突然の変調だった。
格下の魔装機をサイバスター単機で相手取るマサキは、冷静に戦局をコントロールしているように映っていた。これなら手助けも必要ない。次第に数を減らす敵機に、見るべきものは見た。シュウはチカにそう告げて、その場を立ち去ろうとした。
着実に成長を遂げているマサキとサイバスター。相手との力量の差を見極めた上で、サイバスターの消耗を最小限に留める戦法を取れるようになったマサキに、彼はもうかつてのように、がむしゃらに敵機の群れに突っ込むような真似はしなくなったのだ――と、シュウはその成長の度合いに感じ入らずにいられなかった。
――今のマサキであれば、自らの目的に協力を乞うても差し支えない。
強大な力を正しく制御出来るようになったマサキに、シュウがそう考えた次の瞬間のことだった。大地を揺るがす咆哮が轟いたかと思うと、粉塵の向こう側から姿を変えたサイバスターが現れた。空色の輝きを放つ機体。マサキが共鳴を起こしているのは明らかだ。
「あの程度の敵に共鳴? 意味がわかりませんね、ご主人様」
「そうですね、チカ。何を意図してのことなのか……」
兎にも角にもまだ戦況を見守る必要がありそうだ。シュウはグランゾンをその場に留まらせて、サイバスターの様子を窺った。
精霊サイフィスと同化した機体は、雄叫びを上げながら敵機へと迫ってゆく。
敵方に残されている戦力はそう多くはない。それでも彼らは圧倒的な力の前に屈する気はないようだ。せめて一矢を報いたいとでも思っているのだろうか? 彼らは自陣にとどめを刺すべく向かってくるサイバスターを迎え撃つのではなく、矢で以て払う道を選択した。
一気に進撃を始めた敵機の群れに、サイバスターは武器を用いなかった。薙ぎ払われる腕。肘で敵機を打ち払ったかと思えば、次には手で機体を掴み上げてみせる。
それは野蛮で、獰猛で、原始的な暴力だった。
戦術も技術も通用しない。圧倒的な力の差。それを見せつけるかの如く、サイバスターは無情にも純粋な暴力を揮った。敵機の腕をもぎ、頭を砕き、腰を折らせ……敵機の反撃が止んでも攻撃の手を緩めることなく、凄惨にも残った外装を剥いでゆく。
悍ましい。シュウは改めて、マサキ=アンドーという人間の才能の底知れなさを思い知った。
ただの機械の塊となった敵機が、幾層にもサイバスターの足元に積み上がってゆく。それでもサイバスターは共鳴を解こうとしなかった。それどころか、右に左に迅速に動き回っては、まるで新たな獲物を探し求めているかのように雄叫びを上げ続けている。
アンマッチな光景に、シュウはただならぬ事態を感じ取った。
今のサイバスターの姿は、世界の平和と秩序を守る守護者からは程遠い。まるで、そうあれはまるで……その答えはシュウが囚われていた世界にこそあった。サーヴァ=ヴォルクルス。純粋な悪意を有する“神”は、世界に息衝く精霊とは対極にある存在だ。それがどうだ。今のサイバスターの振る舞いは悍ましき神と何ら変わりがないではないか。
「ご主人様、何をお考えかわかりませんけれども、余計な仏心は起こさない方がいいですよ。だってあれ、自我も自意識も失っちゃってるじゃないですか。幾らご主人様でもあんな状態のマサキさんを相手にするのは無理ですって」
止めなければ。咄嗟にそう思ったシュウの考えを見通したかのように、肩にとまったチカが言葉を吐く。いいえ。シュウは言葉を継いだ。
「あの程度の暴走を止められずして、どうしてヴォルクルスを消滅させられたものですか。行きますよ、チカ」
はあ、と大袈裟にも巨大な溜息を洩らしてみせるチカは、主人たるシュウの性格を熟知しているのだ。わっかりましたよ! ふわりと宙を舞って計器類の上に乗ったチカは、先程までの傍観者的な振る舞いは何処かへとばかりに早速レーダーを確認すると、今まさに新たな獲物としてグランゾンを認識したサイバスターが迫ってくるのを読み取ったようだ。
「八時の方向です、ご主人様! 来ますよ!」
疾風の如き移動能力は、レーダーの働きなど徒爾とする。
「私のグランゾンを砕こうなど、百年早い!」
