さて、今日呼び立てた理由だけれど――と、整列した正魔装機操者の前に立つセニアが口を開いた。
ひとつ戦いが終われば次、また次と、束の間の日常を挟んで続いた戦いがひとつの山場を超えた後に、長らく空けていた家に各々が帰り着いた翌日。少しもゆっくりさせる気のないセニアの台詞に、続く激動の日々を予想したのだろう。忙しいことだねえ。と、列の端ほどにいるベッキーが笑った。
口に出しこそしなかったが、マサキも同じ気持ちでいた。
地底世界に召喚されてからというもの、目まぐるしく日々が過ぎてゆく。地底世界での務めが終われば地上世界へと。単機で地上世界に出られる魔装機神には、他の正魔装機にこなせない任務依頼もあった。
身体を休める暇もないとはまさにこのこと。
彼らの中央に立つマサキは、ベッキーの声を契機にがやつき始めた正魔装機の操縦者たちの声を聞きながら、ぼんやりと次の戦地が何処になるのかを考えていた。
「残念ながら、そういった意味で呼び立てたのではないのよ」
その耳に飛び込んでくるセニアの凛と通る声。
普段はじゃじゃ馬という言葉が良く似合う彼女ではあったが、オンとオフの切り替えは心得ているようだ。年齢を重ねて妙齢の女性となった彼女からは相変わらず色気は感じられなかったが、その代わりに貫禄が増した。
一気に静まる場。そこに、「そういった意味ではない、だと?」と、アハマドの声が響く。
独自の哲学で動き回ることが多い好戦的な男は、よくぞこの場に顔を揃えられたものだと思うぐらいには、マサキたちと離れて行動をするのが常だ。ベッキーの逆側の端に立つ彼は、恐らくは新たな戦いに胸を躍らせていたのではなかろうか。驚きに満ちた声の中に、一握りの失望の念があるように感じられた。
「そうよ、アハマド。あなたにとっては残念な話だけれども、ようやくすべきことが一段落したのよ」
「なら、何故僕たちを呼んだ?」
マサキの隣に立つヤンロンがセニアに尋ねる。
長い戦いを終えた彼は、帰路で珍しくも「暫くは無為に日々を過ごすか」などと口にしていた。
やや偏屈なきらいがあるものの、責任感が強いだけあって、彼の日常生活は、ほぼ『魔装機神操者であること』に捧げられている。その彼をしてそう口にさせた激動の日々。セニアに呼び立てられた彼は心中穏やかではなかっただろう。それでもその感情を表に出すことなく、彼はセニアの言葉を待つように口を引き絞った。
「そんなの決まってるでしょ」
ゆっくりと動く視線。一同を見渡してセニアがかんからと笑う。
任務でなければ何を云い渡すつもりなのだろう? マサキたちが固唾を飲んで見守る中、彼女は笑顔を崩すことなく云い放った。
「あなたたちに休暇を出す為に呼んだのよ」
※ ※ ※
長い戦いの後には長いバカンスよ。と、セニアに云い渡されたマサキは困った。何かあれば呼び出すとは云われているものの、こうも明瞭りとした形で休暇を与えられるのは、地底世界に召喚されてから初めてのことだ。
他の面々はやりたいことが決まっているようだ。情報局を出るなり方々に散っていった彼らに取り残されたような気分になりながらも王都を出る。
「マサキはニャにをするんだニャ」
「休んでいいってちゃんとお達しが出るの、あたしたちがマサキの使い魔にニャってから初めてニャのね」
バカンスという言葉の響きに浮かれているようだ。心なしか嬉しそうな声を発している二匹の使い魔を尻目に、やりたいことが定まらないマサキは当てもなくサイバスターを走らせた。
「折角のバカンスをだらだら過ごすのも勿体ねえよな……」
金は腐るほどある。やりたいことの大半は、その資金で叶えられるだろう。暫くサイバスターを流しつつ、マサキはバカンスをどう過ごすか考えた。けれども特に何も思い浮かばない。
