マサキがシュウの独り家を訪れたのは、前日の夕刻のことだった。
そのまま、ひと晩を彼の許で過ごした翌日。服の虫干しでもする気なのか。クローゼットを開いて朝から慌ただしそうな様子でいるシュウに、長居をするのも悪いかとマサキが辞去の意を告げれば、今から街に出るから付いて来いと外に連れ出された。
「やることがあるんじゃないかよ」
「その前にすべき準備があることを忘れていたのですよ」
話が要領を得ない。用事があるのは間違いないようだが、その準備にマサキを付き合わせて何をするつもりなのか。マサキは不審に思いながらも、もしかして足が必要なだけなのかも知れないと、サイバスターにシュウを乗せて少し離れた大きな街に向かった。
「――で、ここで何をするって?」
道中は他愛ない戯れに費やしていた。
昨晩の情交の余韻に浸るようにマサキに触れてくるシュウの手に、水を差すようなことを尋ねるのも気が引けて、マサキは尋ねたいことも尋ねきれないまま。一羽と二匹の使い魔に目の遣り場に困ると云われながらサイバスターを降りた。
「何かでかい買い物でもするつもりか? まさかここまで来て、生活必需品を買うもないだろ」
交易都市としても名高い州都は、まだ午前も早いというのに、大勢の人で賑わっていた。
朝早くから門を開いている市に、大通りに軒を連ねる問屋。ラングランの名産品や特産品が一堂に会する街だけあって、その華やかさは王都に肩を並べる勢いだ。だからだろう。このままでははぐれると思ったらしいシュウが、マサキの手を取る。
「公の場に出る際にあなたが身に付ける衣装と装飾品を買うのですよ」
あまりにも唐突な宣言に、は? と、マサキが目を剥けば、何かを企んでいるとしか思えない笑みがシュウの口元に浮かぶ。
不穏だ。マサキは頬を引き攣らせた。
シュウがこうした表情をした後に、マサキが無事でいられたことは一度もない。先ずは、シュウに何を企んでいるのか尋ねなければ――そのまま、人波を縫って歩き始めたシュウに、待て、待て待て待てって! マサキは声を上げて、彼の動きを制した。
「いらねえだろ、んなもん」
「あなたが要らなくとも、私は要るのですよ」
「意味がわからねえ。俺の衣装だろ? それを何でお前が必要とするんだよ」
「あなたは公の場でも常にその衣装ですからね。そろそろラングランのしきたりに沿った格好をしてもいいでしょう」
「してない訳じゃない。一応、正装に準じた衣装だって持ってる」
「何着か持っていてもいいでしょうという話ですよ」
人に溢れた大通りのど真ん中で立ち話では、他人の邪魔にならない筈がない。避け損なってぶつかってくる肩。右に左に大車が抜けてゆく。どいたどいた! かけられた声に、ほら――と、シュウがマサキを促して歩き出す。
「安心してください。連れてきたのは私ですからね。今日の支払いは私が持ちますよ」
それはつまり、『自分の好きにする』ということだ。
「それが一番安心出来ないんだがな……」
散々公の場に出てきたマサキとしては、今更新たに衣装やら装飾品やらを揃える意味がまるでわからなかった。そもそもシュウ=シラカワという男は過分に利己的で、マサキに貢ぐにしても、それ相応の見返りを求めてくるような現実主義者である。
その彼が、何の目的を持たずにマサキに物を買い与えたものか?
