接触不良だ。
サイバスターのコントロールパネルのキーの一部が、どう叩いてみても反応しないらしいことにマサキが気付いたのは、ラングランとサイツェットの間にある州境付近でのこと。
他国との政治的な駆け引きの舞台裏はいざ知らず、軍事的な意味では小康状態を保っている現状を、セニアなりに気にしていたのだろう。出番のない正魔装機を遊ばせるつもりのない彼女は、ふらりと情報局を訪ねたマサキに、「暇だったら、サイツエット州軍の様子でも見に行ってよ」と、気軽に頼んで寄越したものだ。
どうやら大掛かりな監査が入るらしく、その立ち合いを務めて欲しいとのこと。そんな作業に魔装機神の出番が果たしてあるのかとマサキは思ったりもしたものだが、セニア曰く、過去に他の州軍で装備品を組織的に横流ししていた兵らが、監査による横流しの発覚とその後の処分を恐れるがあまりに蜂起してしまった事件があったのだそうだ。
「本末転倒じゃねえか」
「追い詰められると何をするかわからないのが、人間だしねえ」
確率的には起こりえないぐらいの数値であろうとも、絶対に起こらないとは断じきれない。悩みはしたものの、世が太平であるからといって、その現状に甘えて無為に日々を過ごし続けるのは、操者の本分からは外れている気がする。柄でもなくそんなことを思ってしまったマサキは、「まあ、いいぜ。向こうには話を付けておいてくれよな」と、セニアの依頼を受けることにした――のだが。
左方への旋回を行う操作が上手く行かない。
その事実にマサキが気付いたのは、サイツエット州を目前にして、方向転換を迫られた瞬間だった。何度かキーを押し込んでみるも、全く反応がない。センサーの感度が落ちたのだろうか。先ず思い付いたトラブルの原因に、マサキはサイバスターをその場に停止させると、コントロールパネルのカバーを外した。
サイバスターに積んであるメンテナンスキットを使って、ひと通りセンサーのクリーニングを済ませ、再度。キーが反応するか試してみる。少しの間。やはり反応のないキー。その現実に、マサキは大袈裟にも溜息を洩らさずにいられなかった。
「前回の調整はいつだったんだニャ?」
「半年ぐらい前じゃニャいの?」
恐らくは接触不良。と、なれば、分解整備が必要になる。「面倒臭え」マサキは愚痴りながら、再びカバーを外した。そして束となっている配線を取り出すと、その奥にあるユニットに光を当てる。そのカバーに欠損が生じているのをマサキは見逃さなかった。
思い当たる節はあった。
二か月ほど前に、識別コードのない無認可の魔装機が稼働しているのを発見した。制圧には成功したものの、その際の戦闘でサイバスターの頭部にダメージを負った。とはいえ、軽微なダメージ。自己修復機能でどうにかなるだろうとマサキは思ったものだったし、実際、モニターに表示されるステータス的にもどうにかなってしまっている状態だった。
僅かな欠損。確かにこの破損状況では、モニタリングが効かなかったのも頷ける……発見が遅れてしまったことを、サイバスターに申し訳なく感じながら、マサキは作業を続けることにした。
「餅は餅屋ニャんじゃニャいか」
「マサキの整備は雑ニャのよ」
「とは云っても、この程度だしな……」
シロやクロが口にした通り、このまま引き返して、整備施設にサイバスターを持ち込んでもよかったが、たかだかコントロールパネルの一部の接触不良で、多忙な練金学士たるウエンディに時間を割かせるのも気が引ける。それに小さなユニットのカバーの欠損だ。そのぐらいのダメージなら、今直ぐにサイバスター本体にまで影響が出ることもないだろう。
ユニットカバーは後で新品を発注することにして、マサキは取り敢えずの応急処置に取り掛かる。先ずはユニットカバーの取り外しだ。ユニットカバーを嵌め込んでいる特殊ネジを、対応するドライバを使って外す。
「大丈夫ニャのかしら」
「不安しかニャいんだニャ」
「このぐらいはいつもやってるだろ。お前ら、主人を馬鹿にし過ぎじゃねえか」
「それにしてもニャのよ。ニャにも外で応急処置を始めニャくても」
「コントロールが効かないんだから、仕方がねえだろ」
そこまで言葉を吐いたところで、マサキは顔を上げた。突如、反応を示し始めた通信モニター。誰かがマサキとのコンタクトを求めている。何もこんな時にと思いながらも、王都からそう遠くない位置だ。流しの魔装機か、セニアからの連絡を受けたサイツエット州軍のいずれかだろうと思いながら、マサキは通信回線を開いた。
「何だよ、てめえか……」
代り映えのしない取り澄ました表情が、モニターの向こう側に映っている。今日も今日とて陰気臭い顔をしていやがる。そう口に出そうになるのを抑えながら、マサキは彼に先んじて言葉を吐いた。
「悪いな、今は手一杯だ。お前の相手をしてやる暇は」
