貸し借りの清算 - 1/2

1.マサキ編

「……貸しを返してくれるんだよな」
 積もりに積もった貸し借りをついに清算する気になったらしい。取り敢えず家に来るようにとシュウに呼び出されたマサキは、リビングのソファに座ったまま、自分に向けて手を差し出している男の行動の真意を測りかねて首を捻った。
「そうですよ。ここまでかなりの借りをあなたに作ってしまっていますしね。この機会に一気に返してしまおうかと」
「それはわかった。だがな、その手は何だ」
「借りを返すと云っているのが聞こえないのですか」
「いやだから、その手は何だって話を」
 マサキ。と、シュウが名前を呼ぶ。マサキは口を噤んだ。
 しかし、彼がそれ以上の言葉を継ぐ気配はなく。仕方なしにマサキは一歩、彼の前へと歩み出た。どうやら彼がマサキの名を呼んだのは、余計な詮索をするなという意味であるようだ。
 ということは、この手を取るまで話が進まないということでもある。
 マサキは手を前に出した。
 その手を掴んだシュウが自分の方へと、マサキの身体を引き寄せる。マサキはその導きのままに、シュウの膝の上へと乗り上がった。
「おかしいだろ。貸しを返すって、これじゃお前が得をするだけだろ」
 ゆっくりと背中に回された手が、マサキの身体をやんわりと抱き留めている。その肩に顔を埋めながらマサキは愚痴た。まさか――と、続く言葉。これが借りを返すことなると本気で思っているらしい。シュウがクックと嗤う。
「勿論、これだけではありませんよ」
「その発言こそが問題だな。何をしでかすつもりなんだ、お前」
 警戒心を強めたマサキに、誤解を受けるような振る舞いしかしていないという自覚はあるようだ。ねえ、マサキ。シュウがこれまでとは打って変わった穏やかな口振りで尋ねてくる。
「今日のお昼は何を食べたいですか」
「何だ。お前が作ってくれるってか」
「勿論ですよ。借りを返すのですからね。あなたの我儘ぐらい、幾らでも聞いて差し上げましょう」
「だったらこの体勢に持ち込むんじゃねえよ」
 マサキはシュウの肩に頭を預けたまま瞼を閉じた。規則正しい彼の胸の鼓動が、その肌越しに伝わってくる。
 まるでメトロノームのようだ。聞いていると強張った身体の緊張感が解けてゆく。
 何を注文しようか……つらつらとした眠りへと引き込まれそうになりながら、マサキは彼の問いに答えるべく、今日の昼食を何にしようか考えた。肉にするか魚にするか。それとも……。
 眠いですか? シュウが途中で尋ねてくる。少しな。そう答えたマサキは、やややって顔を上げた。
「ロコモコだ。ロコモコが食いてえ」
「ロコモコ?」
「ハンバーグ丼みたいなもんだよ。作り方は俺が教えてやる。だから作れ」
「わかりました」間近にしたシュウの口唇が幸福そうに言葉を紡ぐ。「今直ぐに作り始めますか。それとも」
「食べたら寝る。だから今直ぐ作れ」
 いつもは取り澄ました表情ばかりを晒している彼の顔が、時々こうして幸せを噛み締めているかのように緩むのをマサキは何度も目にしてきていた。それは決して、他人を目の前では露わとなることのない表情だ。
「お前、そういった表情を他人にも見せてやったらどうかね。そうすりゃもうちょっと誤解も減るだろうよ」
 身体から離れる手。ソファから立ち上がったシュウを追いかけながら、マサキは常々思っていたことを口にした。
「御冗談を。あなたはともかく、あなたの仲間とまで馴れ合うつもりはありませんよ」
 本人は無自覚にやっているのではないかとマサキは懸念してたが、どうやら大いに自覚があったようだ。そう言葉を返してきたシュウの表情は、マサキでなければ腰が引けてしまいそうなまでに冷ややかだった。
「そうかよ。まあ、わかっててやってるならいいけどよ」
 マサキはシュウの隣に並んだ。そして呟いた。
 変な男。
 自分だけを特別扱いしてくる男は、何を考えてそうしているのだろう。わかったようなわからないような気分になりながら、マサキは温かな眼差しを自分に注いでくるシュウへと向き直っていった。