しらと抱く

 退屈だった。
 どうしようもなく。
 食後にキャビンに戻ってきてから篭り続けること三十分ほど。戦闘の谷間の平穏な時間に、早くもマサキは飽きを覚えてしまっていた。
 だのに仲間と騒ぐ気にはなれなかった。
 何故かはわからない。マサキは自分が気分屋な自覚があったし、その所為で、興味の向き先が定まらなくなることがままあった。何かしたいが、何をしたいのかがわからない――割と頻繁に遭遇する状況に、けれどもマサキは慣れてしまっていた。
 だから、深くは考えなかった。
 日頃、積極的に身体を動かしているからだろう。スポーツで気分を発散という気分にもならず、なら食べ物で機嫌を直すかと思っても、食後だからだろう。そういった気分にもなれない。
 さて、どうしたものか。マサキはベッドの上で考えた。このままベッドの上に居続ければ、その内眠気が襲ってくるのではないか……そういった淡い期待を抱くも、何故かこういった時に限って目が冴えてしまっている。
「読書だ」
 声を上げてベッドから身体を起こすと、驚いた表情でいる二匹の使い魔が目に入った。
「本気で云ってるの、マサキ?」
「最後まで読めずに寝るんじゃニャいか?」
「だからだろ。寝る為に読むんだよ」
 マサキは壁に掛けておいたジャケットを掴んで、キャビンを飛び出した。
 眠くないのであれば、眠くなる状況を作り出せばいい。故に資料庫だ。マサキは慌てふためいてついてくる二匹の使い魔には目もくれず、真っ直ぐに資料庫に向かった。
 途中で気心知れた仲間と顔を合わせたり、暇潰しのゲームに誘われたりもしたが、やはりそういった気分にはなれない。適当に彼らをあしらって、資料庫の前に立つ。
 資料庫と大層な名前が付いてはいるものの、戦闘データに関してはデジタル化が進んでしまっている。収蔵されているのは、艦の維持に必要な技術書ばかり。とはいえ、蔵書が古いこともあってか。あまり活用をされてはいないそうだ。
 マサキは室内に足を踏み入れた。
 ひんやりとはしているものの、薄暗い。おまけにもひと気もない。紙の匂いがむっと迫ってくる中、マサキは一番近い書棚の前に立ち、そこに並んでいる蔵書を覗き込んだ。何が書かれているのかさっぱりなタイトルの群れ。けれども今はそれこそが有難い。
「こういうのだよ、こういうの。見ろよ、五秒で眠れそうじゃねえか」
 主人の突飛もない考えに呆れ果てている足元の使い魔に浮かれながら話しかけてみれば、はあ。とか、まあ。などといった困惑しきりな声が返ってくる。
 この宝の山が理解出来ないなんて面白くない奴らだ。マサキは舌を鳴らして書棚に向き直った。
 刹那、入ってきたばかりのドアが開いた。古い本ばかりとはいえ、利用者そのものはいるようだ。
 きっと相当のもの好きであるに違いない。その顔を拝んでやるべく、マサキは入ってきた人物に目を向けた。
 げ。思わず声が出る。
 真っ当な理由で資料庫を利用しに来たとしか思えない男は、よもやマサキと資料庫で鉢合わせするとは思っていなかったようだ。僅かに見開かれた目がマサキを見詰めている。
 直後、彼は好んで読書をするでもないマサキがここにいる理由が気になったようだ。マサキの前に立つと書棚を見上げ、そして、そこに並んでいる本がマサキの嗜好に合致しないことを確認したのだろう。マサキに視線を戻すと、クックと嗤った。
「あなたが読むには難しい本ばかりだと思いますが」
 シュウ=シラカワ。男の尤もな台詞に、マサキは狼狽えた。
「う、煩えな。そういう目的じゃねえんんだよ、俺は」
「これはまた妙なことを仰る。読む気もないのに資料庫に入り込んだのですか」
「読むは読むぞ。ただな、どの本が一番良く眠れそうかって」
 そのひと言でシュウはマサキの事情を察したようだ。なら、とマサキの肩に手を置いた彼が、そこを支えとして背を伸ばす。そして、書棚の一番上の棚に並んでいる本の中から最も厚みのある一冊を引き出すと、
「これなら数行で眠れると思いますよ」
「見るのさえ嫌になる厚さじゃねえかよ……」
 人を殴り殺せそうな厚さは、見ているだけでも嫌気が差してくる。
 マサキはぱらりと表紙を捲ってみた。序文――と仰々しい字体で書かれた次に、細かい文字で、『国家間の紛争が絶えなかった時代に始まった宇宙開発の歴史は、技術の……』などと書かれている。
 どうやら宇宙開拓史について書かれた本であるようだ。
 勢いで受け取ってしまったものの、流石にここまで本格的なものは読みたくない。マサキは手にしてしまった本の扱いに困った。決して仲良くとはいかない男が、わざわざ背を伸ばしてまで取ってくれた本である。それを本人の目の前で書棚に戻してしまっては角が立つのは必至。
「いいじゃニャいのよ。これニャら絶対にマサキは寝るのよ」
「おいら一ページで寝るに賭けるんだニャ」
 云いたい放題の二匹の使い魔に、どう答えたものか――悩みながらマサキはシュウの様子を窺った。
 マサキの胸中を知ってか知らずか。シュウ本人は目当てがあるようだ。書棚を渡り歩いては、あれもないこれでもないと本を漁っている。
 そうだ。マサキは閃いた。
 手伝う振りをして、シュウを先に資料室から追い出せばいい。
「何か手伝うか?」
 マサキは資料庫の奥にまで入り込んでいるシュウに近付いて声をかけた。
「ひとりよりふたりの方がいいだろ」
 けれどもシュウには、マサキの浅はかな考えなどお見通しなのだ。なら、と、頭上に並んでいる本を指差されたマサキは顔を上げた。と、彼の片腕がマサキの腰に回ってくる。ちょっ。声を上げると同時に身体を引くが、すっかり回りきった彼の手は、それ以上マサキが離れるのを許してはくれなかった。
「優しいことを云ってくれますね」
 余裕めいた笑みを浮かべたシュウがマサキを見下ろしている。ああくそ。マサキは嫌になるほど整ったシュウの顔を見詰めた。
 目が離せない。
「少し付き合っていきなさい、マサキ」
 直後、彼の口唇がマサキの口唇に重なってきたかと思うと――。
 長い沈黙が訪れた。