花火

「花火がしたいーっ!」
 フラッペが食べたいと連れて来られた街の喫茶店。目当てのフラッペを食べ終えるなり、叫び声を上げてテーブルに突っ伏したミオに、ついでとブランチを取っていたマサキは、口の中を満たしているハンバーグを飲み込んだ。
「お前、毎年夏になると、必ずあれがしたいこれがしたいって云い出すよな」
「そりゃそうよ。あたしはマサキと違って、日本の生活に未練があるの」
「うるせえな。だったら地上に帰れよ。今なら一人でも生きていけるだろ、お前」
「やぁよ。行政にあれだこれだって申請するの面倒臭い」
「だったら諦めろよ」マサキは更にハンバーグを口の中に放り込んだ。
 これから朝食というところで街に引っ張り出されたマサキの腹は、氷が大半のフラッペ程度では満たされないぐらに空いてしまっていた。切り分けただけでも溢れ出る肉汁。柔らかく練り上げられた肉。美味い。肉片を噛んだマサキの心からの賞賛に、朝からそんな重たいもの良く食べられるよね。呆れた表情で呟いたミオが、顎をテーブルに載せたままマサキを見上げてくる。
「それはさておき、あたし花火がしたいんだけど、マサキ」
「それはさっき聞いた」
「でもラ・ギアスって四六時中明るいじゃない」
「嫌だからな、俺。セニアを怒らせるのは」
「ちょっとぐらいだったらバレないって」
 ねえ、とフォークを手にしている袖を引っ張ってくるミオに、マサキは強く首を振った。世界の平和の維持に用いられる魔装機神。かつてはその転移システムを使って地上に出ることもあったマサキだったが、既に地上で生活すること年単位。すっかり根を張った生活に、今更地上に進んで出たいと思うこともなくなった。
「ちょっとで済む筈がねえだろ。花火買って、やれる場所探して、夜になるのを待って、って、お前半日コースだぞ。それでバレる筈がないなんて都合のいい話があるか。やりたきゃ一人でやれ。俺は付き合わねえからな」
 日常的な移動手段に用いているとはいえ、魔装機神は世界に対する切り札である。さしものマサキも長い年月をラ・ギアスで過ごしている内に、そのぐらいの理屈は理解出来るようなった。いざという時に動けない魔装機神の操者に意味はない。マサキは自分の有用性に自覚を持てるようになったのだ。
「違うのよ。花火を買うでしょ。ラ・ギアスに戻るでしょ。そしたらどこかの地下神殿で」
「お前、どんだけ怖ろしいことを考えるんだよ! 何か出てきたらどうするんだ!」
「だって、そうでもしないと花火が綺麗に見えないじゃないのよー」
 どうやらミオは地上で買った花火を、地底世界で消費するつもりでいたようだ。
 確かに中天に太陽が座すラ・ギアスでは、自然な暗がりが存在する場所は限られていた。洞窟、海底、遺跡、地下神殿……人間は闇を恐れたからこそ、火を生み出した。ラ・ギアスもその例に洩れない。闇が広がる場所に足を踏み入れるのには、危険を覚悟の上でなければならなかった。怨霊に闇の眷属。ラ・ギアスの闇には、地上世界の常識では測れない存在が眠っている。彼らを起こそうものならどういった被害が生じたものか。
 ミオは軽々しく口にしてのけたが、決して花火をしたいという我欲の為だけに立ち入っていい場所ではない。
「それともあの邪魔な太陽を撃ち落とす? あたしは別にそれでもいいけど」
 だのにミオときた日には、更に物騒なことを口にし出す始末。
 はあ。マサキは盛大に溜息を洩らした。
 我欲の為なら無理が通れば道理が引っ込む。引くことを知らないミオに、マサキは呆れ返った。
「お前、どんだけ花火がしたいんだよ」
「数年分の欲望だもの。もうストレスではちきれそうなのよ。いいでしょ、マサキ。地上で花火を買ってくるぐらい」
「だったら地上で花火見物の方がマシだ。それなら数時間の留守で済む」
「まあ、それでもいいんだけど」マサキの服の袖をミオが更に引いてくる。「それだったらマサキ、付き合ってくれるの? 怒られるのはどっちでも一緒でしょ?」
「それはそうなんだが」
 そこでマサキの脳裏に光が走った。まるで神の采配だ。思いがけず浮かんだ人物の顔に、確かにその手段だったら――と、マサキは口元を歪めずにいられなかった。