その矢先にふと視界に入った街。
やりたいことがなければ何が出来るのかを探せばいいのだ。
サイバスターを降りたマサキは街の書店に入った。何を目的にするでもなく、店内をそぞろ歩く。よくよく考えれば、マサキはどういった本がラングランで流通しているのかも知らなかった。地上にあるようなアクティビティガイドがあれば、余暇で何が出来るのかがひと目でわかるんだがなあなどと思いながら、店内を一周する――と、旅行者用のガイドブックが目に付いた。
これだ。
マサキは三冊のガイドブックを購入してサイバスターに戻った。そのまま操縦席で暫く読み耽る。旅行にでも行くのかニャ? などと云いながら、二匹の使い魔がガイドブックを覗き込んでくる。彼らを膝に乗せたマサキはにやりと笑った。
「出掛けるぞ」
「旅行ニャのね!」
「ああ、観光地巡りだ」
思えば雄大な自然を眺めてばかりだった。サイバスターから臨める景色には、もしかしたら観光地が紛れ込んでいたのかも知れない。けれどもそれにマサキは気付けなかった。
知らないことはわからないのだ。
記憶に残る観光地と云えば胞子の谷ぐらいか。それにしたところで、リューネが誘ってくれたからこそだ……サイバスターを起動させたマサキは、自分が生きることを決めた世界に何があるのかを全くといっていいほど知らない自分に呆れながらも、これから巡る先に広がる景色を想像して胸を躍らせた。
※ ※ ※
イニアスの泉というのだそうだ。
西へ向かうこと三時間ほど。専制君主制下で領主を務めていた一家の館が中央に構える街に辿り着いたマサキは、その東側にある広場の中央に設えられている泉に向かった。まだ日が高いからだろう。泉の周りには観光客と思しき人々が集っている。
白金細工の薔薇が飾られた台座。ここで七代前の領主の娘と、ラングラン防衛戦に参加して負傷した兵士は出会ったのだそうだ。
戦いの相手はバゴニア軍。当時、かなり深い所まで攻め込まれたラングランではあったが、各地に駐屯する部隊が集結すると風向きが変わった。次々とバゴニア軍の支配下に置かれた街を解放すると、防衛ラインを国境近くまで押し戻したらしい。
その戦いに参加していた一兵卒。けれども彼は実は相当に腕の立つ戦士であったのだとか。
軍部は彼の武功に相応しい地位を与えたがっていたようだが、軍閥主義はこの頃より健在だったらしい。派閥闘争に巻き込まれるのを厭った彼は、防衛戦の最後まで一兵卒としての立場を貫き、ラングランが平和を取り戻すのを見届けて除隊する。
果敢に戦い続けた彼だったが、たった一度だけ派手に負傷をし、部隊に遅れを取ったことがあった。
それがこの街を舞台として繰り広げられたハーディアス解放戦だ。
左腕を傷めた彼が身を休めていたのがこの泉だった。
既に部隊は次の防衛ラインを構築すべく街を出ていた。取り残される形となった彼を、街の被害を確認すべく外に出ていた領主の娘が発見。次期領主と目されていた彼女は随分と芯の強い女性であったらしく、その場で彼に簡易的な手当てを施すと、負傷者の為に開放していた館の離れに彼を運び込んだ。
深手を負った彼は発熱に見舞われていたようだが、それが引くと傷が塞がるのを待たずに街を出たそうだ。
そして舞台に再合流。片腕で戦い切り、そのまま終戦を迎えることとなる。
その後、手当の礼をと領主の館を尋ねた彼と領主の娘は再会。この辺りはマサキには理解出来ないのだが、どうも彼らはお互いに一目惚れをしていたらしく、交際がスタート。彼が領主家に婿入りする形で結婚を果たし、三男二女に恵まれたのだとか。
「……っていうかニャ、ニャんでマサキここに来たんだニャ?」
「そんな渋い顔をしていていい場所じゃニャいのね」
