さわさわと草を撫でて吹き抜ける風が心地よい、うららかな陽気の日だった。
サイバスターから降りてラングランの草原を眺めていたマサキの膝の上には、日々愛らしさが増す義妹に持たされたランチボックスが乗っている。どうせまたひとりでどっか行っちゃうんでしょ。口唇を尖らせながらもそれ以上の愚痴を口にすることのなかったプレシア。義兄に対する思いやりの詰まったランチボックスの蓋を、そっとマサキが開いてみれば、たっぷりと具材を挟み込んだサンドイッチが並んでいる。
ひとり分には多く、ふたり分には足りない量。恐らくはまだまだ食欲旺盛な義兄を慮ってのことだろう。充分に腹を満たして余りある量に、頭が上がらねえな。苦笑しきりでマサキが呟けば、「妹だからって甘えっ放し。ちゃんとマサキ、お礼しニャいと駄目ニャのよ」草むらの中でじゃれあっていた二匹のファミリアが、耳聡く言葉を捉えて声を上げる。
「今度おっさんの家の草むしりでも手伝うか」
「あれもこれもプレシアに任せきりニャんて、兄として失格ニャんだニャ」
「わーってるよ。わーってる。明日から暫くは大人しくするさ……」
云って、マサキはサンドイッチを取り上げた。
温暖な気候が常のラングランで、その陽気が持つ魅力に逆らい切るのは難しい。今日は西へ。明日は東へ。マサキと二匹の使い魔は、戦いの合間を縫ってはラングランの雄大な自然を眺めに方々へと足を運んだ。サイバスターの身の丈をゆうに越える滝、山の裾野に広がる菌糸類の森……地上では決して目にすることの出来ない景色も多いラングランの自然は、マサキの好奇心と探求心、そして冒険心を満遍なく満たしてくれた。
――今日は何処に行こうか……
そんなことを考えながら、柔らかい日差しの下。パンに挟み込まれた具材の全てを零さずに食べきろうと、マサキが大きく口を開いたその瞬間だった。
唸る大地。身体の芯を突き抜ける程に強烈な振動が生じたかと思うと、どうやら白亜の機神の姿を目にして立ち寄ったらしい。いつの間にやらサイバスターの近くにまで迫っていた鉄騎が、緩やかにその動力炉を停止させた。
ラングランの抜けるような青空に勝るとも劣らないインディゴブルー。重戦士を想起させる無骨な機体にはある意味似つかわしい。青銅の魔神、グランゾン。鮮やかに飛び込んでくる塗装色に目を細めたマサキは、やがて降り立ってくるだろう操縦者に想いを馳せた。
――この間顔を合わせたのは、いつのことだったか……
とりたてて約束をした訳でもないのに、方々で顔を合わせる男。街中で、草原で、戦場で。決して狭い範囲の世界で生きていない筈のマサキからすれば、彼との邂逅は偶然の巡り合わせでありながらも、必然、或いは運命とでも呼ぶべき導きによって為されたものでもあった。だからといって、はいそうですかと愚直に現実を受け入れられるマサキでもない。自らの往く道は自ら切り拓くものだ。それを知っているからこそ、マサキは腐れ縁になりつつある彼の存在を、時に癇に障るものとして受け止めてしまっていた。
勿論、男のある種の馴れ馴れしさに辟易しているのもある。辛辣な言葉を吐くことも多い彼は、どういった気紛れか、時に露骨にマサキに甘えてきた。肌に触れる手に、口を塞ぐ口唇。それをどう消化すればいいのかわからないマサキは、男の底の知れない態度に翻弄されてしまっているのだろう。だからこそ、彼の行動の逐一に気を張り巡らさずにいられない……。
さりとて、この好天の下でそうした男に対する不合理な感情を晒すのも気が引ける。今日のマサキは総じて機嫌がいい。吹き抜ける風に、青く抜ける空。そして視界を埋め尽くす草原。自然の中にひとりでいることを厭わないマサキからすれば、この環境こそが褒美ですらある。その機嫌を自ら損ねるような真似をしたくない――徐々に近付いて来る人影がその輪郭を濃くするのを眺めながら、出来るだけ自然と取れる表情を繕ったマサキは、少しもしない内に目の前に立った男に、食べるか? とサンドイッチを差し出した。
「ピクニックの最中でしたか」
「まさか。何となく足を運んだだけだ。プレシアに持たされたんだよ。どうせひとりでどっかに行っちゃうんでしょ、って」
「偶には兄妹水入らずで過ごせばいいものを」
サンドイッチを受け取った彼が、マサキの隣に腰を下ろす。マサキは新たにランチボックスからサンドイッチを取り出すと、今度こそそれを味わうべく口を開けて齧り付いた。歯応えのある野菜と肉。それを噛み切って咀嚼すれば、流石は家事に手慣れた義妹の料理だけはあって、そこいらのレストランでは敵わない味がする。
「お前はどういう気紛れだよ。こんな所にまで姿を現すなんて」
「あなたと似たような理由ですよ。この果てのないラングランの平原を気兼ねなく駆けたかっただけの」
「いい天気だしな」
つらつらと言葉を交わしながら、サンドイッチを消化してゆく。美味い。家で食べるよりも数倍美味しく感じるサンドイッチは、きっと男がそう受け止めたように、ピクニックとも思える状況に身を置いているからなのだろう。
「もうひとつ食うか?」マサキはふたつ目のサンドイッチを男に勧めた。
「もう結構ですよ。大事な昼食でしょう、手作りの」
無遠慮にマサキのプライバシーを侵してみせる男は、そうした態度からは想像も付かないぐらいに、時に繊細にも謙虚になってみせるのだ。今にしてもそうだ。恐らくは義妹たるプレシアが作ったサンドイッチであるからだろう。血の繋がりのない家族の絆を尊重してみせた彼は、そのサンドイッチを消化してゆくマサキの隣で、涼し気な表情を晒しながら黙って草原を抜ける風を受けている。
「こんな陽気の日には、この風が恋しくなりますね」
やがてぽつりと言葉を吐いた男が、マサキと名を呼ぶ。何だよ。嫌な予感を覚えながらも、精一杯の虚勢でもってマサキが言葉を返せば、どうやらその予感は当たっていたようだ。
「膝を貸してはもらえませんか」
「またお前はそうやって」
「この風を受けながら、自然の中で本を読みたかったのですよ」
「それと膝枕にどんな関係があるんだよ」
マサキの返事を待つ気はないようだ。早速とばかりにその膝に頭を置いた男が、裾の長い上着の内ポケットから取り出したペーパーバックを開く。何が書かれているのか読み取れもしない題字。これでは練金学の叡智たる翻訳機能も形無しだ。なんだかなあ。マサキは小さく溜息を洩らしながらも、既に書物の世界に没頭している男を跳ね除けられずに、ただ凝っと。吹き抜ける風に揺れる草原に視線を注ぎながら、静かに過ぎゆく時間に身を委ねた。
ワンドロ&ワンライお題ったー
@kyoへの今日のワンドロ/ワンライお題は【膝枕】です。