 ※ ※ ※

「それで私のところに来た、と」
 シュウは自らの許を訪れた珍客二名の顔を交互に見遣った。
 確かにセニアがマサキたちの行動をある程度把握出来ているのは、正魔装機が発する精霊エネルギーを補足しているからに他ならない。彼らが魔装機神を使わずに地上に出るには、神殿を経由するしか手段はなかったが、それもセニアに筒抜けとなる以上、他の方法を考える必要があっただろう。
「それにしても、私のグランゾンに目を付けるとは。マサキにしては知恵が回った発想ですね」
「うるせえな。俺だってそのぐらいは」
 そこでこのまま口論に発展しては、収拾する事態も収拾が付かなくなると思ったのだろう。マサキの背後に立っていたミオが力任せにマサキを押し退けると、シュウに向かって身を乗り出してきた。
「ねえ、シュウ。お願い。あたしそろそろ禁断症状でおかしくなりそうなの」
「そうですね……あなたの頼みとあらば聞いても構いませんが、貸しは貸し。いずれ返してはくださるのでしょうね」
「うーん。借りを作るのは嫌だけど……花火は見たいし……」
 如何にグランゾンが規格外の機体であろうと、地上に出るとなるとそれなりのエネルギーが必要となる。日に何度も地上と地底を行ったり来たりは出来ない以上、そこから生じるリスクを背負うのは操縦者であるシュウだ。
「俺が返してやるよ、そのぐらい。だから地上に連れて行け」
 悩むミオに埒が明かないと思ったのか。マサキが珍しくも啖呵を切る。
 ふむ。シュウは考え込んだ。研究の手を止めてまで、彼らの欲に付き合うべきなのか。馬鹿正直な性格のマサキであれば、云った以上は約束として覚えていてくれそうではあったが、その貸しをどういった形で返させたものか。今のところシュウには妙案が思い浮かばない。
「まあ、いいでしょう。丁度、研究にも行き詰まりを感じていたところです。地上に上がったついでに、昔の恩師を尋ねることにしましょう。それで、あなた方には準備が必要ですか? 必要なら、終わってから声をかけるのですね」
 いずれ困窮した際にでも借りを返させることにしよう……そう思いながら、シュウは再びデスクに向かった。
 計算式を書き連ねたノートを畳み、デスクの上に散乱していた資料を纏める。あっさりと話が纏まったことに不安を感じたのだろうか。思案するマサキを横目に、片付けを進めていったシュウは、それがひと段落着いたところでミオを振り返った。
「準備はいいのですか?」
「特にはないかなあ。それより、シュウは花火見ないの?」
「気が向いたら眺めるぐらいはしますが、人混みの中に紛れたいとは思いませんね」
 シュウは席を立ちあがった。そして、今更に渋い表情をしているマサキの肩を叩いて、ミオとともに付いて来るように促した。やったね☆ ミオが上機嫌で後を付いて来る。シュウはそのまま後ろを振り返ることなく、部屋を後にした。

