酒臭い息を吐きながらクッションの中に埋もれているシュウに、素面のマサキは抱き締められていた。
かなり前から決まっていたスケジュールだったらしい。気の向くがままにシュウの許を訪れたマサキに、待っていなくともいいと告げて、夕方、知り合いが開催するパーティに出掛けていったシュウは、それから五時間ほど経過した夜半になって帰宅した。
シュウのスケジュールを確認しなかった自分に非があると認めていたマサキは、彼の言葉に従って待たずに帰るか悩んだものの、決して短くない距離を移動してここを訪れている身である。今日は帰らないと云って家を出たものを、結局トンボ返りでは、口喧しい義妹に痛くもない腹を探られようというもの。
それに、騒々しい日常生活に疲れてもいた。
気のいい仲間たちを鬱陶しく感じている訳ではなかったが、会話が途切れない彼らと一緒に居ると静けさが恋しくなる。風のざわめき……草木のささめき……波のさえずり……人けに溢れた街を離れて、どこかでひっそりと時を過ごしたい……だからといって、文明の影も形もないような自然の中でひとりぼっちになりたいとは思えなかった。
文明社会の恩恵を受けて生きてきたマサキは、完全なる孤独に晒されるのは嫌なのだ。
ただ誰にも干渉されずに一日を送りたいだけ。そう、居所をともにしているプレシアにさえも邪魔されることなく、自分の思うがままに振舞いたい。そして、寛ぎたい。
そういったマサキの我儘な欲を叶えてくれるのが、他人とのコミュニケーションを最小限で済ませてくれるシュウになるのは当然の成り行きだった。
彼はマサキを傍に置いても過剰なスキンシップを取るでもなく、まるでそれも日常のひとつであるかのように振舞ってみせた。自分のタスクやルーティンをこなし、時にやっとマサキの存在に気付いたといった態で語りかけてくる。ふたりの時間を大切にする世の恋人たちとはかけ離れた付き合い方であるという自覚はマサキにもあったし、もしかするとシュウ自身もその事実に気付いていたかもしれなかったが、存在しているのが当たり前でありながら気にならずにいられる関係は、猫のように気紛れなマサキにとっては自分を削らずにいられる唯一無二のものだった。
かといって、全く構われないかというとそういったことはなく。
気紛れにシュウに触れにゆくマサキと同様に、シュウもまた気紛れにマサキに触れてきた。ベッドの中は勿論のこと、偶にはバスをともにもしたし、息が合った時に限られはしたが、昼日中からソファの上で睦み合うこともある。そもそも、同じ空間でめいめい勝手な時間を過ごすだけでいいのであれば、恋人といった面倒臭い関係を続けようなどとは思わないだろう。少なからず彼からのスキンシップを期待しているからこそ、マサキはシュウの許を訪れたものだし、シュウもまたマサキに触れたいと思っているからこそ、マサキを恋人という座に縛り付けているのだ。
だから、こうしてシュウに抱き締められていること自体に不満はない。
恐らく、酔って人恋しくなったのだ。
あまり量を飲まないマサキが酒で酷い醜態を晒すことは滅多になかったが、自身の肝臓に自信を持っているらしいシュウは稀に正体を失ってしまうことがあった。きっと酒席では酔うまいと気を張り詰めているのだろう。家に帰り着くなり崩れ落ちてしまうこともままあった。
今日の酒がそうならなかったことは幸いだが、かといって酒に溺れてしまっていない訳ではない。三十分ほど前、家に明かりが点いていることでマサキがいることに気付いたのだろう。激しくチャイムを鳴らしてマサキを玄関に呼び付けたシュウは、ふらつく足取りでマサキに抱き着いてきたかと思うと、マサキが止めるのも聞かずにマサキを抱き上げてリビングへと運び込んだ。
そこからずっとこうだ。
片時も自分を離そうとしないシュウに、マサキは小さく溜息を洩らした。嫌ではない。嫌ではないが、翌日になって自分のしたことを思い出せずに尋ねてくるのではないかと思うと気が気ではない。飲んで正体を失った翌日のシュウは、マサキに微に入り細を穿つように、酔った自分が何をしたのかを事細かに語らせるのだ。
シュウ=シラカワという男は、マサキを好き勝手させている割には、その時間の記憶がないことには耐え切れないらしい。流石は執着心の強い男だけはある――マサキは自分に覆い被さっているシュウの顔を、前髪の隙間から盗み見た。
酔いが顔に出ないタイプであるようだ。いつもと何ら変わりない端正な面差し。多少、表情が緩んでいるようにも感じられるが、だからといって鋭利な刃物のような印象が和らぐでもない。
つまりは無表情に等しい。
それが先程から自分の髪の匂いを嗅ぎ続けている。マサキとしては何かの冗談なのではないかと思うが、シュウは至って真面目に匂いと向き合っているようだ。草木と太陽の匂いがする――などと口にしては、マサキの手を取り上げて指を舐めてくる。
「お前、酔ってるよな」
「酔ってますよ」
「気障ったらしいところは変わらねえ」
指から口を離したシュウが、何が不満? と問い掛けてきながらマサキの口唇を吸ってくる。不満はねえけどな。マサキはアルコールの味が残る口唇を舐めながら答えた。「明日になったら全部忘れてるんじゃねえかと思うと気が気じゃねえ」
帰宅してからここまで。触られる以外のことをされていない。
明日の朝のことを考えると気が滅入る。気恥ずかしさといたたまれなさ。マサキが羞恥に悶える姿を楽しんでもいるのだろう。これに関してのシュウはなあなあで話を済ませるような真似はしなかった。
「なら、忘れられない夜にすればいいのでは」
酔って気が大きくもなっているのだろう。もしや、これまでの失態までも忘れてしまったのか。恐ろしいことを口にしながらこめかみだの頬だのに口付けてくるシュウに、マサキは表情を歪めるしかなく。
「止めとけよ。そう云ったお前が翌日に前の日の夜のことを覚えてたことなんてないぞ」
「大丈夫ですよ、マサキ。今日は」
「賭けてもいいような気がするな。忘れてたら、明日はお前が飯を作れよ」
「勿論」
もしかすると、飯の支度ぐらいで済むのであれば安いと思っているのかも知れない。ほら、と立ち上がったシュウが、次いでマサキの身体を軽々と抱き上げてみせると、幾分しゃんとした足取りでベッドルームへと向かい始める。
「明かり、点けるのかよ」
ベッドルームに入るなり明かりを点けたシュウに、マサキの脳裏を嫌な予感が過ぎった。
「それは勿論」
涼やかな笑顔が、凶悪に映る。
「明日はたっぷり聞かせてもらいますからね。今日の私があなたに何をしたのか」
今更に自分がミスを犯したとマサキは気付いたが、時既に遅し。酔っていても頭の回りは変わらぬようだ。盛大に自分を嵌めた男の余裕ありげな態度に、だったら朝食の支度なんかで手を打つんじゃなかった――マサキはそう臍を噛むも、この状況ではどうにもならない。ベッドに組み敷かれた自らの身体がこの後どうなるのかを知っているマサキは、諦めて目を伏せた。
リクエスト
「シュウさんが酔ってるか、寝ぼけてるかして、マサキの頬をもちもち揉んだり、髪をスンスン吸ったり、顔中にチュッチュッとバードキスをしたり…。とにかく意識がぼーっとしてるシュウさんがマサキを“可愛い可愛い”と愛でる」