「暫く様子を窺っていたのですが、動く気配がなかったのでね。何かトラブルが起きましたか、マサキ」
餅は餅屋だニャ! マサキの足元でシロが声を上げた。確かにシュウであれば、このぐらいのトラブルの修理は朝飯前であることだろう。けれども。借りを作りたくない相手に対して、呼び込むような台詞を吐くのは、如何に自らの使い魔であろうとも頂けない。余計なことを――と、マサキはその首根っこを引っ掴んだものの、既にシュウには機体トラブルと見当を付けられてしまっている。
「どうやら本当にトラブルなようですね、マサキ。あなたが外に出ていないということは、操縦席で手が足りる範囲内のトラブルなのでしょう。とはいえ、計器類やプログラムのトラブルにあなたが対応出来る筈もなし。ということは、コントロールパネル辺りに異常が起こりましたか」
何もかもを口にする前から、この推察力。姿を見ずして、していることを云い当てられて喜ぶ人間はそうはいない。マサキは声を上げそうになるのをぐっと堪えて、反射的にモニターの前。仁王立ちになると、涼しい顔でこちらの様子を窺っているシュウに云った。
「お前、それ止めろって云ってるだろ。やられる方の身にもなれよ!」
「そうは云われてもね。このぐらいは簡単に推測出来ることですよ。しかも、あなたのその反応で当たっていることまでわかってしまう。少し待っていて下さい、マサキ。私がやりましょう。その方があなたの時間も節約出来るでしょう」
「まあ、いいけどよ……州軍に行かなきゃいけない用事がある。やるなら手早くしてくれよ」
「私を誰だと思っているのです。あなたがやるよりは余程早い」
任務への行きがけの道だ。早く直せるに越したことはない。マサキは不承不承、シュウの申し出に承服しかけてはっとなった。任せるに足る腕を持っているのは確かだが、些か人間性に問題がある男。彼は時々、親切を押し付けては、それを貸しと勘定してみせるのだ。
「借りにするのはナシだぜ」
「このぐらいの作業を貸しにするほど、私は困窮してはいませんよ」
それから間もなく。
サイバスターの操縦席に乗り込んで来たシュウは、大口を叩いてみせるだけはある。マサキとは比べ物にならないスピードでユニットカバーを取り外してみせると、少しの作業で原因を特定したようだ。その指先に特殊ネジの一本を抓みながら、マサキを振り返った。
「カバーが破損した際に外れたネジですよ」
「これがどうしたって?」
「ユニット内部に入り込んだのですよ、このネジが。そして内部のチップに傷を付けた。振動の度にユニット内部を暴れ回ったのでしょうね。症状が出るまでに時間がかかったのは、だからです」
「接触不良じゃ済まなかったってことか」
「私はこのチップの替えは持っていませんし、そうである以上、ここでやれることはこれが限界です。州軍に行くのは諦めて、素直にウエンディを頼っては如何です」
そう云うと、シュウはマサキの手に特殊ネジを握らせた。
「まあ、操縦自体が出来なくなった訳じゃないしな……悪化する前にウエンディを頼っておくか……」
「何か起きてしまってからでは遅い。そうすることを勧めますよ」
シュウはそう云ったきり、マサキの手に重ねた手をどける気配もなく。凝っと自らの手の甲に視線を落としたまま黙り込んだ姿に、マサキは何かあるのかとその顔を覗き込む。
そのマサキの不躾な視線で我に返ったようだ。シュウはそうっとマサキの手から自らの手を離すと、何かを深く憂いているような表情でこう尋ねてきた。
「こうしてあなたと偶然に顔を合わせるのは、何度目でしょうね」
「さあな。数え切れる数じゃなくなったのは確かだ。それがどうかしたか」
そのマサキの答えを、シュウは訊いているのかいないのか。
――神は絶対にサイコロを振らない。
そうとだけ呟くと、何事もなかった様子で、「牽引が必要なら、グランゾンで出来ますよ。どうします」と、口にした。
「いらないだろ。左への旋回が出来ないだけだしな。それより、お前。さっきの」
「では、王都近くまで護衛をしましょう。操縦が心ともないサイバスターでは、安全が確保出来ないでしょう。このまま別れてあなたの身に何かあったら、流石に私も寝覚めが悪い」
理解が及ばなかった言葉の意味をマサキは尋ねようとしたものの、その言葉に被せるようにシュウが言葉を吐いてくる。「何だよ、今日は随分と優しいじゃねえか……」マサキは意外な男の一面に途惑いを感じながらも、厚意は厚意とそれを受けることにした。
来た道を戻るように、ラングラン王都へ。神は絶対にサイコロを振らない。決して短くはない道のりを、グランゾンに先導されがら戻ったマサキは、気にかかったその言葉の意味を知りたいと望みながらも、中々それを口にする機会に恵まれずに――。
結局どういうことなのか、聞けないままだった。
リクエスト:書き出し「接触不良だ」終わり「結局どういうことなのか、聞けないままだった」