鍋奉行の乱心

 皆で材料を持ち寄って鍋をしようと云い出したのはマサキだった。
 リビングのテーブルを囲んで座っている面々をマサキは見遣った。テュッティにヤンロン、ミオ。プレシアにリューネとウエンディ。彼らがめいめいに持ち寄った食材を、先ずはきちんと検めなければ。マサキは彼らに食材をテーブルの上に出すように伝えた。
 日本の食文化に深い馴染みがない仲間たちが何をしでかすか考えなかった訳ではなかったが、もう随分と長い付き合いだ。マサキとしては、これまで振舞ってきた日本食の数々から、使われる食材の傾向を把握してくれていると思っていた。
「で、これは何だ。テュッティ」
「ルッコラよ」
「るっこら」
 マサキは気の抜けた声で復唱した。
「こんな感じの野菜、あなたが作ってくれた鍋に入っていた気がするのだけど」
「それは多分、春菊だな」
 形だけ見れば、確かに似ていなくもない。だが、好んで食べる食材ではないにせよ、マサキにもルッコラがサラダに使われるハーブだという知識はある。果たしてこれを鍋に入れていいのか――悪気があってのことではないのがわかるだけに、マサキはテーブルにどでんと載っているルッコラの扱いに頭を悩ませた。
「お兄ちゃん、次はあたし! じゃじゃーん! チーズでーす!」
「ちいず」
 自信たっぷりな様子でチーズを差し出してきたプレシアに、マサキはまたも脱力した。
 他の仲間はさておき、兄妹として食卓をともにすることも多いプレシアには、これまでかなりの日本食を振舞ってきた。すき焼き、おでん、牛丼、親子丼、肉じゃが……マサキが覚えている限り、それらのメニューにチーズを使ったものはなかった筈だ。
「どんな味になるのかなあ? 楽しみ!」
 だのにこの暴挙。春菊に似ているという理由でルッコラを選んだテュッティと比べると、明らかに出所不明だ。家事の腕なら仲間内では随一を誇るプレシアだが、未知なるジャンルの料理に精通するにはまだまだ経験が足りなかったようだ。
「ルッコラに、チーズ……」
 どう組み合わせてもサラダにしかならない。マサキは悩ましさに顔を歪めた。そしてキラキラと目を輝かせている義妹の純粋にも限度がある表情を窺った。
 この笑顔は裏切れない。
「まあ、ワンチャン餅巾着にすればいけるか……?」
 チーズ入り餅巾着なら、鍋の具材にもなる。ルッコラの始末については後に回すことにして、チーズの使い道を決めたマサキは次なる刺客と向き合った。
「ヤンロン」
「何だ」
「中国は日本のお隣さんだ」
「そうだな」
「期待してるからな」
 流石にヤンロンであれば、日本文化に多少の造詣はある筈だ。前のめりになりながらマサキはヤンロンに迫った。日頃は堅物が服を着て歩いているような顔つきの男も、そこまで期待されるのであれば――と気を良くしたようだ。僅かに口の端を歪めてみせると、目の前に置いてある袋の口を開いてみせた。
「喜べ、マサキ。出汁にもってこいの食材だ」
「……何だよこれは」
 ごろり――と、転がり出てきた食材にマサキは目を剥いた。見る者によってはグロテスクと感じる形状。生白い塊と、橙色の枝のような物体。ごつごつとした肌触りが容易に想像出来るそれは紛れもなく、
「豚と鶏の足だ」
「お前、絶対にわざとやってるだろ……」
「美味い出汁が取れるぞ」
「俺が作ろうとしてるのは鍋なんだよ! 拉麺じゃねえ!」
 流石にこれを調理するのは今のマサキの料理の腕では無理だ。マサキは肩を落とした。
「ねえお兄ちゃん、これでスープの出汁を取ったら美味しい?」、
 美味しい出汁と聞いて食指が動いたらしいプレシアが、興味ありげに袋の中を覗き込む。グロテスクさは気にならないようだ。マサキは軽い眩暈を覚えながら、続けてやけに上機嫌な笑顔を浮かべているミオに向き直った。
「ミオ」
「はーい☆」
「お前にかかってる」