チカの言葉が終わるより先に、目の前に躍り出てくるサイバスター。美しき白亜の機神が腕を振り上げるのを、シュウは冷ややかな眼差しで眺めつつ、その攻撃を受け止めるべく、グランゾンの砲門上にその腕を構えさせていった。
※ ※ ※
厚い装甲で原始的な攻撃を受け止めては払う。それを繰り返していれば、いつかは共鳴も解けるだろうと思いきや、交戦開始から十分が経過してもサイバスターの攻撃は止むことを知らなかった。むしろ簡単に砕けぬグランゾンの装甲に攻撃性を高められたようだ。疾風怒濤の勢いで攻撃を繰り出してくるサイバスターに、流石は風の魔装機神――と、シュウはその圧倒的な機動力を脅威に感じずにはいられなかった。
拳を突き出されては腕で受け止め、腕を払われれば肩で食い止める。幸い、サイバスターは肉弾戦以上の戦いを仕掛ける気はなさそうだ。シュウはひたすら、距離を近くするサイバスターからの攻撃を耐え凌いだ。
しかし防戦一方な戦いなのに違いはない。シュウとしては、自機を巻き込むのを承知の上でグランゾンの武装に頼った攻撃を放ちたくもあったが、持ち得ている操縦能力の殆どを機体のコントロールに費してしまっている現状で、どうやって武器系統のコントロールにまで手を及ばせたものか。様々な可能性に思考を巡らせたシュウは、サイバスターとの距離が一時的に離れたその瞬間に、補助操作に忙しないチカに視線を送った。
「あなたに手があれば話は早いのですがね、チカ」
「御冗談を、ご主人様……って、冗談ですよね?」
「いつまでもこうして攻撃を凌ぐだけでは埒が明かないですからね。次に距離が取れたら行きますよ、チカ。狙うはサイバスターの頭部パーツ。ブラックホールクラスターを頸鎧の隙間に当てることで、操縦席に間接ダメージを与えます」
再び距離を近くするサイバスターに、ほんの束の間の休息だったと思いながらシュウはコントロールを再開する。蓄積されたダメージは、そろそろグランゾンの一次装甲を破ろうとしていた。
「それって一歩間違ったら、マサキさんの命がヤバくないですか!」
「その前に当たるかどうかの心配をするのですね!」
当たり具合によっては直接的な被害を操縦席に及ぼすだろう手段をシュウが選択せざるを得なかったのは、マサキの命に危機が迫っていると判断したからだった。このままの状態が続こうものなら、マサキは遠からず共鳴による消耗で命を落とすことになるだろう。そう、シュウが攻撃しようがしまいが、マサキに対するダメージは避けられないのであれば、シュウとしては少しでも彼が生き残る確率か高くなる方法を選択するしかない。
シュウは更にサイバスターの猛攻を耐え凌いだ。
腕を弾き、脚を払う。派手な音を立てて、肩部の一時装甲が剥がれ落ちた。それでもシュウは粘り強くサイバスターの攻撃を受け止め続けた。気の所為か、その攻撃は最初の一撃と比べれば軽くなったように感じられる。
命を賭して挑む戦いに千日手などというものは存在しない。先刻の戦いより、サイバスターは止まること知らずだ。恐らく、共鳴により高められた機動力と運動性能が災いしているのだろう。動く度に大きく削られるエネルギーは、サイバスターの自己回復能力を上まってしまったのではないか? だからこそ、サイバスターは武装に頼った攻撃を放てずにいる……シュウがその瞬間を待つ選択が出来たのは、そう状況を分析したからこそ。
一分……二分……たった一秒の時間さえも長く感じられるサイバスターとの戦いの中、シュウは最悪の事態を思い浮かべないように防御に専心した。
そうして、ついにその瞬間はきた。
チカ! 距離を離したサイバスターに、シュウは間髪入れずに砲弾を放った。軌道を描きながらサイバスターに向かってゆくブラックホールクラスター。いかに追尾機能を持っているとはいえ、風の如き機動力で以て動き回るサイバスターが標的とあっては、目標とする部位に着弾する可能性は、五分五分――いや四分六分ぐらいだだろう。