マサキはシュウの目的に想像を巡らせた。見たいから、などといった理由では絶対にない。そもそも、それらの衣装やら装飾品やらをマサキが身に付ける機会など限られたものだ。年に一度もあるかないかといったその機会の為に、わざわざ衣装やら装飾品やらを揃えるような真似など、合理主義者のシュウはしないだろう。
どう考えても穏便に済まない。
かといって逃げ出そうにも、マサキの手は彼にしっかと握られてしまっている。マサキは助けを求めて視線を周囲に彷徨わせた。とはいえ、王都からは離れた土地。そう都合よく知り合いの姿を見付けられることもない。
「ニャんだか面白いことにニャってきたんだニャ」
「この際だから、一生分の式服を買ってもらえばいいのよ」
「マサキさんにはちょーっとばかりセンスが足りませんしね! ご主人様に任せておけば万事大丈夫ですよ!」
しかも使い魔たちまでこの態度である。
マサキは溜息を吐いた。迷いなく歩んでゆくシュウの背中が、とてつもなく不穏当なものに映る。
せめて、彼が選ぼうとしている服が奇抜なものではないように――と、逃げることを諦めたマサキは心の中でそう祈りながら、シュウの後に続いて街の大通りを歩んで行くことにした。
※ ※ ※
門構えの立派な一点物の高級服を扱う服飾店。
マサキの衣装を買うと云っておきながら、当の本人たるマサキに意見を仰ぐことのないシュウに、彼が見繕った服をマネキンよろしく着せられるばかりのマサキは大いに当惑していた。
「お前……俺の意見はまるで無視かよ……」
「着たきり雀のあなたが私より自分に似合う正装を見繕えるとは思えませんので」
マサキは眉を顰めた。
そうでもなくとも居心地悪くさせる高級感あふれる店内。だというのにこの扱いである。
何を目的にしているのかわからない上に選択権すらないとあっては、シュウの好き勝手な振る舞いを許容しているマサキであっても流石に苛立ちを覚えもする。
「何が目的なのかぐらいは教えろよ」
「大したことではありませんよ。あなたに似合う正装を買い与えたいだけです」
絶対に嘘だ。マサキはシュウを睨んだ。
確かに彼は気紛れで、思い立ったという理由だけで、突然マサキに私服を買い与えたりしてはきていたが、桁の違う正装までもを同じ気軽さで買い求めるような男ではない。
以前、ドレッシーな衣装を買われた時は、ドレスコードが明確なレストランに連れて行かれている。
前菜から始まるフルコース。テーブルマナーに気を遣いながらの食事は、食べた気がしないぐらいにマサキの精神力を削ってくれた。もしや、今回もそういった格式ばった場に連れて行くつもりでは。レストランで身の竦むような思いをしたマサキの心臓は、その場がどういったものであるかを考えただけでも縮こまる。
「……頼むから、せめて自分の着る物ぐらい自分で選ばせてくれ」
耐え兼ねたマサキはそう頼み込んでみたものの、己の審美眼に自信を持っているシュウのこと。柳に風と受け流されては、いつの間にか選び出したらしい次の衣装を手渡される。
「そういう格好をしてるとマサキも立派な剣聖に見えるんだニャ!」
「馬子にも衣装ニャのね!」
フィッティングルームから一歩も出られないマサキを、シロとクロは笑うばかりで助けてくれない。
絶対にあとで髭を切ってやる。そんなことを考えながら、渡される衣装を身に纏う。
ラングランにありがちなゆったりとしたシルエットの正装は、シュウの好みではないようだ。白いシャツにスラックス、金糸で縁を織った藤色の帯、そして同じく金糸で縁を織った肩から下がる紫色の前垂れ。ここに紫紺のマントを被せるつもりでいるようだ。何度目かわからない着替えを終えたマサキは、鏡に映る自分の姿に溜息を洩らす。
どう安く見積もってもシュウのお仕着せでしかない。
「袖は絞り切らない方がいいかも知れませんね」
だのにこの天上天下唯我独尊な男は、マサキの複雑な胸中を慮る気がまるでない。ある種の愉悦を感じさせる表情で、マサキの姿を品定めしては、また別の衣装を手渡してくる。
「ご主人様、納得いくまで選びたいのはわかりますけど、時間に限りがあることをお忘れなく!」
盛大にマサキを茶化すかと思われたチカは、珍しくも全くその手の台詞を口にせずにいた。
