Happy Halloween

「トリック! オア! トリート! お菓子くれなきゃ食べちゃうぞー!」
 ゼオルートの館に帰宅したマサキが玄関扉を開くと、カボチャの被り物に黒マントといういでたちのプレシアが立っていた。逆じゃねえの。彼女の台詞を聞いて事情を把握したマサキは、決して多くはないハロウィンの知識を掘り返して呟く。
 マサキの記憶が確かならば、仮装した子どもたちがお菓子をねだるのは訪ねた先の家々である筈だ。それを家で待ち構えてお菓子を寄越せでは、話が逆。マサキは悩んだ。この手のイベント情報を彼女に吹き込むのは、魔装機操者の地上組と相場が決まっている。どうせ傍迷惑な性格をしている彼らのことだ。わかっていて余計なことを吹き込んだに違いない。
 果たしてプレシアに正しいハロウィンの過ごし方を説明すべきなのか、否か。その迷いが時間を無駄に過ぎさせてしまったようだ。ちょっと、おにいちゃん! プレシアが痺れを切らした様子で、カボチャの被り物を脱ぐ。「何か云ってよ。ずっとこの格好で立ってるの恥ずかしいよ」
「恥ずかしいのにそんな格好をしたのかよ」
「皆も着てるもん」
 ぷくぅ、と頬を膨らませたプレシアの後ろから、マサキ? と、穏やかな声が響いてくる。次いで姿を現わしたゼオルートの装いを目にしたマサキは、あんたもかよ。額を押さえてよろめかずにいられなかった。
 菓子類が山と積まれたカボチャの籠を両手に持っている彼は、どこから調達してきたのか。いかにも御伽噺に出て来そうな魔術師の衣装を身に纏っている。三角帽子に、裾の長いマント。オーブが先端に付いた杖を背中に背負って、あなたの分もありますよ、マサキ。しらと云ってのけたゼオルートに、冗談だろ。マサキは眩暈を起こさずにいられなかった。
「パーティの準備は済んでいますよ。さあ、早く着替えを済ませてしまいましょう」
「じ、冗談じゃねえ。俺にまでこんなけったいな格好をしろって云うのかよ」
「おにいちゃんにはね、ピエロの衣装を用意したの。可愛いんだよ」
「ピエロォ? 俺に? ピエロの格好をしろって?」
 目の前にプレシアが突き出してきたピエロの衣装を目にしたマサキは、更によろめかずにいられなかった。
 二又に分かれた帽子に、カラフルな色合いのツナギ。つま先の反り返ったシューズと、どう見ても立派な一揃いのピエロの衣装。似合わないどころの騒ぎではない。しかもご丁寧に赤毛のウィッグ付きときたものだ。
 逃げるなら今しかない。マサキは後ろ手に玄関扉のドアノブに手をかけた。それに気付いているのか、いないのか。のほほんとゼオルートが言葉を吐きながら、ずいと一歩マサキに迫って来る。
「メイクはテュッティたちがしてくれますから、大丈夫ですよ」
「どこが大丈夫なんだよ。何だよメイクって!」
 ただピエロの衣装を着るだけでも堪らないというのに、その上メイクまで付いてくるなど地獄絵図でしかない。逃げろ逃げろ逃げろ。脳の奥で鳴り響いている警鐘に従って、このまま脱兎の如く逃げ出してしまおう。そう思ったマサキが、ドアノブを捻った瞬間だった。
「お帰りなさい、マサキ」
「よお。やっとご帰宅か」
 吸血鬼の仮装がここまで似合わない男もそういない。筋骨隆々の体躯に黒いマントを羽織って、牙の生えたマントルピースを口に嵌めたリカルドに、赤い液体が入った玩具の注射器を手にしているナース姿のテュッティ。ゼオルートの背後から並んで姿を現わしたふたりに、何の騒ぎだよ、何の。マサキが尋ねれば、「ハロウィンに決まってるだろ。トリック・オア・トリート。なんてな」
 ガハハ。と、高らかな笑い声を上げたリカルドに、嫌な予感を覚えながら、ヤンロンは? と、マサキが続けて尋ねてみれば、「ちゃんと仮装してくれたわよ」うふふと含み笑いを洩らしながらテュッティが云ってのける。
「嘘だろ? あの堅物が、ハロウィンの仮装をしたって?」
「堅物とは余計なひと言だ」
 マサキは更に姿を現わした魔装機操者随一の堅物の姿に、卒倒しそうになった。目の周りを覆い隠す派手な色合いの仮面を付けた彼は、片手に重厚な杖を携え、黄金色に輝く王冠と豹柄の毛皮のマントを身に付けている。
「それは何の仮装だ」
「精霊王なのだそうだ」
「その派手な格好で? 精霊が聞いたら反乱を起こすだろ!」
「着ないことには料理を食べさせてくれないらしいのでな」
 マジか。マサキは吐き捨てるように云った。ヤンロンまでもが仮装をしてしまっている以上、マサキひとりが騒ぎ立てたところで逃げられる気がしない。ほら、行くぞ。呆気なく左右をリカルドとヤンロンに挟まれたマサキは、これも運命かと玄関から館の中へと上がることにした――……。

※ ※ ※

 はっとなって目が覚めた。
 懐かしいパーティの夢だった。ミイラ宜しく包帯巻きになっていたティアンに、何故かメイド服を着ていたデメクサ。化粧でゾンビに化けたレベッカに、レオタードを着て化け猫と化したシモーヌ……あの無口なゲンナジーまでもが、月桂冠を被って古代ローマ人と思しき衣装を身に纏っていたぐらいだ。流石にアハマドは逃げたらしかったが、それでもこれだけの面子が顔を揃えたのだ。その後の乱痴気騒ぎなど語るまでもない。
 それは、あのゼオルートをして酔い潰すほどの酒宴だった。
 あんなにバカ騒ぎをしたのは後にも先にもあれきりだ。マサキは暫く黙って天井を見上げていた。ややあって、喉から込み上げてくる熱い塊に、堪えきれずに腕で顔を覆った。それが契機だった。噛み締めた奥歯の隙間から、静かに嗚咽が洩れ出る。
 もう二度と訪れることのないパーティの記憶。あれから幾度もの酒宴を繰り広げたマサキたちだったが、ひとり欠け、ふたり欠けと、顔触れが次第に変わっていった。そう、あの輝ける日々は、決して取り戻せない想い出なのだ……マサキは思い知ってしまった現実に、ただただ声を殺して泣くしかなかった。
「どうしたの、マサキ」
 不意にかけられた声と取られた腕に、慌ててそっぽを向こうとするも、彼の手はマサキの身体を引き寄せて離さない。
 マサキはひとりで寝ていた訳ではなかったベッドに、どうしてこうも油断をしてしまったのかと後悔をするも、その程度の気持ちで振り払える腕でもなく。仕方なしに彼の広い胸に顔を埋めて、目の際を伝う涙を彼が着ているガウンに染み込ませた。
「そんな風に泣かれてしまっては、幾ら私でも見過ごすことは出来ませんよ」
「大したことじゃねえよ」マサキは首を振った。「懐かしい夢を見ただけだ」
 そう。呟いた彼の手が、マサキの髪を梳いた。気が済むまで泣きなさい。その言葉にマサキの張り詰めていた気持ちの糸が切れた。弾かれるように彼の背中に腕を回したマサキは、彼の腕の中。子どものようにひたすらに泣きじゃくった。