青銅の魔神と評するに相応しい青いカラーリング。鉄騎とでも表現すればいいだろうか。無骨なフレームラインは必ずしもその搭乗者を体現しているとは云い難かったものの、その圧倒的且つ暴力的な能力は彼の才能と比べても遜色がない。
おい、まだかよ。グランゾンの肩に腰を落として、足を遊ばせながらマサキは急かすように口にした。
わかっていますよ。そう言葉を返すシュウの視線は、愛機に繋いだ解析用端末に走るプログラム群に注がれている。
コントロールルームのカバーを開いて、マサキの近く。移動式の足場であるローリングタワーの上に立っているシュウは、どんな気紛れか。恐らくは、いつものように家で過ごすだけでは興がないとでも思ったに違いない。それは全く前触れもなく突然に、一緒に自らの愛機に乗って遠駆けをしないかとマサキを誘ってきた。
一撃で都市を破壊出来る程の能力を有する巨大な人型汎用機を、まるでバイクや車のように自らの足として考えていることの是非はさておき、滅多に入る機会のないグランゾンのコントロールルーム。如何にマサキが魔装機神の操者であろうと、興味がないとは云えない。だからこそ、いつまた気紛れを起こすかもわからないシュウの誘いに、マサキは二つ返事で応じたのだ。
ところが、なのである。
ふたりでコントロールルームに腰を落ち着けて、いざ出発といった所で、なんとグランゾンが突然の不調を訴えてきた。しかも主人であるところのシュウでさえも、不調の理由がわからなかいというのであるから、かなり厄介な事態に陥っているのは想像に難くない。だからこそマサキは遠駆けはまたの機会でいいとシュウに告げたのだが、グランゾンの開発者たる彼としては、細部に及ぶまで知り尽くしている機体。よもや自らの手に余るような事態に、今更グランゾンが陥る筈がないと信じているようだ。かくて直ぐに直してみせますと云い切った彼は、マサキが重ねて云った遠慮の言葉には構わず、その場でグランゾンのメンテナンス作業を開始してしまった。
そこから30分。未だに不調の原因を突き止められない様子のシュウに、待てと云ったのはこの男だしなあと、マサキはすべきことのない退屈な時間をひたすらに持て余していた。
自らが思うようにことを進めたがる我儘で自尊心の高い恋人。それに見合うだけの能力に恵まれているだけあって、常に自らの描いた青写真の通りに物事が進むのが、シュウにとっては当然といった様子だった。だからか。思い通りにならなかったといって癇癪を起したり拗ねてみせるような男ではなかったものの、予想外の事態に対しては決して心穏やかにとはいかないのだろう。バイオリンを掻き鳴らしたり、ワインの量がボトル半分ほど増えるといった変化であればまだいい。時としてそれは、ベッドの上でのマサキに対する嗜虐的な行動と化してくれたものだから、マサキとしては迂闊に動ける筈もなく。
「それでも別にいいんだけどさ」
「何がです、マサキ」
耳聡くマサキの呟きに反応してみせるシュウに、何でもないとマサキは答えて作業を見守った。ベッドの上での彼是はさておき、マサキが遠駆けを遠慮してみたところで、結局はシュウの愛機。直すことになるのには違いない。
マサキは自らも役立てることはないかと考えた。原因不明の不調とは、人間でいうところのイヤイヤ期みたいなもの。いつかウエンディが魔装機のメンテナンス作業をしながら口にしていた言葉が思い返される。
――ただのロボットではないのよ。精霊を宿した魔装機には明確な感情があるの。
それが真実であることをマサキは身を持って知っている。共鳴を起こした瞬間の一体感にしてもそうだったし、離れて行動しなければならなくなった瞬間の感情の流入にしてもそうだ。他の人間にはわからないサイバスターの意識。それは他の魔装機の操者たちと同様に、マサキにもはっきりと感じ取れたものだった。