どうもこの後のシュウには予定があるらしく、街での買い物は三、四時間が限度らしい。それをマサキの衣装を選ぶのに熱中するがあまり、主人が忘れはしないかと気にしているのだろう。しきりと急かしてくるチカに、わかっていますよ――と、シュウが悠然と微笑む。
余裕綽々な態度は、脳内で完成図が仕上がっているからなのだろう。次から次へと衣装を選んではマサキに試着させ続けるシュウは、その青写真にぴたりと嵌まる衣装を探しているようだった。
それでも限られた時間では決めかねたようだ。
結果、袖口だの襟ぐりだののカッティングが異なるだけの同じシルエットの衣装を、シュウはキャッシュで五着――上下揃いのセットで購入した。
腐っても正装だけはあって、マサキの普段着が百着ぐらいは買える札束が舞ったが、その現実を直視するのは怖ろしい。マサキは敢えてシュウの散財に何も云わずに店を出た。
衣装が揃えば装飾品だ。
こちらは既にどの宝石を選ぶか決めていたようだ。紫と金のバイカラーを持つアメトリン。それ以外の宝石には目もくれず。ありったけの装飾品を出させたシュウは、三十分ほど悩んだ末に、マントの留め具にしては立派過ぎる鳳凰型のブローチを選び出した。
金額に関しては、聞くまでもない。
天然鉱石が豊富に産出されるラングランでも、希少な宝石には高値が付く。当たり前のことではあるが、衣装の購入金額を超える値段を店員が口にするのを耳にしたマサキは、全身から血の気が引くのを感じずにいられなかった。
「もうこのまま結婚式をしてもおかしくないぐらいですね!」
などと宣ったチカに、悪戯心をくすぐられたようだ。追加で揃いのアメジストの指輪を購入したシュウに、嵐はこれからが本番であるとわかっていながらもマサキはくたびれ果ててしまっていた。
「――で、何をするつもりなんだよ。お前」
滞在時間、三時間。食事もとらずにサイバスターに乗り、シュウの自宅に帰り着いたマサキは、彼ひとりでは持ちきれない荷物をともに家に運び込みながら、そこで再び散財の理由を尋ねた。
「大したことではありませんよ」
流石にそろそろ種明かしをしてもいいと思ったようだ。開け放しになっていたクローゼットの中からよそ行きと思われる衣装を取り出したシュウは、続けて買ってきた荷物の中からマサキひとつを選び取ると、それをマサキに着るように告げてきながら――この世の邪悪を全て詰め込んだような笑顔を浮かべてみせた。
「知り合いのパーティに行くだけですよ、マサキ」
「パーティ、だと……しかも、お前の知り合いの?」
「皆、救国の英雄であるあなたの話を聞きたがるものですから、連れて行くと約束してしまったのですよ」
終わった。マサキは呆然とその場に立ち尽くした。
絶望で目の前が真っ暗になる。
元王族であるシュウの知り合いは有閑階級が多くを占める。働かずして生きていける彼らは鷹揚で、暇を持て余しているからか、奇抜なものやことを好む傾向が強い。彼らにかかれば剣聖たるマサキも希少価値の高い切り札に早変わりだ。
俺は珍獣扱いかよ。衣装を握り締めながらマサキが呟けば、まさか――とシュウが声を潜めて嗤った。
※ ※ ※
散々な目に遭ったマサキが、シュウとともにパーティ会場を後にしたのは、日付が変わってからだった。
「どうでしたか、マサキ。パーティは」
「二度と行かねえ」
月明りの下、サイバスターで往く帰路。マサキを膝に抱えたシュウは酒が入っていることもあって、上機嫌な様子でいる。
「良く似合っているというのに」
マサキの衣装の裾を抓んでシュウが笑う。
してやったりと云わんばかりの表情。自分の思い通りに事が運んだのが愉しくて堪らないようだ。それがとてつもなく面白くない。マサキは頬を膨らませながら、サイバスターを夜の平原に突入させた。
「何だかんだでパーティに付き合うことを決めたのは御自分なのに。妙な態度を取りますね、マサキさんも」
シュウの肩口にとまっているチカが、どこか呆れた風に言葉を吐く。
「ああ、ああ。そりゃあな」マサキは吐き捨てた。
確かに、ある程度物珍しく扱われるのを覚悟の上で出たパーティだった。風の魔装機神の操者、地上人マサキ=アンドー。地底世界の有閑階級の人間からすれば、住む世界の異なるマサキの肩書は興味を掻き立てられるものばかりだ。
だが、今回のパーティで、彼らが興味を抱いていたのはそこではなかった。
――救国の英雄たる君が、こういった格好を大人しくするとはねえ。
