百花繚乱と月に咲く数多の機影の隙間を縫って、大剣を振り上げながら白亜の機神が目の前に躍り出てきた瞬間、シュウは自身の長い苦悩と旅の終わりが近付いているのを感じ取った。
「覚悟しやがれ、シュウ!」
「いつまでもいつまでも忌々しいことですね! 今日こそあなたの因縁を終わらせて差し上げますよ!」
けれども、サイバスターと切り結んだ瞬間、シュウは自身が造り上げた最高傑作の力の全てをこの一戦に注ぐ決心を付けてしまっていた。持てる力の全てで彼を迎え撃つ。それが自分を追うことに全てを注いだ少年への、シュウからの最初で最後の贈り物だった。
サイバスターを目の前に出会ったあの日から今日まで、絶えることなく続いたひとつの縁。敵と味方と。時には立場を変えて近くにいた少年の名はマサキ=アンドー。ふたつの世界を股にかけて活躍をする少年は、シュウが予想だにしていなかったスピードで才能を開花させた。
「因縁だと? そんなもんはクソ食らえだ!」
「ならばあなたは何故ここまで私を追って来たのです!」
距離を取っては砲撃を放ち、噴き上がる月の砂塵の中を駆け抜ける。そして詰まった距離に剣を振るう。腹の底に響く鈍い衝撃。太刀を合わせただけでもこれだ。連続して剣を合わせるような事態になっては、さしものグランゾンも持ちそうにはない――既にロンドベルの一団から相当の攻撃を受けているシュウの機体は、そうでなくとも長くは持ちそうにはなかった。
「目の前の敵を斃すのに理由が必要かよ!」
「ならば、理由もなく力を揮う愚かさを思い知るのですね!」
血肉が沸騰し、心が高揚し、脳が焼け付く。シュウは残された力の全てをマサキとの戦いに注いだ。ブラックホールクラスター、縮退砲……距離を稼いでは撃ち続けた砲撃は、そろそろ底を尽きそうになっていた。
「はっ! 笑わせんな! 俺は見誤っちゃいねえ! お前は世界に仇をなした! 俺の敵ってことはそういうことだ!」
「甘ったれたことを! 無意味に力を揮うほど憎しみに溺れてはいませんよ!」
「はあ? 人の命はお前にとっちゃデータ上の数字ってか? 尚悪いに決まってんだろ!」
青臭い理想を霞のように食ってばかりだった少年は、巻き込まれた戦乱の中で己の立場と地位を確立させていっただけはある。シュウの揺さぶりに動じなくなるまでの信念。彼が戦いで得たものは、戦闘技術だけではなかったようだ。
それがシュウには少しばかり嬉しかった。
自分の命に決着を付けるのはこの少年でなければならなかったからこそ、それに相応しい精神を備えた戦士となって欲しかった。彼はもう、シュウと出会った頃の青臭い少年ではない。誇りと矜持を胸に抱いたひとりの英雄。望みのひとつを叶えたシュウは、これまで少しずつ捨てていっていたこの世への未練をまたひとつ捨てた。
「さあ、決着を付けようぜ! 先ずは俺の分だ!」
手足のようにサイバスターを操ってシュウの攻撃を風のように躱したマサキが声を上げた。戦場の最中にあっても見惚れるほどに美しい。シュウは吐息を洩らした。正確無比な攻撃は流石の身体能力だ。立て続けに肩部に叩き込まれる大剣。耐久値を超えた攻撃にグランゾンの肩の装甲が剥がれ落ちた。
「次はラングランの分だ!」
続けて胴体を突き上げられたグランゾンの核が破壊される。弱った機体で迎え撃ったにしてはよく持った方だ。シュウは反撃の手を止めた。心血注いで造り上げた機体の方法性間が違っていなかったことが最後に証明出来た。見たかった結果を目にしたシュウは、この世への心残りが最早ないことに気付いて静かに目を伏せた。
「最後はお前を引き戻したかった人々の分だ!」
頭部に振り下ろされた一撃を、シュウは避けなかった。
ドォンッ! と、耳をつんざく轟音とともに、かつて経験したことのない衝撃が襲いかかってくる。シュウは最後の意地で操縦席に留まった。脱出ポッドは作動しない。とうにグランゾンが負ったダメージは機能保持ラインを超えてしまっていた。
一瞬にして大破したモニターや計器類の破片がコントロールルーム内を跳ねまわる。
腕に、脚に、そして胴体に突き刺さる大小様々な破片が、自分の命を奪うダメージを与えていることにシュウは気付いていた。サーヴァ=ヴォルクルスに囚われた自分には相応しい末路だ。嗤った瞬間、口元から大量の血液が溢れ出てくる。
それでもシュウは懸命に両脚を踏ん張って操縦席に座し続けた。自らが手掛け、そして命を吹き込んだグランゾン。その重みを手放さない為に、シュウは踏ん張り続けた。
強大な力を誇った機体は、これを最後に棺となる。
そして宇宙を永久に彷徨い続ける。
それでいい。シュウはノイズを走らせているモニターの向こう側で、何故か涙を流しているマサキを見た。けれどもその表情を長く視界に留めることは出来なかった。世界が薄らぼやけてゆく。猛烈に眠い。おかしな男だった――シュウは最後にそう呟いて目を伏せた。
※ ※ ※
――Sanctus, Sanctus, Sanctus.
