いつまで経っても鳴らない目覚まし時計におかしいと感じたマサキがベッドから飛び起きてみれば、時刻はとうに昼。過酷な任務に寝過ごしてばかりの義兄を、二匹の使い魔とともに律儀に起こしてくれるしっかり者の義妹。彼女はどうしたのかと思いながら急ぎ服を着替え、慌てて部屋を飛び出しかけたところで――そうだとマサキは足を止めた。
ようやく取れた休暇だった。
何かと用事を見付けてはマサキを扱き使うセニアに願い出ていた長期休暇。無論、世界存亡の危機に際してはその限りではなかったが、そういった非常事態が発生しない限り、十日もの日数が保障された休みである。こんなに軽やかな気分で羽根を伸ばせるのはいつぶりか。もしかするとラ・ギアスに召喚された直後のあの穏やかな日々以来かも知れない。
ベッドに戻ったマサキは窓の外に広がる青空を眺めた。
流れ行く雲。スピードが速い。開いた窓から吹き抜ける風に身体を撫でられながら、ゆったりと目を閉じる。静かに過ぎゆく時間の心地良さ。この穏やかな時の流れに十日間も身を任せていられるのだ。
さあ、どう過ごそう。前日まで細々とした任務に追われていたマサキは、いざ訪れた休暇をどう過ごすかといった計画に乏しかった。観光、旅行、散策、遊行……ぼんやりと頭の中にあったイメージを、具体的な形へと変えてゆく。行きたかった観光地、滞在したかった街、遊びたかった施設。考えれば考えただけ十日では済みそうにない。次から次へと思い浮かんでくる希望の数々に、たかが十日、されど十日。と、マサキは目を開いた。
こうして家でじっとしていても時間は過ぎてゆくだけだ。
過ごし方次第では、かなり充実した休暇を過ごせる日数である。マサキはベッドの下からバックパックを取り出した。当座の着替えをそこに詰め込んで、既に起きているらしい二匹の使い魔を探しに部屋を出る。
「シロ、クロ、出掛けるぞ!」
声を上げて程なくして、二匹の使い魔が階段の影から姿を現わしてくる。彼らの話を伺うに、プレシアは街に買い出しに出ているようだった。如何に休暇といえども勝手に姿を消すのは憚られる。マサキはプレシア宛てに書き置きを残すと、多大なる期待を胸に。十日の休暇を有効に使うべく、二匹の使い魔とともに家を出た。
※ ※ ※
「それで私の所に来たと? もっと他に有用な休暇の使い方があるでしょうに」
研究の最中らしい。組み上げられた機構に繋がれた無数のコードが出力する信号を、ホログラフモニターの前に立って読み取っているシュウは、突然のマサキの来訪にも動じることはないようだ。
モニターに注がれている視線の厳しさは、シュウが研究に集中している度合いを表している。冷ややかにも映る眼差し――どうやら彼にとってこの研究は、相当に興味深い結果を見せているようだ。これではいつ彼が重い腰を上げてくれたものかわかったものではない。マサキはホログラフモニターの後ろに立った。そしてモニターを挟んでシュウと向き合う。
「あまり邪魔をしないで欲しいものですが」
「研究は逃げねえだろ。行こうぜ、バカンス」
「気候の変化による出力結果の変化も見たかったのですがね」
仕方ないといった態度でモニターを閉じたシュウが、次いで機構を停止させた。やった! と飛び上がった二匹の使い魔に、「あなた方は私に何を期待しているのですか」研究を中断させられたシュウは、不可思議なものを見るような視線を向けた。
「面白い所に連れて行け、ニャんだニャ!」
「マサキひとりじゃ迷っちゃうじゃニャいのよ!」
それで納得が行ったらしい。確かに。と頷いたシュウは、マサキたちに先に外に出て待っているように伝えると、支度をする為だろう。ひとり、研究用プラントを出て行った。
※ ※ ※
シュウの案内で周囲を山に囲まれた人気のない湖に辿り着いたマサキは、早速とサイバスターの格納スペースに仕舞い込んでいた水上バイクを取り出した。涼しいぐらいの気候とあっては、水はかなり冷たいことが予想されたが、その程度の障害などこれから始まるエキサイティングな時間に比べればさしたるものではない。
多忙な日々の曖昧にこっそり地上へと通って取得した免許。ようやく訪れた初乗りの機会に心躍るマサキがライフジャケットを装着してシュウを振り返れば、全く興味をそそられないようだ。シュウは草むらに腰を落として書物をつまびらびらこうとしているところだった。
「お前、折角のバカンスでもやることは一緒なのな」
マサキは大股でシュウに迫ると、目の前に仁王立ちになった。
「まさか私にあなたと一緒にあれに乗れと?」
「そのまさかだよ」
シュウが膝の上に広げている書物を奪い取ったマサキは、手にしていたライフジャケットを彼に向かって放り投げた。はあ。と、小さな溜息が彼の口から洩れるも、意地になってまで逆らうつもりはないようだ。上着を脱いだシュウがライフジャケットを着るのを待って、マサキは彼の手を掴んだ。
「今日は随分と積極的ですね。そんなに休暇が嬉しいのですか、マサキ」
水辺に停めておいた水上バイクにシュウを乗せる。当たり前だ。声を弾ませながら答えたマサキは、逸る心を抑えながらバイクを跨いだ。そのままエンジンを入れる。小刻みに身体に伝わってくるモーターの振動。ちゃんと掴まってろよ。マサキがシュウにそう声を掛けると、彼の節ばった手が腰に回される。
