空、美しき晴れの日に

 抜けるような青空が美しい日だった。
 続く平原の先に街を望める丘。なだらかな斜面に立って宙を仰いでいるマサキの後姿は、今日の空を存分に味わっているのだろうと思わせるものだった。胸を開いて腕を下ろし、風に身を任せ、両の足で地面を踏みしめてあるがままに……けれどもそこに近付いてゆくにつれて、シュウはその様子が、自分が思っていたものとは異なっていることに気付かされた。
 肩が小刻みに震えている。
 小さく洩れ聞こえる声。口を衝いて出そうになる嗚咽を必死に堪えている。
 何が彼をして、そこまでの悲しみに襲わせたのか。シュウに心当たるものはひとつしかなかったものの、だからといってそれだけが原因とは限らない。
 ――涙の理由は本人に直接尋ねることとしよう。
 自分のことを話したがらない性質のマサキは、本人がそうしているつもりでなくとも、数多くの秘密を抱えているように映ったものだ。シュウは大股でマサキの許に歩み寄った。周囲に気を配る余裕もないほどに、自分の世界に沈んでいたようだ。マサキがシュウの気配に気付いて身体を揺らした直後、シュウはその腕を掴んでいた。
「何だよ……お前……」
 きっと、こうして無遠慮に触れてくる人間を他に知らないのだ。マサキは振り向くことなく、腕を掴んだ相手がシュウだと気付いたようだった。さりとて、自ら振り向く気はないのだろう。背中を向けたまま、気丈に言葉を吐く。
 シュウはマサキの腕を引いて、自分へと振り向かせた。
 抵抗する素振りを見せたものの、割合すんなりと振り向いたマサキの頬に残る幾条もの涙の跡。それが陽の光を受けて煌めいたかと思うと、赤く染まった瞳がふいとシュウから視線を外した。
「何があったのです」
「別に、何もねえよ」
 そういう態度なのだ。シュウの心を煽り立てるのは。
 どれだけ身体を掴み取ったとしても、それを許されていると感じても、心の奥の奥――そこに潜んでいる本心までは悟らせてくれない。まるでそれを奪われてしまったら、逃げ場を持たなくなるとでも云いたげに。マサキは自らの考えを極力シュウに明かさないように振舞うのだ。
 癪に触って仕方がない。
 自分の弱味ばかりを掴まれてしまっている。それをどうしてシュウが許せようか。シュウは自らが自尊心プライドの高い人間であるという自覚がある。あるからこそ、心を許した人間にこそ、弱味を晒すことを良しとしてきた。それだのに、その相手と来た日には。まるでそんな人間心理には無関心とばかりに、自らの弱味を晒すまいと必死だ。
 シュウはマサキ、とその名を呼んで、顎を掴んだ。
 やめろって。と、口にして、今度こそ本気の抵抗を見せるマサキの顎を力任せに引く。晒される顔。まだ涙が引ききっていないままの潤んだ瞳が、観念した様子でシュウを見上げてきた。お前はいつもそうだ。自分に無理を強いるシュウの振る舞いが面白くないのだろう。拗ねた調子で言葉を吐いたマサキの目尻にシュウは口付けた。
「あなたの笑顔も、あなたの涙も、全部私のものですよ、マサキ。誰にも渡しなどしない」
 そうしてそうっと。両の頬を包み込んで、その顔を見下ろす。
「無茶ばかり云いやがる」
 シュウが自身の何もかもを占有しようとするのは今に始まったことではないにせよ、マサキにとっては想像の範囲外に及ぶことがままあるらしい。破天荒な生き方をしているように見えて、その実、常識的なマサキは、そういった意味で他人の感情を汲み取るのが下手だ。今にしてもそうだったのだろう。困惑しきった表情。途惑いがありありと浮かぶ瞳が揺れている。
 無茶なものかとシュウは嗤った。
 絶望の淵から這い上がってきたシュウは、死をも乗り越えてきたからこそ、与えられた生に対して貪欲になった。あると思っていなかった二度目の生に、より深き彩りを。そしてより深き充実を――絵に描いた餅で腹が満たされることはないと知っているシュウは、だからこそ執着を隠さなくなった。
 潜んで生きてきた暗がりの世界を照らし出してくれた光。風の魔装機神が遣わした少年の純粋なねがいは、どれだけシュウの心を揺さぶったことだろう。あの日からシュウの人生は、二度目の生に向けて動き始めた。諦めの悪い少年の執念が実を結んだからこそ、シュウはこうして再び人生を謳歌している。
 その感謝を仇で返すつもりはない。
 だからシュウはマサキに制限をかけるのだ。何度でも、何にでも。そうして、縛り付けた魂が、自らの力でその頸木くびきを解き放って、強く激しく輝き始めるさまを見守ってゆくのだ。
「何故、泣いていたの」
「まだ聞くのかよ」
「それを聞かないことには終われないでしょう」
「我儘だよな、お前」
 はあ、と溜息をひとつ。深く吐き出したマサキの手が、頬を包んでいるシュウの手に重なる。剣を握り続けて擦り切れた肉刺まめの数の分だけ厚みの増した肌。こうして彼が戦い続けた歳月を表すものに触れる度に、シュウはどうとも表現出来ない侘しさに囚われたものだった。
 まだ子どもでいられた時代に習慣の違う世界に召喚され、大人になることを強制された少年は、同じ年代の子どもたちが当たり前に獲得している平和な時間の記憶が圧倒的に足らない。それが時折、こうしてひとりとなった彼の精神に、小さく影を落としているのだと気付いていたからこそ。
「どう足掻いても取り戻せないものを、どうにかして取り戻せないかと考えちまった」
 ぽつりと呟くように言葉を吐き出したマサキの表情が、暗く沈む。
「わかっていたのに、いざこうして戦い終えてみたら、本当に取り戻せなかったってさ」
 そうして、何が残ったんだろうな。と付け加えて、その胸中とは裏腹に澄み渡る青空を見上げたマサキに、シュウはそれが何ら慰めとならぬことを承知で断言するのだ。
「私がいるでしょう」
 はたと見開かれた瞳がシュウに視線を戻す。
 思いがけぬ台詞を受けたマサキは、けれども破顔して、「お前は本当に我儘だよな」と繰り返した。

【創作お題】RTされたら指定された攻めの台詞を使ってCPの作品を描(書)きましょう
あなたは2RTされたら「お前の笑顔も、お前の涙も…全部、俺のモノだ。誰にも、やらねえ」の台詞を使ってシュウマサを描(書)きましょう。