ここで当てられなければ、また次の機会を待つしかなくなる……シュウは固唾を飲んで砲弾のゆく先を見守った。次の機会といってもそう数多くはない。ひとりの人間が有している時間には限りがあるのだ。
それはマサキの命が救われる確率が、シュウが消耗した時間の分だけ低下することを意味していた。
ドオォンッと火薬が弾け飛び、煙幕が広がる。果たしてこの一撃は、サイバスターの操縦席にダメージを負わせられたのだろうか? シュウはグランゾンをサイバスターへと近付けていった。
腕が振り上がる。まだなのか――シュウが絶望を感じた次の瞬間だった。
その咆哮が止んだかと思うと、サイバスターががくりと膝を折った。暫しの静寂。次いで動力炉の機能を停止したサイバスターに、シュウは安堵の溜息を洩らしながら操縦席を立った。そしてコントロールルームを出ると、マサキの容態を確かめるべく、サイバスターの操縦席へとグランゾンの外装を伝って向かっていった。
「どうです、ご主人様? 中の具合は」
外装が隙間を開いている。人がひとりが滑り込むのが精一杯な幅の隙間からシュウが中を窺うと、既にモニターや計器といった機器からは光が失われてしまっていた。それでも、外から差し込む光の照り返しで、視界が保てるぐらいの明るさはある。先ずはマサキの救出が先ですね。シュウはチカにそう告げると、彼を肩に乗せたまま、サイバスターのコントロールルームへと身体を滑り込ませていった。
マサキ! 名前を呼びながら操縦席に近付いていく。案の定というべきか、そこにマサキの姿はない。
恐らくブラックホールクラスターの着弾の衝撃で、操縦席から身体を吹き飛ばされてしまったのだろう。シュウはマサキの姿を探して周囲を窺った。影が色濃くかかるコントロールルームの奥、そこから二本の脚が伸びている。
見慣れた色のジーンズを辿ってゆけば、壁に背中を凭れさせるようして目を伏せているマサキの姿がある。時々、苦しそうに呻き声を上げている彼に、マサキ? シュウが再度呼びかけてみるも返事がない。
どうやらその意識は失われているようだ。
更に周囲を窺うと、マサキより少し離れた位置にて、二匹の使い魔が床に倒れているのが見付かった。マサキ同様に、彼らもまた意識を失っているようだ。シュウが揺り動かしてみても反応がない。
「……やり過ぎたんじゃないですかね?」
不安げに呟いたチカに、大丈夫でしょう。立ち上がったシュウは足元のマサキに目を遣った。
見た感じでは外傷もなく、ただただ共鳴による消耗で昏倒しているだけのように映る。それだけであるのであれば話は早い。後は彼らが目を覚ますまで、その安全を確保してやればいいだけだ。シュウは身を屈めると、早速、マサキをグランゾンのコントロールルームに運び込むべく、その身体を抱え上げた。
熱い。
衣服の上からでもわかるほどに熱を帯びた身体。これではさしものマサキであっても、正常な意識を保つのは難しいことであっただろう。それなのに……シュウは不調を抱えながらも敵に立ち向かっていったマサキの強かさに、目を瞠る思いでいた。
今尚、精神的に未熟な面が目立つ少年ではあったものの、魔装機神の操者としての使命感に殉じようとするマサキの気概は本物だ。そう、彼は無謀と謗られようとも、真正面から困難に立ち向かってみせる。そしてその結果がどちらに転ぼうとも、後ろに下がることをしない。不撓不屈。マサキ=アンドーという少年は、踏みしだかれても枯れることのない葦のようにしなやかな精神の持ち主であるのだ。
羨ましい。シュウはぽつりと言葉を吐いた。
「何ですか、ご主人様。突然に」
「私にもいつか彼のような使命感が得られる日が来るのだろうかとね、考えたのですよ」
「それでぶっ倒れてちゃ世話ないですけどね」ふわりと宙を舞ったチカが、マサキの額の上に乗る。「自己管理も仕事の内ですよ、ご主人様……」
それで彼もまたマサキの尋常ならざる様子に気付いたようだ。直後にひぃ。と声を上げると、目を丸くしながら、シュウの肩へと再び舞い戻ってきた。
「こりゃ酷い熱! いやはや無茶にも限度がありますって。そりゃあんな暴走も起こす筈です! ささ、ご主人様。とっととグランゾンに運び込みましょう。こんな発熱を放置しておいたら、それこそ命が危ないですよ!」
