ビニール袋一杯のゆで卵。それをマサキが手にして意気揚々と家を訪れた時点で、シュウは覚悟を決めておくべきだったのだ。
「それはどうしたのです」
「食べるに決まってるだろ」
少なく見積もっても20個はあるゆで卵を籠に開けて、リビングのテーブルの上に置いたマサキがソファにどっかと腰を下ろす。嫌な予感しかしない――と、シュウは思ったが、シュウが小食な性質であるのはマサキも良く知る事実。今更ここまで大量のゆで卵をシュウに全部食べろと云い出しもしまい。そう自分を納得させてマサキに尋ねる。
「あなたが?」
「ゆで卵だしな。暫くは持つだろ」
どうやらシュウに消費しろと云いたいらしい。
「二日か三日が限度ですよ。それも殻付きの場合です」
余計な知識までも蓄え込んでいる己の脳を恨めしく思いながら、シュウはそう言葉を継いだ。知らなければ冷蔵庫に仕舞い込んでおけたものを。つい口から出そうになる恨み言を飲み込む。
そうなのか? 目を丸くしたマサキがゆで卵の消費期限を知らなかったのは明白だ。
彼のしっかり者の義妹は、義兄を大切にするがあまり、大事なことを教えずに自分でやりがちだ。掃除に洗濯、恐らく料理に関してもそうであるに違いない。シュウは目を逸らしても視界に入ってくる大量のゆで卵に頭を悩ませた。ミモザサラダ、サンドイッチ、エッググラタン……シュウの少ない料理のレパートリーでは消費しきるのには限界がある。
「どうにかして消費しなければなりませんね」
「普通に食っても旨いけどな」
「飽きますよ」
口を衝いて出た溜息に、そうじゃなかった。マサキが声を上げて、籠の中から一個のゆで卵を取り上げる。
「俺、お前に訊きたいことがあったんだよ」
「それはそのゆで卵に関することですか」
「この流れでそれ以外に訊くことがあるのか、俺の方こそ聞きたいがな」
その瞬間にシュウが感じた絶望感! 一体、彼はシュウの知能を何だと思っているのか。
マサキの質問はいつもそうだ。アイスクリームに醤油を掛けるとウニの味になるのは何故なのか。花を生けた水にインクを垂らすと花弁の色が変わるのは何故なのか。ミカンの汁で紙に文字を書くと炙り出しが出来るのは何故なのか。枚挙に暇がない彼の素朴な疑問の数々は、微笑ましいと同時にシュウに苦悩を呼び込んだ。
今回に至ってはゆで卵が題材ときたものだ。
一体、大量のゆで卵を持ち込んでまで訊きたい話とは何なのか。シュウとしては自分の本領が発揮出来るような謎であって欲しいのだが、それをマサキに期待するのは蜥蜴に徒歩で世界一周旅行をしろと云っているようなものだ。
シュウは嫌な予感が強まるのを感じながらも、マサキの様子を見守った。
「これを」手にしたゆで卵の殻をマサキが剥き始める。
何処で手に入れたゆで卵かは不明だったが、どうやらプレシアが作ったものではなさそうだ。市販の――それも大量生産された粗悪なゆで卵に違いない。殻を剥くのに苦労をしているマサキが、その手強さにふんと鼻を鳴らす。
「こうなるだろ」
「もうちょっと質のいいゆで卵を買えばいいものを」
斑に殻の残ったゆで卵を手にしたマサキが、何で卵にそこまで金をかけなきゃいけないんだよ。と、頬を膨らませる。
どうも彼の故郷である日本では、卵が生で食べるくらいの日常食であるからか。質のいい卵でも非常に安価で入手が可能だった。けれどもラ・ギアスでは、卵を生で食べるという文化がないからか。質のいい卵はそれなりの値段になる。
「かなりの資産を有している人間が云っていい台詞ではないですね」
「あれはサイバスターの整備費だ」
そこで話がずれていることに気付いたようだ。はっと目を見開いたマサキが、直後には難しい表情で手にしたままの斑なゆで卵と向き合った。「そうじゃねえよ。で、この殻が残ったゆで卵なんだよ、問題は」
「綺麗に殻が剥きたいと」
「ここを無理に剥がすと、白身も取れるだろ」
「あなたはどうしているのです、それを」
「こうするに決まってるだろ」
むしゃ。
口の中に卵を放り込んだマサキに、シュウは額を押さえずにいられなかった。激し易く冷め易いマサキは、決して気の長い性格ではなかったが、殻付きのゆで卵を綺麗に剥くのが面倒臭いという理由だけで、そのまま口に放り込むなどという野性味溢れる行動を起こそうとは。
むしゃむしゃむしゃ。ガリガリ。むしゃむしゃ。
ゆで卵を食べている最中にしていい音では決してない。はあ。深い溜息を吐いたシュウは籠の中からゆで卵を取り上げた。そして、暴力的な解決方法で一個のゆで卵を食べきったマサキをキッチンに手招く。
「何だよ」
「あなたはもう少し雑貨に目を向けた方がいいですよ、マサキ」
戸棚の中から手のひらサイズのボトルをシュウは取り出した。サフィーネたちが買ってきたボトルは、内部に幾つかの突起が底に水平に付いている。
「何だ、それ」
「まあ、見ているといいですよ」
首を傾げながらシュウの行動を見守っているマサキを隣に、シュウは少量の水とゆで卵をボトルに入れて縦に十回ほど振った。そして、突起にぶつかって罅の入った殻をボトルから取り出した。
ほら。と、殻に手をかける。つるんと剥けたゆで卵に、理屈は理解したようだ。けれども納得は出来なかったらしい。それは狡くないか。と、マサキが抗議の声を上げた。
リクエスト「バレンタインの包装紙で物体Xを作成したマサキに、あの剥けない、剥きづらいゆで卵に直面して欲しいです」