「イヤイヤ期なんだってさ」
「あなたはまた、突然におかしなことを口走る」
「違えよ。ウエンディがいつか云ってたんだ。機体の原因不明の不調は人間のイヤイヤ期みたいなものだって」
「イヤイヤ期、とは?」
ウエンディの名前を身にしたシュウは、俄然マサキの言葉に興味を持ったようだった。解析用端末を操作する手を止めてマサキを振り返る。幼児期にある何でもかんでも面白く感じられなくなる時期のことだよ。マサキはグランゾンの肩から立ち上がって、シュウがいるローリングタワーに上がり込んだ。
「つうても、子どもには子どもなりの理屈があってさ、何でもかんでもイヤイヤ云っているように見えて、実際はひとつのことが原因だったりするんだよ」
「グランゾンが何かを嫌がっている、とでも?」
「そうじゃなきゃ、お前にわからないような不調を訴えるかよ」
マサキはシュウの手から解析用端末を取り上げると、人工知能プログラムを呼び出した。よう、と、物の試しに挨拶を打ち込んでみるも、返事はない。通常であれば、ただのプログラム。即座に反応があるのが当然な人工知能である。
だというのに、どういった原因かは不明だが、返事が出来る状態にはないのだろう。プログラムは沈黙を保ち続けている。その予想通りの展開に、ほらな、とマサキは怪訝な表情を浮かべているシュウを見上げて肩を竦めてみせた。
「拗ねてるんじゃねえの」
「そんな馬鹿な。先程まで私の質問には答えてくれていたのですよ」
「だから拗ねてるんだよ。イヤイヤ期の到来だ。若しくは俺を警戒しているか……」
「もし拗ねているのだとしたら、何が原因です」
「さあな。それを突き詰めるのが、開発者であるお前の仕事だろ」
いずれにせよ、はっきりしていることがある。グランゾンの人工知能プログラムは、何某かの理由があって、マサキ=アンドーという人間を拒否するに至ったのだ。そうである以上、マサキに出来ることは何もない。マサキはローリングタワーから再びグランゾンの肩へと場所を移動すべく、鉄柵を乗り越えかけた。
その瞬間、マサキの耳に聞き慣れない機械的な声が響いてきた。
――我、ハ……話ガシタイ、マサキ=アンドー……
その声はシュウにも届いたようだ。マサキ、とその名を呼ぶシュウに、「面倒臭い話は御免なんだがな」マサキは頭を掻いた。何せ人工知能を通じた会話には応じなかったグランゾンの意思が、わざわざ根気が要る発話での会話を求めているのだ。これで事態が好転すると思える方がどうかしている。
厄介事の予感しかしない状況に、しかし――と、マサキはシュウに向き直った。
「こいつ、いつから話が出来るようになったんだよ」
「つい先日のことですよ」
しらと云ってのけるシュウに、少しは驚けよ。マサキはそれが当然と受け止めているシュウに、呆気に取られずにいられなかった。
それもそうだろう。いかに練金学でコーティングされているにせよ、科学をベースに製作されている機体だ。錬金学の申し子のような魔装機とは、根本的にコンセプトが異なる。
魔装機にあってグランゾンにないもの。意思を持つ存在、核たる精霊。だからこそ魔装機は意志ある人型汎用機として、唯一無二の兵器となった。そう、魔装機を魔装機たらしめているのは他でもない。精霊という高次生命体だ。
その神たる精霊に、どうしてたかだか人工知能如きがなり替われたものか。
「何かやったのか」
「特には何も。ほんの少しばかり、A.I.の持つ可能性についての話を聞かせはしましたが」
「主人に似て日々理不尽さが増すな、この機体は」
その謎を解き明かしたくもあったが、不条理な性能を誇るグランゾンのこと。開発者がシュウである時点で、その理不尽さは已む無きものと云えるのではないだろうか。何より、ロボットは作り手に似るという。それならば、ある日突然グランゾンに意思が宿ったとしても不思議ではない。
――何を話したいって?
