「マサキ、まだなの?」
「そうだよ、おにいちゃん。もういいでしょ」
「駄目だ」
待ちきれない様子でいるテュッティにプレシア、そしてミオ。テーブルを挟んで彼女らと対面しているマサキは、確として譲る気はなかった。
「まだなの!? あたし、もうお腹空き過ぎてどうにかなりそう……」
ダイニングテーブルの中央にある携帯コンロ。その上では、蓋が閉じられた鍋がぐつぐつと煮えている。
今日の夕食は、白菜、人参、葱、ニラ、しめじにえのき、しいたけと野菜たっぷりなヘルシー寄りのちゃんこ鍋。勿論、鍋の中には、油揚げに豆腐、鶏団子、鶏もも肉、うどんといったメイン具材も豊富に加えられていたが、この顔ぶれである。どうせその大半を食い尽くすのは自分だろうと、マサキはそこまでメイン具材を用意してはいなかった。
「何分煮る気なのよー、マサキ。野菜が溶けちゃうよー」
鍋の隙間から染み出てくるかぐわしい香り。様々な具材の旨味が詰まった匂いに、腹をやられているようだ。テーブルに突っ伏しているミオが、我慢も限界といった様子で顔を上げた。
「はあ? くたくたに煮えた野菜がいいんだろうが」
「いやー、歯応えが残ってるのもなかなかオツでしょ」
腹が好き過ぎた故の、半ば本能的な振る舞いであるようだ。云いながら当たり前のように鍋の蓋に手を伸ばしてゆくミオに、油断がならねえ――と、マサキは素早くその手の甲を引っ叩いた。
「いたあい! もう! マサキの乱暴者!」
「お前が行儀の悪いことをするからだろうが!」
顔馴染みの金物屋の主人に頼んで作ってもらった直径35センチの土鍋。そこに詰め込めるだけ具材を詰め込んだ。この人数で食べるには多過ぎる量ではあったが、翌日の残り鍋ほど美味いものはない。
明日が楽しみだぜ。そう云いながら、マサキは鍋の音を聞いた。
ぐつぐつぐつ。よく煮えている音がする。そろそろだろうか。そうっと蓋を開けて中を確認する――と、湧き出る出汁の合間にほどほどに煮えている具材が見える。
「あー、マサキずるい!」
「どこまで煮えたか見ただけだ!」
せめて鍋の中がどうなっているかだけでも見たいのだろう。ミオが身を乗り出してくる。ただ中身をみるだけならまだしも抓み食いでもされようものなら、ここまでの苦労が台無しだ。マサキはさっと蓋を閉じた。
「なによう、この鍋奉行! 胃に入れば何でも一緒、みたいな顔してるくせに!」
「なんてことを云いやがるんだ、お前は! 日本食だぞ、日本食。一番旨い状態で食いたいに決まってるだろ!」
「ねえ、マサキ。私はどちらでもいいから早く食べたいのだけど」
「あたしもお腹空いたー」
どうやら腹を空かせているのはミオだけではないようだ。口々に訴えてくるテュッティとプレシアに、あと五分だ。マサキは残り時間を宣言して腕を組んだ。
「あと五分も待つのお? 馬鹿じゃないの、マサキ!」
「ジャパニーズフードって、忍耐なのねえ」
「おにいちゃん、ごはんー」
「お前ら、大人しく待つって選択肢はねえのか!」
たった五分さえも待ちきれないほどに腹を空かせているのだろうか。抗議の声を上げる三人組をマサキは怒鳴りつけるが、その程度で口を閉じるような殊勝さなど魔装機操者である彼女らにある筈もなく。
「ねえ、まだー? もう五分経ったっしょ!」
「そんなに煮込んで焦げたりしないのかしら?」
「ごーはん、ごーはんっ!」
よりいっそう騒がしくなくった彼女らに嫌気が差す。マサキは宙を睨んだ。相手が彼女らでなければとうに頭を引っ叩いているところだ。
だが、大事な日本食。食べる機会の少なくなった料理だけにベストの状態で口にしたい。鍋の煮え具合は、味に直結する大事な要素だ。絶対に譲ってなるものか――やいのやいのと騒がしい女性陣を目の前に、マサキは腕を組んで鍋の前に立ち続けた。
※ ※ ※
かくて出来上がったちゃんこ鍋は、見た目を裏切らぬ絶品であったようだ。
美味しい美味しいと声を上げながら、しとやかさは二の次と鍋を貪り食う女性陣は、呆気なくマサキに張り合うほどの分量を平らげてしまった。
「あー、食べた食べた! マサキ、御馳走様っ☆」
「これがジャパニーズフードの真髄なのね。ファンタスティックだわ!」
「おにいちゃん、すっごく美味しかった!」
時間を掛けた甲斐あって、六人前はあろかという具材が僅かに量を残すのみとなった鍋。賞賛の言葉は、けれどもマサキを満足させはしなかった。
翌日の鍋という最大の楽しみ。
それを奪われたマサキは、思いがけぬ鍋の売れ行きに、がっかりしたとかしなかったとか。