ワインですか? それともウィスキーで? それともバーボン……」
テーブルの上で回されたメニューに、ジョッキを下げたシュウが指を這わせている。それをぼんやりとマサキは眺めていた。
心ここにあらずとはこのこと。
テーブルの下に潜り込ませた手をシュウが引き上げる気配はない。
意地でも片手で用を済ませるつもりなようだ。テーブルの下で、つ――と、手のひらを指先が滑る。マサキはびくりと肩を震わせた。ただ手を愛撫されているだけなのに、心を手繰り寄せられているような気分になる。
「あなたは何を食べますか、マサキ」
身体の底に眠る欲望が、緩やかに立ち上がってきた。
それだのにシュウがマサキを見下ろしてくる瞳には、何ら変化が見られないのだ。憎らしくなるまでに無機質な紫水晶。くっきりと自分の姿を映し出しているシュウの相貌に、いたたまれなくなったマサキは自分の前に置かれたメニューを眺めた。
すきっ腹に流し込んだビールの所為で鼓動が早まっている。
いや、果たしてそれは酒の所為だけであっただろうか?
テーブル下の秘め事。ゆるゆると這い回るシュウの指先が、満遍なくマサキの手に愛撫を施している。気もそぞろになりながら食事と酒を注文したマサキは、そこで他の参加者に呼ばれて席を外した甲児にほっと安堵の息を吐いた。
ついでにビールを飲み干す。
するりとシュウの指がマサキの指に絡んできたのはその直後。酒が入って陽気となった座に、酒場が賑やかさを増した矢先のことだった。
深く合わさった指が、しっかとマサキの手を掴んでいる。
しっとりと濡れた手のひら。合わさった肌の感触は、けれども妙な達成感を感じさせるものでもあった。
「適当なところで席を外しませんか、マサキ」
酷く淫らに響く声が、マサキに囁き掛けてくる。
酒の席の賑わいが、瞬時にして遠ざかったような感覚に陥る。その先に待ち受けていることがどういった性質のものであるかなど、尋ねるまでもない。
「悪いようにはしませんよ」
わかっているのに逃れられない。瞬間、指先に篭った力に、マサキはテーブルの上に視線を注ぎながら、シュウにだけ伝わるようにこくりと小さく頷いた。
リクエスト「手ックスするシュウマサ」