What do you want to do?

 退屈だ。と、シュウの膝から本を退けたマサキが、そこに頭を乗せてきながら盛大な溜息を吐いた。
 人の読書の邪魔をしておいていい態度だ――とは、流石にシュウは思わなかったが、こうなることをわかっていてシュウの許に足を運んでいるのはマサキ自身である。少しは学習すればいいものを。そう呟いかずにいられなかったシュウは、続けてマサキに尋ねた。
「何かやりたいことはないのですか」
「ない。あったらここに来てない」
 正直、ここに来たところでマサキが楽しめるような出来事はないに等しかった。
 趣味に乏しいシュウは、用事がなければアクティブに動き回るのを避ける傾向があったし、マサキ自身もアクティブに動き回る割には趣味と呼べる趣味がないようだ。かといって、シュウが所有する大量の蔵書に目を通すでもない。使い魔たちとじゃれ合うことはあるにはあったが、少しもすれば飽きるのだろう。直ぐに読書に耽っているシュウの許に戻ってくる。
 結果、シュウとマサキはふたりでいるにも関わらず、家に篭り続けるという不健康極まりない時間の使い方をしてばかりとなる。
「――確かに、これは良くないですね」
 シュウは手にしていた本を脇に置いた。そして、ほら、マサキ。と、自分の膝を枕にしてソファに寝そべっているマサキの身体を抱え上げた。何だよ。云いながら膝の上に乗ったマサキに口付ける。
 う。と言葉を詰まらせたマサキが、それでもゆっくりと瞼を閉じる。
 シュウは暫くその口唇を貪った。
 日長一日家に篭ってマサキを傍に書に耽り続けなど、勿体ない時間の使い方にも限度がある。そもそもマサキは来てはその日の内にか、若しくは翌日の午前中には帰途に就いてしまうのだ。だったらせめてもう少し、恋人らしい時間の使い方をしようではないか。
 そう考えたシュウは続けて彼の耳朶を舐った。けれどもマサキ自身はそういった気分ではなかったようだ。
「待てって。そういうんじゃねえよ」
「なら、何かふたりでやれることを考えなさい。ないのなら続けますよ」
「急に云われて出てくるかよ。ないから云ってるんだぞ。そもそもそういうお前は、俺と何かしたいことないのかよ。いっつも俺が何か云わなきゃ本を読んでばかりで」
「私はあなたがそこにいてくれれば満足ですので」
 困ったことに、シュウはこの無駄にしているマサキとの時間に満足してしまっていた。
 知識の蒐集や真理の追究を趣味とするシュウは、一日を読書や研究に費やしてもそれを無駄とは感じることがなかったし、その間、誰と顔を合わせなくとも孤独を感じることがなかった。とかく一日が短く感じる。シュウにとって日常生活とは、やりたいことをひたすらに消化するものでしかないのだ。
「前から何かおかしいとは思ってたんだが、お前、本当に欲が少ないな」
「欲はありますよ」
 それで満足だった生活に、新たな欲を生み出してくれたのがシュウにとってのマサキだ。
 やりたいことに追い立てられている日々の、ふとした瞬間に彼を思い出す。そして猛烈に恋しくなる。ゆったりと過ぎてゆくただ身を寄せ合うだけの彼との時間。特別なことは何もないその時間を、シュウはこれでもかなり気に入っているつもりだ。
 ――書に没頭し、時に息抜きとマサキと言葉を交わす……。
 けれどもそれは、マサキにとっては耐え難い時間であるのだろう。そう、シュウはわかっていた。マサキが欲しいのはもっとありふれた、けれども振り返った時に特別に感じられる出来事なのだと。
 ただふたりで食事に出掛けるだけでも、どこか浮足立つマサキ。一日を街で過ごそうものなら、あれだこれだとシュウを引っ張り回してははしゃぎ回る。それは彼にとってシュウとの時間が、ふたりで何かをするべき為のものとして認識されているからだ。
 仕方ないですね。シュウはマサキを膝から降ろしてソファから立ち上がった。そして壁に掛かっている自身の上着を手に取る。
「出掛けましょう、マサキ。そろそろアフタヌーンティーの時間ですしね。少しお茶をして、どこかのレストランで食事にしましょう」
 ソファに取り残されて不安気だったマサキの顔が、瞬間、ぱあっと明るくなった。喜怒哀楽が激しい彼は、直ぐに感情を表に出す。それはまるで世界の瑞々しさに浮かれる子どものようだ。
 シュウはその微笑ましさに口元を緩ませた。
 ――この程度のささやかな幸福で彼は満たされてくれるのだ……。
 そのまま弾かれたようにソファから立ち上がったマサキが、シュウの上着の隣に掛かっていた自身のジャケットに手を掛ける。
「だったらあの店に行こうぜ。いつだったかお前が連れて行ってくれた珈琲の旨い店にさ」
 さっとジャケットに袖を通したマサキが、一足先にリビングを出てゆく。
 シュウは室内を振り返った。風を通す為に開けていた窓。その鍵を閉めたシュウは、早く来いよ。と玄関で待っているらしいマサキに、「今、行きますよ」と応えながら――リビングを後にした。