「ほら見ろよ、空があんなに高い」
マサキは空に向かって両手を広げた。
ラングランではありふれた平原だった。天に向かって真っすぐに伸びる背の高い草が、風に吹かれて頭を揺らし続けているような。
その中央に、まるで登ってくれと云わんばかりにあるひとつの丘。なだらかに続く坂の上にピクニックシートを敷いて、シュウとふたり。雄大な自然の数々を眺めていた。
いや、正確にはマサキがひとりではしゃいでいるだけだった。
知識の徒たるシュウは、相変わらずと云うべきか。膝に広げた本の中身に御執心だ。それが面白くないマサキとしては、どうにかして彼の関心を自分に向けるべく、何かに付けて彼に話しかけてはいるものの、彼が最も関心を寄せているものが相手とあっては分が悪く。
「ええ、本当に美しいですね、マサキ」
まるで動かない視線。生返事ばかりが聞こえてくる惨状に、そろそろ本気でシュウの手元から本を取り上げるべきかとマサキは真剣に悩んでいた。
バスケットの中に納まっているスチール製のマグボトル。中身はシュウのお気に入りの紅茶が詰まっている。スモークチキンと生野菜をふんだんに使ったサンドイッチも、偏食甚だしい彼を思ってのことだ。
だというのに、シュウはそのどちらにも手を付けていない。
この場所に陣取るなり広げられた本。彼にかかればふたりでのピクニックさえも絶好の読書タイムに早変わりしてしまう。
「お前、俺の話を本当に聞いていやがるのか?」
「勿論ですよ」
「その割に視線が全く動かないってのはどういう了見だ」
「心の目で見ていますから」
ああ云えばこう返してくるシュウのつれなさに、マサキは溜息を吐いた。
ラングランは好天に恵まれた日が多い。温暖な陽気に心地良い風。青く抜ける空にしても、その気になればいつでも拝むことが出来る。生まれも育ちもラングランであるシュウにとって、それらが当たり前すぎて有難みの湧かないものであることは理解出来る。
それでも自分が隣にいるのだ――マサキはシュウを横目で睨んだ。切れ長の瞳に、筋の通った鼻梁。そして薄く形の良い口唇。彼の整った顔立ちは、童顔に自覚があるマサキの劣等感を強く刺激する。
こういった顔立ちをどう表現するのが正しいのか、シュウほどに教養のないマサキにはわからなかったが、『黙っていれば端正な顔立ちなのにね』とテュッティが口にしていた辺り、そういった顔であるのだろう。
――面白くない。
こうなったら実力行使だ。マサキはシュウの背後に回った。
幸いなるかな。読書に熱中している彼は、マサキの行動に警戒を払っていないようだ。
その端正な顔とやらを、完膚なきまでに崩してやろうじゃないか。胸に決意の炎を燃やしたマサキは、次の瞬間、力任せにシュウの脇の下に手を突っ込んだ。
「マ、サキ――ッ!」
マサキに擽られたシュウの口から、悲鳴に近い声が上がる。続けて、マサキから逃れようとしたシュウの身体が、ピクニックシートの外に転がった。
「逃げるなッ!」
マサキはシュウの身体を追うと、その胸の上に逆向きに馬乗りになった。次はここだ! マサキはシュウの靴を脱がせ、足の裏へと指を這わせた。
「――――ッ!」
相当に辛いのだろう。耐え兼ねた様子でシュウが身体が左右に転がす。それでも声を上げて笑うのは自身のプライドが許さないようだ。顔を腕で覆って必死に耐えているシュウの姿は、まるで太陽の光に晒されたミミズのようだ。
「ざまあねえな!」マサキはあははと笑った。
「……楽しいですか……っ……マサキ……」
「面白いからやってるに決まってるだろ」
身体を後ろに向けたマサキはシュウの顔に目を遣った――と、笑いを堪え過ぎたのか、目尻の際に涙が浮かんでいる。
「俺とピクニックに来てるってのに、真面目な顔して本なんか読むからだ」
ここぞとばかりに云い放てば、立つ瀬がないとばかりに肩をそびやかしてみせる。
「あなたは本当に私を退屈させないですよ、マサキ」
とはいえ、さんざ悪戯をされた後にも関わらず、シュウが機嫌を悪くした様子はなさそうだ。むしろ喜んでいる風ですらある笑い顔に、もう少し擽ってやればよかった。マサキは頬を膨らませた。
ふう。と、大きく息を注いだシュウが目元に溜まった涙を拭う。
そのまま伸ばされた手が、マサキの頬にかかる。良く云うぜ。マサキは鼻を鳴らしながら、シュウの上着の襟元を掴んだ。そして、自らの劣等感を刺激する整い過ぎたきらいのある顔を間近で見詰める。
「俺はこれで案外執着心が強いんだ」
「知っていますよ」
「だから、十年やそこらで終わりにするつもりはねえよ。じいさんになるまで一緒にいてやる」
真っ直ぐに見据えた先にあるシュウの穏やかな笑顔。慈しむように注がれる視線が、マサキの胸を締め付けた。
「沢山笑って、しわくちゃのじじいになろうぜ。世界で一番幸せな恋をするんだ」
「最高のプロポーズですね」
骨ばった大きな手がマサキの顔を導く。マサキは身を屈めて、シュウに顔を重ねた。そして、口唇を伝ってくる彼の冷えた温もりを、ここぞとばかりに味わった。