 ※ ※ ※

「――って、話だったじゃねえかよ。何でお前、浴衣まで着て付いてきやがってるんだよ」
 珍しくも素直にマサキの頼みを聞き入れたシュウは、道中、浴衣を着ると騒ぎ出したミオに触発されたのか。三人分の浴衣の代金を快く支払うと、ミオの手伝いを受けながら、マサキに続いて浴衣に着替えてみせた。そのまま、何食わぬ顔をして花火見物に付いて来るシュウに、大学教授はどこに行ったんだよ――マサキが尋ねれば、日本らしさを味わいたくなったのですよ。彼は目元も涼やかに云ってのける。
 切れ上がった眦。整い過ぎたきらいはあるものの、日本人らしい顔立ちをしている彼は和装との相性がいいようだ。しゃんと浴衣を着こなしたシュウの姿に、何とはなしに気恥ずかしさを感じる。まともに視線がかち合ったシュウに、マサキは目を逸らした。
「ねえ、みかん飴食べない?」
 人混みの中。数歩先を往くミオが振り返って、屋台を指差す。
 みかん飴がどういったものか知らない訳ではなさそうだ。そのぐらいでしたら、と、どの飴にしようか物色を始めているミオの背後に立ったシュウが、あなたはどうします。マサキを振り返って尋ねてくる。
「俺はりんご飴の方がいいんだけどなあ」
「お腹いっぱいになっちゃうじゃない。綿あめならまだしも、りんご飴はシェアして食べられないし」
「シェアする? お前、屋台の飯を食い尽くすつもりとか云わねえよな」
「えー? 折角来たんだし、食べられるだけ食べようよ、マサキ」
 話をしている脇でいつの間にか会計を済ませていたシュウが、それぞれ好きなみかん飴を取るように声をかけてくる。まあ、いいけどよ。マサキは他のみかん飴と比べると少し大きく感じられるみかん飴を取り上げた。
「何だよ、お前。今日は気前がいいじゃねえか。浴衣の代金も勝手に払ってるし」そこまで口にして、マサキは嫌な予感を覚えた。「まさかこれも全部貸しとか云わねえよな」
「貸しを押し付けて歩くほど、落ちぶれてはいませんよ。安心しなさい。あなた方への貸しは、地上に連れて来たことだけ。その貸しも……まあ、返してもらったようなものですかね」
 グランゾンを降りた後、話があると、シュウはミオと暫くふたりきりで何事か話をしていた。恐らくその際に算段を付けたのではないだろうか? 当たり前のように後を付いて来るシュウに、何も云わなかったミオ。彼女はシュウの企みを聞いていたに違いなかった。
「返してもらったようなモンて何だよ。花火見物がしたかったてか」
「あなたがそう感じているのであれば、それで結構ですよ」
 シュウはそう云って、静かに微笑んでみせた。けれどもマサキの不信は解けない。果たしてこれだけで貸し借りの清算が済んだものか……沿道に並ぶ屋台を次から次へと覗き込んでは、あれでもないこれでもないと品定めをしているミオに付いて歩きながら、マサキは隣に並んで歩く男の思惑を様々に推測した。
「広島焼いいなあ。食べない?」
 屋台の前で足を止めて、店主の手慣れたへらさばきを眺めていたミオが振り返った。その手には半分ほど残っているみかん飴がある。今の食べ物を食べきる前に次の食べ物を求め出す辺り、どうやら相当祭りの空気に心を踊らさせているようだ。
「その前にみかん飴を全部食えよ。それからだろ」マサキは溜息とともに吐き出した。
「これ食べたら、広島焼を一緒に食べてくれる?」
「ああ、食ってやる。食ってやるから、先ずはそれを片付けるんだな」
 マサキの言葉に、ミオは手にしたみかん飴を齧った。そして沿道に続く屋台を眺めながら、でも――と、言葉を続けた。
「イカ焼きも美味しそうなのよね。あとやっぱりお祭りって云ったら焼きそばも欠かせないじゃない? かき氷もそうだし、チョコバナナもでしょ。綿あめやソース煎餅なんて鉄板よね」
「お前、それ全部食うつもりなのかよ!」
「だってぇ、次いつ来れるかわからないじゃない。男ふたりいれば楽勝でしょ?」
「俺の胃袋にも限界はある」
「私はこのぐらいで充分ですがね」シュウが手にしているみかん飴を掲げた。
 高身長を誇る割には、細身の身体。グランゾンを扱う為にトレーニングを欠かさないらしいシュウは、だからといって食にまで気を回しているのではないようだ。
 恐らくは、見た目通りのカロリー摂取量なのだろう。みかん飴で充分と云ってのけた彼のみかん飴は、殆ど元の形を保っていた。それと比べて、腹具合に任せて食べ進めたマサキのみかん飴の量。残り二、三口となったみかん飴に、そろそろマサキも口寂しく感じるようになってはきていた。
「頼りにならないなあ。お祭りって云ったら屋台なのに」
 不満がありありと見て取れる表情。彼女にとって花火と屋台、どちらを取るかは花より団子であるのだろう。無理もない。ラングランで日本の屋台料理を食べるには、自分たちで作るしかないのだ。
「お前、花火と屋台、どっちを見に来たんだよ」
 彼女の執着心は尤もだとはいえ、釈然としない気持ちが残る。元々は花火見物をしたいという話だった筈だ。それがいつの間にやら浴衣姿での屋台物色ツアーと化してしまっている。
 それはマサキでなくとも、どういったことなのかとミオに尋ねたくなるというもの。
「え? どっちもだけど」
「欲張りだな!」
 マサキの言葉ににひひと声を上げてミオが笑う。
「欲張りで結構。これが日本人のDNA、お祭り好きの血が騒ぐってやつでしょ」
 そう云って、ミオがみかん飴を頬張った刹那、どおん、と沿道の奥から花火が打ち上がる音が響いてきた。

