宇宙の只中で誕生日を迎えた。
機械油の臭いが漂ってくる格納庫で静かに出番を待つ人型戦闘用機械に囲まれるようにして、親しい操縦者や整備士たちから誕生日を祝われたマサキは、ささやかながらも温かかったパーティの余韻に浸りながら、自らの船室へと向かっていた。
――今日も無事に生き延びた。
明日をも知れぬ命。日々強まる戦火の只中に訪れた自身の誕生日というイベントは、見ようによっては不遇ともとられたかも知れなかったが、親しい仲間たちと心安く過ごすことが出来たマサキにとっては、これ以上とない幸運の巡り合わせだった。ひとつの戦場を経ては次の戦場へ……この数年というもの、ひとところに腰を落ち着けて生活をした記憶のないマサキからすれば、こうして誕生日を祝ってもらえたのはいつぶりか。
思い出せないまでに古い記憶。あの頃はまだ、養父であるゼオルートも生きていた――……。ふと郷愁めいた思いに囚われたマサキは、その気持ちを振り切るように、先程までのパーティの光景を脳裏に蘇らせた。小さくも確りとしたバースディケーキ。紙コップに詰められた揚げ物。口の中で泡と弾ける炭酸飲料水。さしたる量ではないとはいえ、物資に乏しい戦時中に揃えるのは苦労が要っただろうパーティ料理は、彼らが時間をかけて今日という日の為に準備を重ねてくれたことを表していた。
この穏やかで満ち足りた気持ちのまま眠りに就きたい。
戦わない日がないぐらいに苛烈を極める戦場にあっては、僅かな空き時間も休息に充てられるものだ。きっと多くの乗組員たちは、めいめに休息を取っているに違いない。足元でじゃれつく二匹の使い魔とともに、人気の少ない通路を往ったマサキは、その道の果てに、好んで顔を合わせたいとは思えない相手が佇んでいるのを発見した。
「おや、マサキ」
「なんだよ」
端正な面差しに、すらりとした長躯。だのに、ただ言葉を発されるだけでも鼻に付く。頭脳に魔力、剣術とあらゆる才能に恵まれた男、シュウ=シラカワ。きっと神は自分を苛立たせる才能をも、この男に付与したに違いない――。マサキは盛大に顔を顰めて、通りがかりざまに自らを呼び止めた相手に向き直った。
どうやら、格納庫でのパーティは彼の耳にも届いていたようだ。誕生日だそうですね。訳知り顔でそう語りかけてくる彼に、プレゼントでもくれるってか。嫌味混じりにそう返せば、欲しいですか? と、真顔で尋ねてくる。
「くれるっていうなら貰うけどな。お前のことだ。くれるって云っても、どうせお堅い技術書か何かだろ」
「流石にそこまで野暮な真似はしませんよ」
「ホントかよ。お前が俺が欲しがるようなものをくれるとは思えないんだけどな」
「そこまで云われると意地でも感動させてみたくなりますね。付いて来なさい、マサキ。滅多に見られないものを見せてあげましょう」
云うなり裾の長いコートを翻して歩み出すシュウに、何処に行くんだよ。マサキは慌ててその後を追った。間隔の異なるふたつの靴音が響き合う。どうやら彼は艦の上部へと向かう気であるようだ。管制室へ。と短い答えが返ってきたかと思うと、滑り込むようにして昇降機に乗り込んでゆく。
「人に付いて来いって云っておきながら、先に行こうとするんじゃねえよ」
マサキも急ぎ、昇降機に乗り込む。
昇降機の内部には何名かの乗組員の姿があった。彼らは滅多にない組み合わせに一様に目を瞠ると、あまり露骨に表情に表すのも失礼とでも思ったのだろうか。次の瞬間には次々と表情を取り繕ってみせた。
無理もない。既に敵ではなくなって久しい男ではあったものの、顔を合わせればいがみ合いばかり。稀には他愛ない世間話に興じることもあったものの、それが長続きした例がない。どうもシュウ=シラカワという男は、マサキ=アンドーという存在に対して含むところがあるようだ。
「私が向かう場所はわかっているのですから、後から追ってくればいいだけの話でしょうに。それに、こちらにも準備の時間が必要ですしね。どちらかといえば、あなたには遅れて到着してもらえた方が有難くあるのですが」
「だったらそう云えよ。云わずに置いていかれたら、担がれたのかって思っちまう」
「随分と見縊られたものだ」何が面白いのかシュウが声を上げて嗤う。「これでも嘘を吐いたことはないつもりでしたが」
それにマサキは眉を顰めてみせただけだった。
確かに彼は嘘は吐かなかったが、だからといって誠実かと訊かれると、それは違うと答える他なかった。嘘は吐かないが、答えないということをする。彼は根本的に他人を信用していないのだ。それが証拠に、陰に隠れて様々に企みを進行させているらしい彼は、準備が整ったと見るや否や、それを他者の鼻を明かすように開陳してみせる。それも味方相手であるというのに、だ。
これでどうして彼が味方に心を許していると云えたものか。
何を為すのも自らの力のみ。独立独歩の気が強い彼は、仲間を得た今となっても変わる気配がない。
けれどもそれを指摘してみせたところで、彼がそれを認めることはないのだろう。自尊心の高い彼は、自らの在り方を云い当てられることを極端に嫌う。マサキは喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。珍しくも誕生日を祝ってくれる気でいるらしい彼に、わざわざ水を差すような真似をするほどマサキは野暮ではないのだ。