マサキと二匹の使い魔をグランゾンのコントロールルームに運び込んだシュウは、取り敢えず自らの隠れ家を一時的な避難所とすることとした。
あれだけの暴虐な共鳴を起こしたマサキが、気の回復にどのぐらいの時間を要するのか、シュウには見当が付かなかったが、決して十分二十分といった短時間で済む話ではないだろう。そうである以上、いつまた敵機が現れないとも限らないこの場に留まり続ける訳にもいかない。シュウはサイバスターをグランゾンと牽引具で繋ぐと、一路、南へと。周囲に充分に警戒をしながら、グランゾンをひた走らせた。
「もしかしてこの熱の所為ですかね。共鳴があんな酷い有様になったのは」
「何故、あの程度の敵相手に共鳴を起こしたのかはさておき、その可能性は高いでしょうね」
高熱を発しているマサキの生存本能が、白亜の機神の性能をして、原始的にも格闘術に頼らせてしまったのは想像に難くない。敵機を鉄屑とするまで暴力を揮い続けたぐらいだ。マサキがサイバスターの武装を使用するも難しいまでに、正常な判断力を失ってしまっていたのは間違いないだろう。
それまで冷静に戦場をコントロールしてみせていた彼の中で、静かに進行していた異変。ある瞬間を境に、それは暴虐にもマサキに牙を剥いた。そう、だからこそ精霊サイフィスは、マサキを護る為に、敢えて共鳴を起こすこととしたのではないか――……。
「マサキさんの行動時間を延ばす為の共鳴ですか? どうなんですかねえ。だって共鳴の後には前後不覚が待ってるんですよ。しかもその結果があれじゃ、裏目にしか出てないってことになりませんか」
「精霊が万能であるとは限りませんよ、チカ。彼らにも感情はある。でなければ、どうして魔装機神が自らその操者を選べたものか」
さりとてシュウがマサキになれない以上、全てはただの妄想だ。シュウは即断を避けた。詳しい話は後のマサキに尋ねることとして、その回復を待つこと二日。運び込まれた隠れ家のベッドの中で昏々と眠り続けたマサキは、二匹の使い魔とともにようやく目を覚ました。
「……どういうことだよ、シュウ」
「それは私の台詞ですよ、マサキ。何が起こったのです? サイバスターを使ってあんな戦い方をするなど、あなたにしてはらしくない。それとも自分が何をしたか思い出せないですか?」
熱は大分収まりをみせていたものの、未だ下がりきるには至っていない。そのダメージもあるのだろう。ベッドから身体を起こすのも億劫そうな様子のマサキは、なら、あれは夢じゃなかったんだな。そう呟くと、サイバスターは? と、無体な扱いを強いた自らの愛機の様子を尋ねる言葉を吐いた。
「あなたと一緒にここに運び込みましたよ。あんな戦い方に付き合わされたからか、装甲にはそれなりのダメージが認められましたが、自己回復能力で補えたようですね。今は回復も済み、稼働にも問題がない状態です」
そっか。と頷いたマサキは自らの行いを振り返ったようだ。眉を寄せながら、酷いことをしちまった。と、後悔が窺える様子で言葉を継ぐ。
「正気じゃなかった、なんてのは云い訳にならねえよな」
「ただの共鳴ではなかったのは、傍目で見ていても明らかでした。とはいえ、それまでのあなたは戦局を上手くコントロール出来ていたでしょう。体調不良だけが原因とは思えませんね。何かありましたか?」
「熱っぽいとは思ってたんだよ。でも相手は格下の魔装機だ。直ぐにカタを付けて帰って寝りゃあいいって、そう思ってたら」
そこで言葉を切ったマサキは、シュウから目を逸らすと首を振った。どうやら原因らしきものには思い至っているようだ。だがそれをシュウに話すのは嫌だとみえる。それきり口を噤んでしまったマサキに、他人の事情に立ち入るのは主義ではないとはいえ、放置しておける事態ではない――と、シュウは口を開いた。
「自分が何をしたかは覚えていますか」
「何となくはな。あれじゃあ中の連中は無事じゃ済まないだろって、そういう戦い方だよな。俺がしたのは……」