 ※ ※ ※

 日本の夏の風物詩、花火。
 百花繚乱。色取り取りに打ちあがる花火を眺めながら、シュウもまた屋台の料理を抓んで歩いた。
 シュウとしてはみかん飴だけで充分雰囲気を味わったつもりであったのだが、ミオの食欲が旺盛なだけに、マサキとしてはそれだけで済まされるのが面白くなかったようだ。お前も食えよ。と割り箸で抓み上げた料理を、次から次へとシュウの口元に運んできた。
 拒否を続けるのは容易かったが、そうまでされて食べずに済ませられるほど、シュウは根が善人には出来ていない。
 ひと口、またひと口と、マサキに食べさせられるがまま。広島焼、焼きそば、綿あめ、イカ焼きと、シュウは様々な屋台食を口にした。途中でミオが欲しがったお面と光るブレスレットを彼女に、マサキが欲しがった瓶ラムネを彼に買ってやる。そしてチョコバナナ、ソース煎餅と三人で分け合うようにして食べきった後に、自分好みにシロップをかけられるかき氷にレモンで味付けをして食べた。
 ブルーハワイにメロンはマサキ、イチゴとレモンはミオ。夜空を見上げながら食べるかき氷は、長い時間沿道を歩き続けて火照った身体を、胃の底から冷やしてくれた。
 ――浴衣を着せろ?
 グランゾンを降りてミオにそう持ち掛けた時の、彼女の意外そうな表情は特筆すべきレベルだった。
 ――祭りの雰囲気を味わいたくなったのですよ。三人で浴衣を着て花火見物というのも乙なものでしょう。
 ――まあ、別にあたしはいいけど。楽しそうだしね。
 貸しの清算をどうすべきか考えたシュウは、自身もまた祭りに参加することで返させることとした。
 地底世界では決して見られることのないマサキの浴衣姿。それだけでも充分に元を取った気はするが、彼が手ずから食べさせてくれた屋台食。距離感が近いとミオは大いに不審がっていたが、あくまで彼女の我儘から生まれた副産物。シュウとしては棚から牡丹餅である。
 常に戦いの最前線に立ち、オイルと血に塗れた生活を送っているマサキ。彼が日本人らしく過ごしている姿を見てみたいというのは、シュウがかねてから胸に潜ませていた欲のひとつであった。
 それをこういった形で叶える機会に恵まれた。
 偶には他人に善行を施すものだ。シュウは花火が打ち上がる度に感心した声を上げる二人を見下ろした。きっと懐かしさも手伝っているのだろう。子どものように無邪気な表情。彼らは今、かつて自分たちが生きていた時間に生きているに違いなかった。
 ――この表情を見られただけでも、ここに来た甲斐はあった。
 時々、シュウを見上げてくる彼らの表情の、なんと生き生きとした様か。それがただただ愛くるしく感じられる。シュウは自らの口元が綻ばせながら、自身もまた大輪の花咲く夜空へと視線を向けた。