除夜の鐘

 ゴーン……ゴーン……ゴーン……

 重苦しくも静謐に響き渡る鐘の音に、マサキは足先に落としていた視線を周囲に向けた。
 割と近い。
 足を止めて辺りを見回しているマサキに隣を歩いていた男は、数歩先でその姿がないことに気付いたのだろう。こちらも足を止めると、マサキを振り返った。
 人目を引かずにいられない長躯が街明かりに照らし出されている。寒波が冷え込みを激しくさせる百万都市の只中で、そこだけ別世界のようにマサキの目には映った。
 今さっき二人で食事を終えたばかり。
 特に用もなく赴いた地上に、マサキは長居をするつもりはなかった。時に激しく過ゆく日々は、戦乱が収まれば長閑なもの。ゆるやかに時を刻む日常の中にあっては、日付の感覚も狂ったものだ。
 大晦日。
 マサキは今日が地上の暦で一年の終わりであることを、すっかり失念していた。
 だからこそ不意に顔を合わせた目の前の男の、気紛れにも等しい食事の誘いにも、多少悩みはしたものの応じてみせたのだ。店は今さっき出たばかり。|白亜の機神《サイバスター》を降りたのは太陽が傾きかけた頃合いだったのだから、かなりの時間を目の前のこの男と店で過ごしたことになる。
「除夜の鐘ですね」
 緩くウェーブを描いた髪の下から、切れ長の眦が色を変えずにマサキを眺めている。
「もう、そんな時期だったんだな」
 地上と地底では暦が異なる。地上世界で生まれ育ったマサキは、いつの間にか地底世界の暦に馴染んでしまった自分に嘆きはしなかったけれども、侘しさを感じる程度には地上世界に未練を残してもいた。
 そう。鐘の音を耳にしたマサキは、ようやく地上の暦での今日という日の現実に思い至ったのだ。
「今からなら初詣には丁度いい時間ですよ、行きますか」
「面倒くせえ。きっと滅茶苦茶に混んでるんだろ」
「元旦というのは、煩悩を取り払って清浄な気持ちで祈念するには、最適な日だと思うのですがね」
「てめえの煩悩が除夜の鐘程度で取り払えるとは思わないんだけどな」
 マサキがそう皮肉ってみせると、男は少しだけ肩をそびやかして見せた。
 年越しが迫る百万都市の飲食店街。流石にこの日ぐらいはきちんとした場所で新たな年を迎えたいと考える人も多いようだ。人もまばらな道の上、かつて邪神に操られて数多の罪なき人間の命を奪った男は、自身の望みとは裏腹に、戦火に身を投じざるを得ない状況が続いているからか、そうして少しだけ目を伏せて、僅かに沈黙した後に――。

 ゴーン……ゴーン……ゴーン……

 ほら。目の前の男がマサキに手を差し伸べてくる。ふざけろよ。マサキはそう云って、男の手を払う。その直後、癇に障る低い嗤い声が、男の喉の奥から響いてきた。