「ところで何を見せてくれるんだ?」
「それは見てからのお楽しみですよ」
目的とする階に辿り着いた昇降機から、シュウに続いて降りたマサキは、彼に続いて管制室に足を踏み入れた。乗組員の大半が眠りに就いているとはいえ、その休息を保障しているのは、管制室にて航域確保に努めている彼らの働きがあってこそだ。マサキは粛々と業務に励んでいる彼らの合間を抜けるようにして、操舵席に身を収めているブライトの許へと向かった。
「珍しい組み合わせもあったものだね」
「少々お願いしたいことがありましてね」
「君のお願いとあっては、一筋縄で行く気がしないが、聞くだけ聞くとしようか。何を頼みたいのかな、シュウ」
「Arp273星雲を映し出して欲しいのですよ。彼の誕生日のプレゼントに、見せてあげたく思いまして」
どうやら名の知られた星雲であるらしい。ほう。と声を上げたブライトが、面白いことを頼むね。と笑った。
「出来なくはないが、ハッブル宇宙望遠鏡と比べると、この艦の望遠機能は大分劣る。それとわかるぐらいにしか映し出せないだろうが、それでもいいかね?」
「構いませんよ。あの形がわかる程度に映し出せれば、それで」
深く頷いたブライトが、周囲の航海士たちに目を配る。彼らにとってもシュウが口にした星雲は馴染み深いものであるようだ。既に準備は万端といった面持ちで操舵席を見上げている彼らに、では、とブライトは表情を引き締めて命令を下した。
「照準の位置を合わせろ! 目標はArp273星雲! スクリーンに宇宙に咲く花を映し出せ!」
ほら、マサキ。とシュウが管制室の正面に広がるスクリーンを指し示す。促されたマサキはスクリーンに向き直った。目の前に映し出されている宇宙、その終わりなき闇の中で瞬く星々が急速に流れ始める。それはスピードを増して宇宙の一点へと迫ってゆく。
恐らく目的とするArp273星雲であるのだろう。望遠を続けるカメラの視界に、やがて色鮮やかに渦巻く銀河が映し出された。赤い渦に、青い煌めきが散っている。始まりは小指程の大きさだった銀河は、一気に距離を近くするとこぶし大程の大きさとなってスクリーンに収まった。
「アンドロメダ星雲より3億光年先にあるArp273星雲は、ふたつの銀河の集合体です」
マサキの隣に立つシュウが、星雲の来歴を説明し始める。
「上側の銀河はUGC1810、下側の銀河はUGC1813と呼ばれています。この独特の渦を巻く形状は、上側のUGC1810銀河の中央を下側のUGC1813銀河が通り抜けることで生まれたと云われています」
「確かに、見たことない形をしてるな。まるでブラックホールみたいだ」
「そう云われれば何かを飲み込んでいるようにも見えますね。ですが、マサキ。もっと似ている形状があるようには思いませんか?」
アンドロメダ星雲から3億光年先にある渦を巻く星雲。現在の戦艦位置からは気の遠くなるような場所にある星雲を、ピンポイントで映し出すのは本来苦労の要る作業であることだろう。それをスムーズに成し遂げた航海士たちの腕に感心しながら、マサキはシュウの問いの答えを考えていた。
「何だろうな。お前がわざわざ尋ねてくるほどだ。キャンディ、って訳じゃなさそうだし」
「君は色気より食い気というタイプのようだね」
マサキの答えが意外だったようだ。声を上げて笑うブライトに、そんなに的外れなことを口にしたのかと、マサキが周囲を見回せば、管制室の乗組員たちもまた一様に口元に笑みを浮かべている有様だ。どうせ俺には情緒がねえよ。呟きながらシュウに向き直ると、似ていないとは云いませんよ。シュウは穏やかな口ぶりで、マサキの感覚を肯定してみせた。
きっと、誕生日であるからこその優しさであるのだろう。
普段であれば嫌味のひとつも飛んできそうな場面にあって、穏やかさを崩さない男の言葉。何だよ……拍子抜けせずにいられないマサキの視線をスクリーンに誘導しながら、天文学者たちは総じてロマンチストであるのですよ。そう言葉を継いだシュウが、次いで答えを口にする。
「そのロマンチストな天文学者たちは、巨大な渦を巻くこのふたつの銀河をこう呼びました。宇宙の薔薇――と」
云われてみれば確かに、赤く渦巻く星雲は闇に花びらを広げる紅の薔薇のように映る。
そう、青い星の群れを引き連れた一輪の薔薇。
アンドロメダ星雲から3億光年も先に咲く宇宙の薔薇に、マサキはきっと生きている内に辿り着くことは出来ないだろう。それをこうして戦艦のカメラ越しとはいえ眺めることができる……この光景を目に焼き付けておこう。マサキはスクリーンに映し出されている小さなふたつの銀河を食い入るように見遣った。
「お気に召していただけましたか」
「ああ……驚いたよ。有難う」
そのマサキの素直な感謝の言葉に少しばかり驚きを感じたようだ。僅かに間を置いた彼は、「誕生日おめでとう、マサキ」そう口にすると、闇に咲く巨大な薔薇に見惚れるばかりとなったマサキの隣で、暫し。自らもその輝きを凝視めていたかと思うと、
――いつかはあの銀河にも辿り着きたいものですね。
今はまだ夢物語でしかない遠き宇宙に思いを馳せるように、静かに。しかし万感の想いを込めるように言葉を吐いた。