仕方なしにマサキは解析用端末に返答を打ち込んだ。口で答えてもよかったが、主人たるシュウではなく、赤の他人たるマサキを指名しているのだ。シュウに知られたくない話をしたいと望んでいる可能性もある。それだったら端末を使った方が話がスムーズに進められる筈だ。
――二人キリデ、話ガシタイ。コントロールルームデ待ツ。
即座に画面に表示されたグランゾンの意思の返答は、シュウの目が触れる端末にログを残したくないという気持ちからきているのだろうか。マサキは腕を組んで唸った。コントロールルームでの会話を希望しているということは、グランゾンの意思は真実マサキとふたりきりになることを望んでいる。それ即ち、シュウには聞かれたくない話をしたいということ。
「行くべきだと思うか?」
所有者を差し置いて勝手に行動するのも筋が通らないと、マサキがシュウに尋ねてみれば、「構いませんよ。どうやら今のグランゾンはあなたでなければ直せないようだ」彼は即座に現状を受け入れた様子で、平然と。マサキがグランゾンと一対一で話をするのを認めると、傍に自分がいるのも都合が悪かろうとローリングタワーを降りてゆく。
マサキはそのまま、カバーの開かれているグランゾンのコントロールルームに足を踏み入れた。チカチカと計器類やモニターが明滅を繰り返している。ドウゾ、コチラヘ。招き入れられるがままマサキは操縦席のシートに腰掛けた。
直後に閉じるカバー。自立機能までもを有するようになっているグランゾンに、マサキは驚きを隠せない。
「お前、このまま勝手に動き出すなんてことはねえだろうな」
「ソンナコトハ、シナイ……全テハ、創造主ノ望ムガママニ……」
その割には勝手をしているようにしか思えないグランゾンの意思の奇行。マサキは云った。俺と話すよりもシュウと話をする方が先なんじゃねえか。現実的な解決策は、けれどもグランゾンの意思にはとても受け入れ難いものであったようだ。
「我ハ、其方ト話ヲスル必要性ヲ感ジテイル」
「其方? 時代がかった口調だな。どこで学んできやがったんだか」
コントロールルームの四方から響いてくる毅然とした声は、どことなく主人たるシュウに似ているように感じられた。
耳の奥に残る低い音。知能の程度は知れないが、作り手が作り手である。恐らくはそれなりの知能を有していることだろう。だからこそ、きっと、わざと主人たるシュウに声を似せたに違いない――それがマサキの歓心を買おうとしてのことであるのか、それともシュウに対する忠誠の証であるのか、グランゾンの目覚めを知らないマサキにはわからない。
もしかすると、他の人間の声をよく記憶していないだけなのかも知れない。マサキは耳に慣れた心地良い声が奏でる言葉に耳を傾けた。尋ネタイ事ガアル。グランゾンの意思は随分と好奇心の強い性格をしている。
「わざわざ俺とふたりきりになって尋ねたいことか。嫌な予感しかしねえな」
それにグランゾンの意思は答えなかった。
「戦イノ記憶ガアル。敵トシテ、魔装機神ト戦ッタ記憶ガ。ナノニ今ハ、コウシテソノ操縦者ト過ゴスマデニ、関係ヲ修復サセテイル。ソレガ何故ナノカ、我ニハ理解ガ及バナイ」
発声に不慣れさを感じるものの、淀みなく紡がれる言葉。グランゾンはシュウの愛機として数多の戦場を駆け抜けてきた筈だったが、その全てを記憶している訳ではないのだろうか。現在のシュウとマサキの関係に途惑いをみせるグランゾンの意思に、マサキは何処まで説明すればいいのか悩んだ。シュウの変化をひと言で説明するのは難しい。ましてや、積み重なる歴史。その犠牲でもある彼のプライバシーに関わる話を、本人の了承なしに口にするのも躊躇われる。
仕方なしにマサキは通り一遍の答えを口にした。
「その答えは簡単だ。人の気持ちは変わるってことだ」
「変ワル……デハ、其方ハ創造主ノ何ダ? 我ニハ、他ノ人間トハ違ッタ付キ合イヲシテイルヨウニ見エル」