サイバスターの操縦の為に酒を控えたパーティ。案の定というべきか。マサキの格好は、シュウの知り合いたちの好奇心を擽ったらしかった。当たり前だ。白を基調とした衣装に、紫色の差し色。マサキ自身もどうかと思った正装を、彼らが何とも思わなかったとしたら、その方が余程の大事件である。
それでもその衣装に、それ以上の深い意味などマサキはないと思っていたのだ。
――大事なものをひけらかしたくて堪らなかったのだろうね。
参加者のひとりが耳打ちしてきたところによると、何でも近頃の上流階級では、配偶者――またはそれに準ずる相手に、自分と同じカラーの衣装を着せるのが流行っているのだそうだ。その瞬間のマサキの絶望と羞恥! それは即ち、シュウが初めからそういった相手としてマサキをパーティに連れてゆくのが目的だったことを示している。
それは大枚も叩く筈だ。
とはいえ、軽い眩暈を覚えながらも、マサキはそこで踵を返さなかった。それどころか、周囲を十重二十重に取り巻く参加者たちの相手を最後まで務め上げた。
そもそも、貴族連中のパーティで魔装機神操者としての活躍を尋ねられることは良くあることだったし、その経験の分、そうした話をするのはマサキ自身大分手慣れているつもりであった。だが、暇を持て余している有閑階級の彼らは、そうしたありきたりな英雄譚には飽きてしまったのか。それとも、最初からそちらが目的であったのか。シュウとの馴れ初めばかりを尋ねてきた。
――あのストイックな元大公子が、まさか身を固める時がくるとはね。
彼らの中では、マサキとシュウの関係が単なる知己の仲でないは確定事項のようだった。いつから? どんな風に? マサキは彼らの終わりのない問いを、のらりくらりと躱し続けた。振り返れば、自分のことながら、よくぞ逃げ出さずに最後までパーティ会場に居たものだと思うぐらいの忍耐力だ。
「あのよ」
マサキは酒臭い息を吐きながら、顔をマサキの髪に埋めているシュウを振り返った。
「お前、俺を褒めようって気にはならねえのかよ」
「感謝していますよ、勿論。とてもね」
どうだか。マサキは視線を正面モニターに戻した。
短気なマサキが驚異的な忍耐力を発揮したのは、この自尊心の高い男の面子を潰さない為である。
無邪気な横柄さが憎らたらしいとシュウに面と向かって云われることもあるマサキだが、彼が面目を保てるように立ち回ってみせるぐらいには、彼に対して愛情を抱いている。シュウのみっともない姿を見たくない。それはマサキ自身の、紛れもない願いのひとつであった。
だというのに、彼はそれを当たり前のことと受け止めているのだろう。
全く心の篭ってない返事に、庇い甲斐のない――と、マサキは肘でシュウの腹を小突いた。
「本当に思ってやがるのかよ。お前、途中で俺を放っぽって、方々で歓談してたじゃねえか」
「あなたの人気が予想以上でしたからね。私が傍にいては却って邪魔になると思ったのですよ」
「よく云うぜ」
マサキはサイバスターの巡行スピードを上げた。
独占欲と所有欲。嫉妬心の強い男は、こうして外堀を埋めることで、マサキの逃げ場を塞いでゆくのだ。
「あんまり無茶な操縦は良くニャいんだニャ」
「お腹に入っているものが出ちゃうのよ」
計器類の上に陣取っている二匹の使い魔は、パーティでたらふく飲み食いをさせてもらったらしく、膨らんだ腹を餅のように潰しながら伏せている。呑気で鷹揚な二匹の使い魔のだらしのない姿に、マサキは溜息を洩らす。
「早くこの堅苦しい服を脱ぎてぇんだよ」
当然のことながら、パーティの最中に彼らがマサキを庇いに来ることはなかった。それどころかシュウと一緒になって面白がっていた節さえある。ああ、憎々しい。マサキは更に巡行スピードを上げた。
流れる景色が、筋を描いて後方の闇へと飲み込まれてゆく。
とんでもない時間を過ごすこととなったパーティの良き思い出は、料理が美味かったことぐらいだ。それでも、口で云うほど腹が立っている気がしない。それはマサキが、シュウからのそうした扱いに優越感を感じてしまっているからでもある……
自身のそうした浅ましさを、シュウにだけは見抜かれたくない。
けれどもきっと、頭脳に勝り、人の心の機微に長ける彼のこと。マサキの複雑な感情も彼はとっくに読み解いてしまっているのだろう。不意に腰を抱える手に力を込めてきた彼は、マサキの耳元で、私が脱がせてもいい? と、それは満ち足りた声音で囁き掛けてきた。