二匹の使い魔はそう云うが、右を見ても左を見てもカップルしか存在していない観光名所の中にあってはこんな表情もしたくなる。マサキはお熱い彼らの姿をなるべく視界に収めないように、泉の水面に視線を落とした。
水面に姿を映している幾つものカップル。逃げ場がない。水面に映る自らの苦虫を噛み潰したような表情に、知らなかったんだから仕方がないじゃねえか。マサキは胸の内で自分を慰める言葉を吐いた。
通りがかった街の人に聞いた話によれば、戦士と領主の娘の恋の始まりの地であるこの泉は、周辺地域の人々には縁結びのパワースポットとして認知されているらしく、ここでプロポーズをしたがるカップルが絶えないらしい。
「……知ってたら来なかった」
「ガイドブックにはニャんて書いてあるんだニャ?」
マサキは手にしているガイドブックの頁を捲って、台座の上にちょこんと座っているシロとクロに突き出した。件の戦士に所縁のあるスポットが紹介されているページには、ばっちりとイニアスの泉が掲載されている。
「ニャるほど……」
「これはガイドブックが悪いニャ……」
確かに領主の娘とのロマンスについても書かれているが、縁結びのパワースポットになっているなどという話は一ミリも出てこない。マサキは次に向かう予定でいる観光地が掲載されている頁を開いた。初っ端がこれでは、この先も穏便に済む気がしない。不審な点がないかじっくり改めなければ――そう思いながら穴が開く勢いでガイドブックを見詰めていると、これはこれは……と、聞こえてはならない声が正面から響いてきた。
「妙な所で顔を合わせますね、マサキ」
顔を上げると、案の定というべきか。取り澄ました表情でシュウが立っている。
偶然とはいえ薄気味が悪い。そう思いながらも、それを素直に口にしようものなら、嫌になるほどの嫌味が返ってくることだろう。短くない付き合いで彼のあしらい方を覚えたマサキは、だからこそただ事実だけを口にすることにした。
「悪いか。休暇中だ」
ほう。と、驚きの声を上げたシュウが、辺りに視線を這わせる。
「あなたひとりですか? ここはそういった場所ではなかった筈ですが……」
どうやらこのスポットがどういった扱いをされているのか知っているらしい。だからこそ、マサキに連れがいないことを訝しんだようだ。ひと通り周囲の確認を終えたシュウが、不可思議なものを眺めているような視線を向けてくる。
マサキは首を傾げた彼にガイドブックを突き出した。受け取ったシュウがそこに視線を落として、成程。と頷く。
「しかし良くひとりで辿りつけましたね」
ガイドブックを返してきたシュウの眼差しが、驚きに満ちているように感じられるのはマサキの気の所為ではないだろう。マサキはガイドブックを閉じてシュウを睨んだ。自慢にはならないことはわかっているが、彼の誤解を解かねば気が済まない。
「あのな、俺だって三度に一度はちゃんと目的地に着けるんだよ」
如何に壊滅的な方向感覚の持ち主であるマサキでも、目的地に着けることはあるのだ――だというのに、その瞬間のシュウの表情。微かに見開かれた目。驚いているのは、マサキが目的地に着けることではない。
「三度に二度も迷うのですか、あなたは」
「そっちに注目すんじゃねえよ! ちゃんと目的地に着けることもあるんだって、思うところだろ!」
「そもそも普通の人はそんなに迷いませんよ」
「本当にああ云えばこう云う奴だな、お前は! いいだろ! ちゃんとここに辿り着けてるんだから!」
クックと声を潜めて嗤ったシュウに、自分が揶揄われていることをマサキは悟るも、だからといって今更この態度を改めることも出来ない。面白くねえ。肩を震わせている彼に、頬を膨らませて待つこと暫し。笑いを収めたシュウが、観光ですか。と尋ねてきた。