「まーかせて! あたしは日本人だからね! こういうのはバッチリよッ!」
 と、威勢よく返事をしたミオが、バッグから取り出した袋の中身をテーブルにぶちまける。大きな渦を描いたカラフルで平べったい塊は、中央に手で掴む用のスティックが挿し込まれている。
「じゃじゃーん☆ ロリポップキャンディでえすっ!」
 その言葉を聞き終わるより先に、マサキは反射的にミオの頭を叩いていた。ぱんっ、と乾いた音が辺りに響く。いたあい。ミオが後頭部を押さえながら、猫撫で声にも似た悲鳴を上げた。
「デザートか? デザートのつもりかこれは!」
「えー? だって皆で材料持ち寄って鍋って云ったらやっぱりこれでしょ。闇鍋。あ、ガムと靴の底もあるよ?」
「全部没収だ」
「なんでー!?」
 心底惜しそうな表情でいるということは、彼女の中では靴の底は立派な食材であるらしい。巫山戯んな。マサキはミオから奪ったロリポップキャンディとガムを戸棚の奥に捻じ込み、異臭を放っている靴の底をゴミ箱に捨てた。
「この流れは良くないわね」
「あたしたちも人のことは云えないもんねえ」
 マサキがテーブルに戻ってくると、不安げな表情でウエンディとリューネが額を寄せ合っていた。それもそうだ。マサキはテーブルの上にどさりと置かれている食材の数々を見た。今のところ使えそうなのは、プレシアのチーズのみ。
 念の為に野菜は買ってあるが、肝心の肉や魚はどこにもない。
 期待し過ぎた。マサキはそれでも一縷の望みを託して彼女らに迫った。
「食えるもんならなんでもいい。出せ」
「でも、マサキ。私、あまり日本料理には詳しくないのよ」
「あたしもー。だって宇宙にずっといたし」
「食えればいい。それ以上の贅沢は云わねえ。出せ」
 マサキはふたりの間に置かれている袋を引っ張った。弾みでごろんと中から食材と思しき塊が飛び出してくる。
 色白の足。とはいえこちらはヤンロンの豚足とは異なり、立派な鍋の材料になる食材だ。
「いい大根じゃねえか!」
「ホント? 良かった。あとね、人参と白菜ときのこもあるよ」
「マジか! お前ら天使だな!」
「でもマサキ、野菜だけでは鍋にならないでしょう? 肉や魚は誰かしら持ってくると思ってたから、私たち野菜を買ってきたのだけど……」
「あー……」
 マサキは宙を仰いだ。まともな食材が出てきて安心したものの、一番の懸案であるメイン食材がないという事態は解決していない。
「まあ、冷蔵庫の中を漁れば多少の肉や魚はあるしな……」
 マサキはウエンディとリューネから受け取った食材を手に、キッチンに向かうことにした。これらの野菜をカットしつつ、足りない食材をどうするか考えよう。あたしも手伝う! ぴょんぴょんと兄の手伝いをすべく後をついてきたプレシアとともに、並んでキッチンカウンターに立つ。
 直後、鳴り響くドアベル。
 マサキは野菜のカットをプレシアに任せて玄関に向かった。扉の脇に嵌め込まれている摺りガラスに映り込む複数人の影。中央に立つ長く伸びるシルエットに、やっぱり来やがったか――マサキは覚悟を決めて扉を開いた。
「こんばんは、マサキ」
 いけ好かない笑い顔。口の端を歪めて気障ったらしく微笑むシュウに向き合ったマサキは、けれども今はそういったことを気にしている場合ではないと、縋るような思いでその言葉を吐いた。
「お前はちゃんとした食材を持ってきたんだろうな?」
「鱈と鮭と豆腐ぐらいですが」
「お前が神様に見えるぞ」
 マサキはシュウとその仲間たちに、部屋に上がるよう促した。
 今日の昼、街に鍋用の野菜を買い出しに出たところで鉢合わせした男は、社交辞令的なマサキの誘いを真に受けたようだ。律儀にも食材を手にやってきた彼だったが、今はその当たり前の気遣いが有難い。これで何とか形になりそうだ。シュウから受け取った袋の中身を確認したマサキは、賑やかになるだろう今日の鍋の席に胸を弾ませた。