素顔のままで

 顔を合わせれば嫌味に皮肉。それが高じて、互いに無視を決め込むほどの喧嘩に発展することも珍しくはなかった。愛機を駆り出してその場を戦場にすること数度。だからマサキは、シュウがマサキ=アンドーという存在を面白く感じていないのだと思っていた。
 明瞭はっきりと彼の口から話を聞いた訳ではなかったものの、どうやらシュウはサイバスターの操者として期待されていた時期があったようだ。テュッティやヤンロンから話のさわりだけ聞かされたマサキは、地底世界に召喚されて間もなかった頃、サイバスターを見上げていたシュウの姿を思い出した。あれは未練だったのだ。意味がわかった過去の出来事に、マサキは遣る瀬無い思いに駆られたものだった。
 それでは、彼がサイバスターに選ばれたマサキの存在を面白く感じないのも已む無し。多彩な才能に恵まれた自信家な男は、きっと各方面より過大な期待を受けていたからこそ、自身の権威が失墜しかねない出来事として、サイバスターの操者になれなかった自身に後悔を残したのだろう。
 そういった想像が及ぶようになるぐらいには、マサキはシュウ=シラカワという人間と彼を取り巻く環境が理解出来るようにはなっていたが、さりとて彼に同情するかと聞かれればそれはまた別の話だった。魔装機神サイバスターの操者。16体の正魔装機の頂点に君臨するマサキは、その立場を同情程度で譲ってはならないということぐらいはわかっていた。
 サイバスターにより相応しい人間は誰であるのか――だからこそマサキは、圧倒的な力の差を思い知らせるようにシュウを相手とした戦場に幾度も立った。
 とはいえ、伊達に多芸多才を誇ってはいない。シュウが自身の才能と情熱を傾けて造り上げた機体は、彼のその想いに応えるように能力を開花させた。サイバスターと張る能力を誇るグランゾンとの戦いは、決着が付かないことが当然だった。
 そうした経緯があったからこそ、マサキは自分がシュウに好かれているなどとは思っていなかったのだ。
 彼は先ず、素直にマサキの話を聞くということがなかった。マサキの話の決定的な欠陥を突くように、彼は良く嫌味や皮肉を吐いた。顔を合わせたが最後。ものの数分もしない内に始まる彼の口撃に、マサキは幾度凹まされ、幾度堪忍袋の緒を切らし、そして幾度屈辱に身を震わせたことか。それをわかっていながらマサキに対する攻撃の手を緩めないシュウは、まるでマサキを挑発して叩き落すことに一種の悦楽を感じているようだった。
 恐らくシュウは、マサキの能力は信頼していたが、マサキ=アンドーという人間自体には思い含むところが多かったのだ。
 だからその瞬間、マサキは驚かずにいられなかった。
 決して油断をしていた訳ではなかった。ただ圧倒的に数が多かった。格下の魔装機相手に集中砲火を食らったマサキは、彼らに囲まれたその中央でサイバスターの装甲値が保持ラインを割る直前まで追い込まれていた。途中で当たりどころの悪かった敵の一撃によって、派手に額を切ってしまっていたのも災いした。流れ落ちた血に視界を塞がれたマサキは、自身の動きが鈍くなっていることに気付いてはいたが、それを押して戦い続けてしまった。
 やがて、拭っても拭っても止まることのない血液に、ついにその瞬間が訪れた。
「機体損壊率80%! エネルギーの回復が不可能にニャたんだニャ!」
「残りのエネルギーで脱出ポッドを作動するニャのよ! ここは退いて、マサキ!」
 操縦補助サブコントロールに専念していた二匹の使い魔がそう言葉を発する。
 周囲を敵に囲まれている状態で脱出ポッドを使用したとしても、逃げ切れる可能性は限りなく低い。とはいえ、他に生存率を上げる選択肢がある訳でもない。マサキは二匹の使い魔を見遣って、深く頷いた。
 その、瞬間だった。
 風よりも速く飛び込んできた機影が、怒涛の勢いで敵機を薙ぎ倒してゆく。
 それは目にも留まらぬ早業の連続だった。正面の敵機の腕が落ちたかと思えば、次はその右隣の敵機の胴体がひしゃげる。正面パネルモニターの向こう側で展開する一方的な蹂躙劇に、助かった――マサキは操縦席に深く身体を埋めた。何が起こっているのかわからないが、正体不明の機影がマサキを助けに来たのは間違いない。
 それで気が緩んだのだろう。マサキの意識がおぼろげとなる。
 鳴り響く砲撃や剣戟の音に、共振を起こす操縦席。この隙に体勢を立て直せる場所にサイバスターを逃がさなければ。そう思いもするも、最早ぴくりとも指が動かない。マサキは操縦席に身体を預けきったまま、戦闘が終わるのを待った。
 やがて、戦いの音が止んだ。
 ややあって、通信チャンネルを開くように要求する警告音アラートがコントロールルーム内に鳴り響いた。けれどもマサキは動けぬまま。後はお前らに任せる。二匹の使い魔にそう伝え、マサキは混濁した意識を昏い闇の底へと沈めていった。
 ――……サキ、マサキ。
 頬に走る鋭い痛みに目を薄く開いたのは、それから暫く時間が経ってからだった。
「マサキ、起きなさい。マサキ」
 額から流れ落ちた血で汚れた視界の向こう側にシュウの顔がある。彼はマサキの目を覚まさせようと頬を叩いているようだ。お願いですから。振り絞った声が、滅多なことでは動揺を露わにしない男の狼狽ぶりを表していた。
「マサキ、マサキ。後生ですから、目を開けて」
 その顔が今にも泣き出しそうに見えてしまったのは、もしかしたら流れ落ちる血液の所為であったのかも知れない。けれども――、マサキはうっすらと口元に笑みを浮かべた。いつだって嫌味と皮肉を欠かさぬ男は、マサキの危機に駆け付けてみせたではないか!
「なんて、顔してるんだよ――……お前」
 マサキはシュウの頬へと手を伸ばした。
 想像していたよりもずっと温かい肌。そこに手を置きながら、マサキは改めてシュウの顔を見詰めた。端正な面差しがすっかり歪んでしまっている。
「……大したことじゃない。額を切っただけだ……血の量が多いから、派手な怪我をしたように見えちまってるけどな……」
「それなら良かったですよ」即座にシュウの手がマサキの手を引き剥がした。「ラ・ギアスの平和の守り手をこの程度のことで失う訳には行きませんからね」
 そう云ったシュウが浮かべている表情は、既にいつもと変わりのないポーカーフェイスだったけれども、マサキは何故か涙が溢れ出そうになるまでに安心してしまっていた。