「そうですよ、マサキ。あなたは凄惨な方法で複数の人間の命を奪いました。純粋な暴力で相手の命を弄んだのですよ。決して褒められた戦い方ではない」
わかってる。シュウに視線を戻したマサキの表情は、苦悩に満ちたものであった。ぼんやりとした記憶が正しいものであったことを知ったからだろう。息を吐くことも忘れて戦慄く口唇が、彼が自身に感じている恐怖を伝えてくるようだ。
「ああいった戦い方がサイバスターで出来てしまうとなると、魔装機神の存在意義とは? という問題が生じてしまう。世界の秩序を維持する為であるのなら、何をしても許されるのか? あなたにはそこを考えていただきたいものです」
云われなくともわかっていることを、敢えてシュウが口にしたのは、それだけ今回の事態が異常なものであったからだった。
正義を量る天秤でもある精霊サイフィス。彼女はマサキの暴虐な振る舞いを受け入れてみせた。のみならず、マサキが暴力を行使するのに付き合い続けてみせた。それはマサキが正義だと信じているのであれば、どんな行為であろうとも受け入れてみせると宣言したにも等しい。
その事実は、たったひとりの少年の気紛れで正義が決まるかも知れない世界にシュウがいることを示している。
恐ろしいことだ。今更にシュウはそう感じずにいられなかった。底知れぬポテンシャルを秘めているマサキとサイバスター。彼らが世界に牙を剥いた時、世界は少なくない範囲を蹂躙されることだろう……。
「……いきなり昔の記憶が蘇ったんだ」
黙り込んで、暫く。深く考え込んでいたマサキがようやく口を開いた。昔の記憶? シュウが尋ね返せば、マサキは自嘲めいた笑みを浮かべて、初めて人を殺してしまった日の記憶だ。と、悩まし気に言葉を継いだ。
「脱出ポットが上手く作動しなくて死んだんだ。俺はそれをとても恐ろしいことだと感じた。結局、ここでの戦いだって地上の戦いと変わらないんだ、ってな。ところが今の俺はどうだ? そのことに痛みを感じなくなっちまったどころか、数えきれないほどに人を殺しちまった後だ。そう考えたら身体が動かなくなった」
「それで共鳴が起きた?」
「そこから後のことは本当によく覚えてないんだ。殺らなきゃ殺られると思って、自分の気持ちを奮い立たせようとしたんだけどさ……やっぱり手足が動かなくってさ……」
マサキの言葉が真実であるのだとすれば、あの戦いを繰り広げてみせたのは、マサキではなく、精霊サイフィスとサイバスターだということになる。そんな馬鹿な。シュウは自らの中に湧き出た考えを打ち消すように首を振った。
彼女はただマサキが過去の心的外傷に、ままならなず従っているのを見るに見かねただけなのだ。だからマサキに手を貸した。貸して、心的外傷故にまともな精神ではなくなっているマサキの心的世界に同調した。殺らなければ殺られる。そういった世界観に身を置くしかなくなったマサキは、だからこそ暴虐な暴力を揮い続けた……。
マサキが完全に回復するのには、そこから更に二日を要した。
いつまでも答えの出ない疑問の為にマサキを拘束してはおけない。結局、納得のゆく答えを得られぬまま、シュウはマサキと別れることとなった。
熱に浮かされて意識が朦朧としていたマサキは、共鳴を経て、更にその意識を混濁としてしまったのだ。別れるまでの期間にシュウは幾度も共鳴中の彼の考えや感情、行動について尋ねてみた。けれども彼は本当に覚えていないのだろう。要領を得ない答えしか返ってはこず。
――恐ろしいことだ。
精霊とは八百万の神でもある。万物に宿り、時として暴虐に人間に牙を剥いてみせる。それは高位の精霊であるサイフィスであっても同様だった。そう、彼女もまた自らの宿命からは逃れられなかったのだ。シュウはそう理屈を付けて自分を納得させることにした。
今回のマサキとサイバスターの暴走は天変地異に等しいものである。
それならば稀に起こる奇禍でしかない。シュウはそう思いながらも、一抹の不安を拭えぬまま。自らもまたマサキ同様に、隠れ家を出ると在るべき日常へと還っていった。