通り雨

 突然の大雨にずぶ濡れとなったマサキは、ひととき身体を休める場所を求めて寄ったのだという。
 濡れそぼる身体から滴り落ちる雨で、床に水溜まりを作られては敵わない――建てられてからかなりの年数が経過しているらしいログハウスの建材は、その年数の割には丈夫さを保ち続けている。それが大量の水分で腐食してしまっては、折角の独り家が台無しだ。
 シュウは快適な生活を保つのに、自らの労力と時間を割くことを惜しむ性格であるのだ。
 だからこそ、追い立てるようにマサキをバスルームに押し込んだシュウは、彼が脱ぎ捨てた衣類を乾燥機に押し込んで、その代わりとなる衣装を探しにベッドルームへと向かった。
 クローゼットを漁る。
 どうせ衣類が乾くまでの一時しのぎ。束の間、身体を隠すに足りればいい。そうは頭で理解しているものの、いざ衣装を選ぶとなると、それなりにマサキに似合った衣装を着せたくなるのだから困ったものだ。
 シュウとマサキの好みは、基本的にどの物事に対しても逆の方向を向いている。それは服の好みにしてもそうだ。
 装飾性を求めるシュウに、機能性を求めるマサキ……クローゼットの中身をひと通り眺めたシュウは、それはそれで見てみたい格好でもあると思いながらも、果たしてマサキが素直にそれらの衣装を身に付けてくれるかと考えて、それはあまりにも無謀な試みだとひとり笑った。
「まあ……もっとシンプルな衣装の方が、無難でしょうね」
 そもそも身体の大きさからして違うのだ。シュウと比べて頭ひとつ分は低い上背。肩幅も胸周りもサイズが違う。彼に自分の服を着せたら、服を着るというよりも、服に着られているといった状態になるに違いない。
 ――だったらいっそパジャマでも着せようか。
 たかだか束の間マサキに着せるだけの服に、時間をかけるのも勿体ない。すべきことやしたいことは山積みなのだ。シュウはクローゼットの中のタンスの引き出しを開いた。引き出しの中には、シルクにサテン、リネン製の落ち着いた色合いのパジャマが、几帳面に折りたたまれて並べられている。それらをマサキが着ているところを想像したシュウは、彼がこれらを着たら、袖や裾をどれだけ折り返すことになるのやら……と、自らの滑稽な想像にまた笑い――。

 ふと、悪戯めいた感情が、胸の内に沸き上がった。

「おい、シュウ……」
 シャワーを浴びて冷えた身体を温めたマサキは、シュウが用意をした服を身に纏って、彼が読書に耽溺しているリビングに姿を現した。
 サテン地のパジャマの上だけを羽織ったマサキは、「下着を貸せとは云わないから、せめて下を履かせろ」と、ソファに身体を埋めて書物をつまびらくのに余念がないシュウの目の前に立つと、そう愚痴た。
 腿の半分まで裾が覆うサイズの合わないシャツ。袖は手の甲を覆って、指先近くまで伸びている。それを手元の本から顔を上げて、眺めること暫し。「お似合いですよ」シュウは澄ました笑みを浮かべて、しらと云ってのけた。
「巫山戯ろよ。いくら暖房を効かせているからってな、風邪を引かないとも限らない。操者は体調管理も仕事の内なんだろ。てめえがやったことでてめえに説教されるなんて、俺は御免だからな」
「流石にそこまで理不尽な思いをあなたにさせたりしませんよ、マサキ。ちゃんと暖房を入れているでしょう。あなたに合わせてそれなりの温度設定にしてありますが、それでも寒い?」
「寒くはないけどよ……」
 一歩歩くだけで、足の間で空気が動くのを感じる。それがマサキをなんとも落ち着かなくさせるのだ。
 せめて下着があれば、こうまで居心地の悪さを感じることもなかっただろうに……さりとて、家主の許可を得ずに、勝手にクローゼットだのタンスだのを漁るのも気まずい。
 他人ならいざ知らず、几帳面で神経質な男が相手なのだ。
 おまけに自分と張り合えるほどにかたくなな。
 そのまま再び読書の世界に舞い戻ってしまったシュウを暫く見下ろして、マサキは結局こうするしかないのだと、自らの格好を改めさせるのを諦めて、シュウの隣に腰を下ろした。足の間に空気を感じて仕方がない。その気恥ずかしさを押し隠すように、マサキはシュウの肩にもたれた。
「どのくらいで乾くんだ、服」
「あと三十分ぐらいでしょうかね」
「本当に風邪を引きそうだ」
「大丈夫ですよ。もしあなたが風邪を引いたとしたら、私のしたことが原因ですしね。責任を持って治るまで面倒を見ますよ、マサキ」
 とはいえ、よもやそんなことが目的ではあるまい。いかにこの男が稀にマサキの理解の及ばない嗜虐嗜好を露わにしてみせるからといって、わざわざ看病をしたいが為にここまでの薄着を強いたりはしないだろう。
 ――と、いうことはこれはつまり……。
 そこまで考えたマサキはシュウの取り澄ました顔を見上げる。
 本から視線を外したシュウが、微かな笑みを浮かべてマサキを見下ろしてくる。
 ――よくお似合いですよ。
 再びそう口にしたシュウは、続けて、「今日は帰らないと駄目?」と、マサキ予想通りの言葉を吐きながら、その耳元に熱い吐息を吹きかけてきた。

リクエスト「彼シャツ」