「行くぞ! こんだけ広きゃ走り甲斐があるってもんだ!」
マサキはスロットルレバーを捻った。ゆっくりと前進した水上バイクが、次第に速度を増してゆく。冷えた空気が風となって身体を嬲る。気持ちいい。マサキは右に左にハンドルを切りながら、広い湖を走り回った。
「風が気持ちいいですね」
「そうだろ? 身体が守られてない分、サイバスターとは違った気持ち良さがあるんだよ」
跳ね上がる水飛沫が腕に、顔にかかるも、それさえも快感だ。旋回、直進……二人乗りでは安全を考慮しながら走らなければならないだけにやれることは限られたが、手足のように動かせる水上バイクのフィーリングの良さに比べればその程度の制約など些細なものだ。
何より、ひとりきりで休暇を過ごさずに済んでいる悦び。話し相手がいるだけでも心強い。マサキはシュウと会話を重ねながら、思う存分水上バイクを走らせた。
「楽しかったですよ、マサキ。あなたは本当に風を感じるのが好きなのですね」
濡れた服を着替えにグランゾンに向かったシュウが残した言葉に、そうかも知れねえな。マサキは届かぬことを承知でそう言葉を返し、自身もまた濡れた服を着替えにサイバスターに向かった。
「休暇を旅行に使うのは結構ですが、計画は立っているのですか? 十日も休暇があるのでしょう。それだけの日数があれば、相当に贅沢な旅行が出来ると思いますが」
ややって着替えを終えてサイバスターからマサキが戻ってくれば、既にシュウは着替えを終えた後だったようだ。草むらに腰を落として、再び読書と本を広げている彼の言葉にマサキは呻いた。
「それなんだよなあ」
やりたいことは山程あった。観光、遊行、湯治……十日あれば全てをやり尽くすことも可能だろう。勢いに任せてシュウを誘って出て来たマサキは、だからこそそうした希望の数々を叶えるのを躊躇ってしまった。趣味や嗜好の異なる者同士。マサキがやりたいことが果たして彼の嗜好に合うのか。
「やりたいことはあるんだけどさ、お前が果たしてどこまで付き合えるかって問題が――」
「付き合いますよ」本を閉じたシュウが、腰に付いた草を払いながら立ち上がる。
「折角の休暇なのでしょう。それでしたら、やりたいことを全て叶えた方がいい。次はいつこういった機会があるかもわからないのでしょう」
無理矢理引っ立てられてこの場にいる割には寛大な言葉に、マサキは躊躇いを強める。
「でも、遊園地とかお前、大丈夫かよ」
「付き合いますよ」
「温泉」
「いいですね」
「観光もしたかったんだよ。ラングランの名所を見て回るっての」
「結構ですよ。行きましょう」
ほら、とシュウがマサキに手を差し伸べてくる。本当に? マサキはその手を取りながら、今一度、彼に念を押した。
「俺、欲張りだからな。かなりハードスケジュールになるぜ」
「日々、のんびりと過ごしていますからね。偶にはそのぐらい慌ただしい旅もいいものでしょう」
いけ好かないと感じることの多い笑みが、頼もしく映る。マサキは笑った。胸にかかっていた気まずさという名の靄が晴れてゆく。
「じゃあ、行こうぜ。先ずは観光だ。この近くに空が生まれる場所ってのがあるんだろ――……」
※ ※ ※
贅沢に時間を使った旅行だった。
書き置きひとつで十日を留守にした義兄にプレシアは盛大に嫌味を吐いたものだったが、マサキが用意した土産の量に、義兄が休暇を愉しみ切ったことを覚ったのだろう。お兄ちゃんが楽しかったのなら。そう云って満面の笑みを浮かべた彼女は、それらの土産を受け取ると、尽きぬマサキの話をうんうんと嬉しそうに頷きながら聞いてくれた。
遊園地にも行った。観光地も巡った。温泉にも浸かったし、ついでにボートや水上バイクも楽しんだ。
こんなに充実した休暇になるとは、シュウの許を訪れた当初は思ってもいなかった。彼はマサキの膨大な希望を整理して、適切な旅程を設定してくれた。これでもかと詰め込んだ希望が全て叶ったのは、彼の調整能力のお陰である。
勿論、ただ旅程を決めるだけでなく、その全てに付き合ってくれた。
遊園地ではともに乗り物やアトラクションを愉しみ、観光地では自身が知っている知識に基づいて案内をしてくれもした。だらだらと過ごした温泉での湯治では、暇を潰すのに最適な話し相手になってくれた……シュウのお陰でマサキの旅の思い出に厚みが出たと云っても過言ではない。
「またいつか、一緒に旅行しようぜ。今度はバンガローでも借りてさ、のんびりとした時間を過ごすんだ」
「そういう計画でしたら喜んで」
ひとつの約束が次の休暇までの支えとなることもある。マサキは今から次の休暇が楽しみで仕方がない。
彼とふたりで過ごした時間は、マサキにとってそれだけ重みのある時間となったのだ。
――明日からはまた戦いの日々だ。
夜更け近くまでプレシア相手に旅の思い出を語ったマサキは、疲労を吹き飛ばすほどの高揚感の中、ベッドに潜り込んだ。ゆっくりと瞼を閉じる。シュウと一緒に回ったラングラン各地の光景が瞼の裏側に蘇ってくる。振り返っても振り返っても飽きることのない想い出……それらを胸に抱えて、マサキはこれ以上とない幸せな気持ちで眠りに就いた。