そりゃそうだろうな。マサキは再びどう答えるべきか逡巡した。こうした蟠りがグランゾンの不調の原因であるのであれば、下手におためごかしな答えを口にしようものなら、却って不調を長引かせかねない。
――嘘を吐くことを良しってしてくれそうな性格じゃなさそうだしな……
マサキは正直にその関係を答えることにした。恋人だ。その瞬間、全身を包み込むひりついた空気。次いで、びりびりとコントロールルーム全体が震える。どうやらグランゾンの意思はマサキの言葉に衝撃を受けているようだ。
ロボットならでは感情表現。この堅苦しきグランゾンの意志は、ふたりだけでした会話を外に洩らすような性格ではないだろうが、主人たるシュウに似ず、何もかもを平然と受け止められるようには出来ていないようだ。
「何故。生物ハ、雄ト雌ガ番トナッテ子孫ヲ残シテユクモノ」
「お前の主人が云ってた話だけどな、そんな生物にも変わり者ってのは一定数いて、同性に求愛行動をして、同性と性交渉に及ぶんだってさ。だからまあ、きっと俺もお前の主人も、その一定数の変わり者ってやつなんじゃないかね」
「シカシ、元ハ敵ダ」
「敵だったな」
「何故」
まるで子どもみたいに何故を繰り返すグランゾンの意思。目覚めたばかりだけあって、識りたいことに溢れているのだろう。その全てに正直に答えることが、必ずしもいい結果を生み出す訳ではないと知っていながら、マサキははっきりと口にした。好きだからだよ。その言葉にオオ……と、呻いたグランゾンは、またもコントロールルームを震わせた。
明滅する計器類やモニターがその速度を早めてゆく。それがグランゾンの意思の興奮の度合いを表しているようで、何だかマサキには可笑しなものに感じられた。
「『好キ』トハ何ダ」
「さあな。俺にもよくわからない。他の誰よりも失いたくないって訳でもない。あいつはこうと決めたら俺のことなんかお構いなしだろうしな。さっさと次に行っちまうだろ。だから執着しているって訳でもない。だけど……」
誤魔化しきれない想い。それをマサキは誰かに明かしたかった。
惚気るのとはまた違う。例えるならそれは覚悟に近い。そんな重苦しいものを、日常を共にする仲間には聞かせられなかった。聞かせてしまって、しこりを残すのが嫌だった。彼らはきっと、マサキの感情を軽くは流してくれないだろう。
だからマサキはグランゾンの意思にそれを打ち明けることにした。機械たる存在であれば、人の心に鈍感でいてくれるに違いない。身勝手で浅ましい思い付き。たったそれだけの考えで聞かせていい話でないのは承知している。それでも。
誰かに聞いて欲しい。この想いを。
マサキが人生で初めて得た感情の話を。
「一緒にいる時間が心地いいんだ。これは何なんだろうな。掴んだと思った次の瞬間には、両手から零れ落ちていっちまう。けれども確かに俺の胸に息衝いている」
オオ……オオ……何をそんなに感嘆することがあるのか、マサキにはわからないが、グランゾンの意思はマサキの言葉に感銘を受けているようだ。
「あって当たり前のものなんだろうな。だから失うことも考えられない。きっと失った時に、わかることが沢山あるんだろうと思う。それが好きの正体なんじゃねえか」
ぱあっとコントロールルームが明るく染まる。明滅を止めた計器類とモニターが、端から順繰りに点灯を始めた。どうやらグランゾンの意思は、自らの心の揺れを、コントロールルームで表現するのを止めたようだ。
走るプログラム。起動準備を進めているらしい。
ほどなくして、しん……と静まり返った操縦席。やがてそこに凛とした声が降ってきた。
――我ハ聞イタ! 我ハ知ッタ! 我ハ悟ッタ!
そうして動力炉に火が灯る。唸るエンジン。不調を脱したグランゾンは、眼下にてその行く末を見守るように自らを見上げているシュウを呼び込むように、ゆっくりと。コントロールルームのカバーを開いてみせた。