鍋にするぞ。と、両手に食材を山ほど抱えたマサキが来たのは、いつも通りの温かな陽気の日の夕方だった。
「この陽気に鍋ですか……」
温暖な気候が常なラングランは、日本のように四季が明瞭りしていない。まれに極端な暑さや寒さに見舞われることはあったが、どちらも年に数えるほど。基本的に通年、同じような気候が続く住みやすい国である。
そこに持ち込まれた鍋というキーワード。如何にラングラン育ちのシュウでも、鍋という日本料理が冬の風物詩であることは知っている。
「悪いか。食いてえんだよ」
確かにマサキの云う通り、食べたいから以外の理由でその日の食事のメニューを決めることはそうはない。とはいえ、この陽気である。汗を掻きながらの夕食になるのは間違いない。だが、マサキはそういったシュウの憂いはどこ吹く風。呆気に取られたシュウを尻目にずかずかとキッチンに上がり込んでゆく。
「それにしても、もう少し涼しい日にすればいいでしょうに」
「食いたくなっちまったもんは仕方がねえ。だからって、ひとり鍋もな。寂しいもんだろ。だから付き合え。今日は鍋パだ」
ラングランの食事は、地上に例えるのであれば欧米風だ。油分たっぷりのメインディッシュに、じっくりと煮詰められた味の濃いスープ。そして具材豊かなサラダ。そうした栄養価の高い料理を口にしている内に、あっさりとした故郷の料理が恋しくなったのだろうか。カウンターの上に早速と食材を広げているマサキの姿を振り返ったシュウは、その手伝いをすべく口を開いた。
「手伝いましょうか」
「いや、いい。俺が全部やる」
「それはまた、随分と気合いの入ったことで」
シュウはカウンターの前に立って、マサキの手元を覗き込んだ。
白菜、人参、大根、春菊、椎茸、えのき、しめじ、しらたき、豆腐、帆立、鱈……市場を巡って買い集めてきたようだ。決して広くはないカウンターを占める大量の食材。まさか全部使い切るつもりでもあるまいとシュウは思ったが、元来が食欲旺盛なマサキのことである。恐らく、シュウの想像の倍ぐらいの量の具材を投入した鍋を用意するに違いない。
「気合いを入れられたからといって、お腹に入る量は変わりませんがね」
「安心しろよ。鍋は三日かけて食うもんだ」
鼻歌を歌いながら食材を切り分けているマサキの台詞に、シュウは目を開いた。本気で三日も鍋を続けるつもりでいるのだろうか。ふんふんとシュウの知らないメロディを奏でているマサキの表情からは、その本心は読み取れそうにない。
「お前が毎日飲んでるスープと変わりゃしねえよ。どうせ野菜だけ食って終わりにしようと思ってるんだろ」
「豆腐と鱈と帆立であれば、私でも口に入れますが」
「云ったな。覚えとけよ、その台詞」
ざくりと小気味よい音を立てて、白菜に包丁が入る。
「〆は雑炊だからな。きちんと食えよ」
「三日ものの雑炊、ですか……」
「何だよ。気が乗らねえって態度しやがって」
「鍋の旨味の詰まったスープで作る雑炊が美味しいのは理解出来ますが、何故でしょうね。あなたのその様子を窺うに、穏便に済まなさそうな気しかしないのですよ」
日頃の大味な性格はどこにやら。こと料理となるとマサキはこだわりの強い面を露わにした。
特に日本料理になるとその傾向が強く出る。すき焼き、鍋、煮物……出汁の取り方から、具材の切り方まで。随所にこだわりを仕込みながら几帳面に手順をこなしてゆく彼は、効率主義なシュウとは相容れない部分も多い。
いつぞやは、「どうしても食べたかった」という理由で出汁を煮出すところからラーメンを作ってもいた。そのマサキがこれだけの食材を用意して、ただ普通に鍋を食べるだけで済ませてくれるのだろうか?
しかし、そこに口を挟もうものなら、「お前は料理がわかってない」と始まるのだろう。
上機嫌で鍋の仕込みを続けるマサキを余所に、不安を拭えないシュウは、自らを落ち着かせる為と読みかけの書をキッチンに持ち込んで、鍋の用意が済むまでそれを読み耽った。
※ ※ ※
くたくたになるまで具材が煮込まれた鍋は確かに美味かった。
しかし、冗談抜きで三日三晩、鍋に付き合わされることになるとはさしものシュウも思っていなかった。
初日はポン酢。
二日目は豆乳。
三日目は味噌。
しかもそれぞれ雑炊付きだ。
たっぷりと具材が詰め込まれた鍋を片付けるだけでも食の細いシュウには堪えるというのに、追い打ちをかけるようにどかどかと米を投入して食えときたものだ。
しかもマサキは、久しぶりの日本食にスイッチが入ってしまったらしかった。これなら一週間でもイケるなどと口にし出したマサキに、まるで冬眠前の熊のようだとシュウは思うより他なかった。