選択肢はいくつ

 草原をサイバスターで駆けている最中だった。
 デート、デートと追い縋ってくるリューネをどうにか振り切った矢先のことだ。揺らめく陽炎とともに不意に眼前に姿を現わした青い機影。間近に迫らないと索敵機能が反応しない反則的な性能を誇る機体の乗り手は、サイバスターとマサキを目にして通り過ぎるのもどうかと思ったようだった。
「久しぶりですね、マサキ。随分と急いでいるようですが」
 モニターに映し出されるいけ好かない顔。薄い口唇が歪んだかと思えば、切れ長の瞳が微かに細まる。本当に気障ったらしい男だ。マサキは眉を顰めた。
 シュウ=シラカワ。因縁めいた縁で結ばれているらしい男は、争乱の都度、マサキの目の前に姿を現わした。
 それでも、最近はその表情にも慣れてきた――。当たり前だ。マサキは彼と出会ってから過ぎた歳月を思った。
 地底に召喚され、地上に戦いに渡り、そしてまた地底世界で戦った。移りゆく季節を感じる暇もないままに戦い続けた日々。ラングランの平定を取り戻したマサキは、気付けば二十歳を超えていた。
「まあ、急いでるっちゃ急いでるがな……」
 リューネを振り切ってから十分ほど経っている。流石にもう彼女に見付かることはないとマサキは思うが、目の前にいる男も長く顔を突き合わせていたい相手ではない。なるべく早くこの場を立ち去りたい。男の鼻持ちならない口振りが苦手なマサキとしては、どう彼との話を切り上げるかで頭がいっぱいだ。
「あなたが急いでいる理由を当ててみせましょうか、マサキ。リューネに追い掛けられていたのでしょう」
「なんでお前がそれを知ってるんだよ!」
「そこでヴァルシオーネRを見掛けたのですよ。私の言葉も聞かずに行ってしまいましたがね」
「どっちに行ったよ」
 想像以上に近くに迫ってきていた脅威リューネに、マサキはその行き先を尋ねずにいられなかった。
 目の前の男に付き纏っている一団をマサキは良く金魚の糞と評したが、それに張る勢いの持ち主であるリューネ。ひとたびスイッチが入ろうものならマサキの気持ちなどお構いなし。地の果てまでも追い掛けてこようとするリューネを撒くのはさしものマサキでも骨が折れる。
「西に」
「そっか……」
 マサキはほっと胸を撫で下ろした。来た方向とは逆側に向かっているようだ。
 決してリューネのことは嫌いではない。むしろ仲間として信頼を寄せている。だが、四六時中付き纏われては流石にストレスが溜まる。
 マサキとしては、例え仲間であろうとも程良い距離感でいたいのだ。それは胸を撫で下ろしもする――マサキは操縦席に身体を深く埋めた。
「何であいつあんなに執念深いかね」
「リューネが、ですか」
「この話の流れで他に誰がいるよ」
 何故かはわからないが、彼女との付き合いは時にマサキを酷く疲れさせた。別にふたりでいたからといって、必ずしも何かを話さなければならないといったことはないのに、リューネと来た日には、あれこれとマサキの話を聞きたがっては返事をするのが億劫になったマサキに怒り始める。
 勿論、マサキもただ黙って彼女の振る舞いを許容している訳ではない。折に触れてはリューネにそうしたことも含めて自分の希望を伝えてきた。
 必要以上に構われたくないマサキとしては、静かにしていて欲しい時や放っておいて欲しい時もあったものだが、けれどもそれがリューネには上手く伝わらないようだ。だから、いつまでもしつこくマサキを追い掛けてくる……それはマサキも相手をするのが面倒にもなったものだ。
「愛だの恋だのは余所でやれってな」
 溜息混じりに呟けば、思うところがあるようだ。微かにシュウの眉が歪む。
「随分と冷たいことを云いますね。彼女はあんなにあなたを想っているのに」
「冗談だろ。世界が狭過ぎる」
「その狭い世界で番う相手を探すのが人間でしょうに」
「別に必ずしも結婚しなきゃいけないって訳でもないだろうよ。俺はもっと広い世界が見たい」
「奇遇ですね。私もですよ」
「あんまり気が合いたい相手でもないがな」マサキはモニターの向こう側で薄く笑みを浮かべているシュウを見詰めた。「その果てに辿り着いた時にリューネじゃなきゃってなるならまだしも、こんな中途半端な状態でどうこうなるってな。そりゃあいつにも失礼だろ」
 瞬間、モニターに映るシュウの顔が、何だか酷く奇異なものを見るような表情になった。
「随分と夢を見ているような台詞を吐きますね」
「何をだよ」
「あなたはまだ子どもだということですよ」
 クックと声を潜ませて嗤ったシュウが、世界のどこかに自分の最愛の人がいる――と、謳うように言葉を継いだ。
「浪漫を追い掛けるのも結構ですが、現実を直視することも大切ですよ。いるかいないかもわからない運命の相手を探すのは、選択の幅を狭める行為でもありますからね」
「逆じゃないか」
「それだけ具体的な像を描いているでも?」
「まあ、そりゃ、理想ぐらいはな……俺にもあるけどさ……」
 けれども多くは望まない。
 マサキはただ、一緒にいても沈黙が苦痛にならない相手が欲しいだけなのだ。
 信頼する仲間と賑やかに過ごす日々は確かに楽しい。それでもひとりになった瞬間に、楽になったと感じてしまう自分がいる。それはマサキにとって、ひとりで気ままに過ごす時間が仲間といる時間に勝っていることを意味していた。
「リューネに、ウエンディに、まだ見ぬ理想の相手ですか。思ったよりあなたは贅沢な人間なようだ」
「贅沢を云ってるつもりはないんだがな」
「どれかを選ぶつもりでいる時点で相当に贅沢でしょう。だから、マサキ。そういった贅沢なあなたに選択肢を増やして差し上げますよ」
「選択肢を増やす? どういうことだよ」
 もしかして、自分に恋心を抱いている女性が他にもいるのだろうか? そういった想像が脳裏を過ぎる。まさかな。マサキはその考えを即座に打ち消していた。
 シュウ=シラカワという男は、時々盛大にマサキを揶揄ってみせるのだ。
 だからマサキは云った。「やっぱいい」聞かずに済ませた方がいい話も世の中にはある。そう思ったからこそ出た言葉った、のに――。
「私もその中に加わると云っているのですよ」
 さらりと吐き出された言葉に、揶揄われているのだろうか? マサキは悪戯めいた笑みを浮かべているシュウの顔をまじまじと見た。けれども、彼はそれ以上言葉を重ねることをせず。
「考えておいてください。では」
 そうとだけ続けると、何事もなかった様子でその場から立ち去ってゆく。マサキは呆然と遠ざかってゆく青い機影を眺めた。考えておけ? ややあって、じわじわと全身の感覚が取り戻される。
「おい、シュウ! それはどういう意味――」
 はっとなってマサキは叫ぶも、その姿は平原の向こう側。小さく揺らめくばかりだった。