いつか教会で聴いた荘厳な調べが辺りを満たすように鳴り響いている。
シュウは目を開いた。白く眩い光が満ち溢れる世界にただひとり横たわっていたシュウは、聴こえてくる詩が流れてくる先を探して身体を起こし、そして周囲を見回した。
――Dominus Deus Sabaoth.
数多の作曲家が様々な解釈で曲を与えた聖なる詩の名はSanctus.レクイエムとしても有名なミサ曲だ。
――Pleni sunt Coeli et terra gloria tua.
地上に初めて出た際に、立ち寄った古びた教会。興味があった訳ではなかった。ただ異国の風貌をしている自分を、教会であれば自然に受け入れてくれると思っただけだった。
――Hosanna in excelsis.
老若男女問わぬ歌声。魂が洗われるような調べに、もしやここが天界と呼ばれる場所であるのだろうか。そう感じたシュウは、先もわからぬ光の洪水の中、世界の果てを目指した一歩を踏み出した。
――Benedictus qui venit in nomine Domini.
こんな経験は二度とない。まるで雲の上を歩いているような浮遊感に包まれながら、シュウは歩き続けた。
歌声は増々その響きを高らかに、そして近しいものとしていた。
――Hosanna in excelsis.
不意に目の前の空間が罅割れた。繰り返し響いてくる調べに不協和音が混じったのは、その瞬間からだった。何かを唱えているような低くくぐもった声。どういうことだ。シュウは罅割れた空間に触れてみた。じとりと湿った感触に嫌な予感が湧き上がる。
――Sanctus, Sanctus, Sanctus.
押し寄せる声の波。それはまるで何かの警告音のようにシュウの脳を貫いた。逃げなければならない。迫りくる危機を感じ取ったシュウは、逃げ道を探して来た方向を振り返った。だが、そこにはあの満ち溢れる光はもうなかった。
星々が煌めく宇宙。銀河系が幾つも浮かぶ空間に放り出されたシュウは、ぱりん、と背後で先程の罅が割れる音を聞いた。逃げなければならない。再びそう思うも、その足は沼に沈んだかの如くぴくりとも動かない。
ぴたりと歌声が止んだ。
刹那、シュウは気付いてしまった。この耳障りな不協和音、これは。
教団で嫌というほど耳にした信者たちの祈りを捧げる声。我が主に心を捧げよ。我が主に人生を捧げよ。我が主に命を捧げよ。我が主に魂を捧げよ。死して尚、絶つことの出来ない縁に喉から声が迸りそうになる。だが、怯んでいても何も解決はしない。シュウは罅割れた空間に何が起きたかを確認すべく、ゆっくりと背後に視線を向けた。
――見付けましたぞ、シュウ様……
忌まわしく、そして醜い男のしわがれた手が、亀裂が走った空間の向こう側に広がる闇から這い出てくる。
マサキ。咄嗟に思い浮かんだ名前に、当然のことながら返事はない。未来永劫、私は囚われて生きてゆかねばならないのだ。シュウが絶望に沈んだ瞬間、生温い感触がその手に重なった。