「まあな。良く考えたら、俺、ラングランの観光名所とか知らねえし。休暇のついでにそれを見るのもいいんじゃねえかってな」
「迷っている時間の方が長くなるとは思わなかったのですか」
「残念だがな、シュウ。俺は自分が迷うことには慣れてるんだよ」
「意味不明な自信にも限度がありますね」
シュウの表情がどこか呆れているようにも映るが、だからといって治せないものは治せない。ならば、この極度の方向音痴は治らないものとして思い切るしかない。マサキはとうに腹を括っていた。
そもそも休暇の終わりがいつになるかはわからないのだ。だったら迷うのも織り込み済みで好きに行動してもいいではないか! 初めての休暇を満喫するつもりでいるマサキは、だからシュウの態度に不貞腐れた。
「それで、マサキ? 他には何処を回るつもりでいるのですか」
「ミル・ベールの入り江だろ、シーシアスの滝だろ、ロジェ遺跡だろ、モランツァ渓谷に……」
「本当に観光地巡りをするつもりでいるのですね」
「そりゃ休暇だしな」
マサキの言葉に、わかりました。とシュウが頷く。その表情が何かを思い付いたように映ったのはマサキの気の所為だただろうか。直後にいつも通りの笑みを浮かべてみせた彼に、マサキはそろそろ頃合いとその場を離れようとした。
「じゃあ、俺は行くぞ。見たい場所が山ほどあるんだ」
「待ちなさい。私がガイドをしましょう」
「はあ?」
今度はマサキが驚きに目を開く番だ。一体、どういった気紛れか。それともマサキの壊滅的な方向感覚を気にしてか。マサキはまじまじとシュウの顔を凝視した。悠然とした笑みは、けれども彼の本心を伝えてきてはくれなかった。
「あなたをひとりで放っておいては、いつ目的地を回り終えられるかわかりませんからね」
「いや、俺云ったよな。迷うのは織り込み済みだって」
「その結果、厄介事を引き起こされてしまっては困るのですよ。私が」
マサキが足を踏み入れてはならない場所に踏み入れるのを恐れてでもいるのだろうか。釘を刺すように言葉を吐くシュウに、いや、でもなあ……マサキは言葉を濁した。
「いいんじゃニャいの。だってあたしたちじゃマサキの方向感覚を正せニャいのよ」
「そうニャんだニャ。迷わニャいに越したことはニャいんだニャ」
「それに、シュウがいれば地雷を踏むことはニャいのよ」
「こんニャ気まずい思いはごめんニャんだニャ」
それは確かに――マサキは自分が今いる場所が何処であるかを思い出した。縁結びのパワースポット。ここに訪れるまで知ることのなかった事実も、シュウと一緒であれば先んじて知れることだろう。
「あなたの使い魔の方が現状を正しく認識しているようですね」
「煩せえな。どうせ俺は方向音痴だよ。てか、お前暇なのかよ」
「暇ついでにここまで足を延ばしたところですよ」
「まあ、いいけどよ……」
出来ればひとりで観たかった、かも知れない。
そう思う半面、一人旅が寂しく感じられる部分もある。
ずうっと仲間とともに行動を続けていた反動だろうか。以前は何も思わなかったひとりの時間が、どこか侘しく感じられるようになっている。
大丈夫だろうな。マサキはシュウに念を押した。大丈夫ですよ。シュウの表情は変わらない。
「旅は道連れ世は情け。私の善意と思ってくださって結構ですよ」
「なら、行くかね」
マサキはイニアスの泉を背に一歩を踏み出した。
ええ。と頷いたシュウが斜め後ろを付いてくる。
――まあ、偶にはこういうのもいいか。
街を抜けたマサキはシュウをサイバスターに乗せた。そうして未知なる二人旅に微かな期待を寄せながら、ラングランの雄大な自然へと飛び込んで行った。