陽射しに照らされて透ける木々の緑が、顔に影を作っていた。森の中へと続く一本道には、人の通り抜けが長くなかったことを示すように、木々から落ちた小枝や落ち葉が層となって積もっている。それを踏みしだきながら、マサキは道の先を急いでいた。
今では管理する者のなくなった別荘なのだという。
サイバスターの操縦席から見下ろす分にはさして距離のなかった道程も、実際に足で歩くとなると想定以上の時間を要するようだ。森に入ってからかれこれ三十分以上。未だに視界に別荘が映る気配はない。マサキは操縦席を出る時に二匹の使い魔にしつこく云い含められた通りに、余所見ひとつせず、別荘へと続く一本道をひた歩いた。
人を呼び付けておきながら、その呼び付けた当人と来た日には、迎えに来る気などさらさらないらしい。確かにマサキがここに足を運ぶのは初めてのことではなかったものの、既知の道でも迷えるのが方向音痴の特性だと知らぬ男でもあるまい。優しくねえ。ひとり愚痴たマサキは、足を止めて道の果てを見据えた。
孤独な道程に胸が騒ぐ。それは家から遠く離れた見知らぬ土地で、両親とはぐれてしまった子どもの心持ちにも似ている。いつ会えるともわからない道程に感じる期待と不安。マサキは気持ちを紛らわせるべく、木々のざわめきや鳥のさえずりに耳を傾けながら、それでも視線を道から外すことをせず、先を急いだ。
それからどれぐらいの道程を歩んだことだろう。不意に陽射しが強く顔に刺さった。道の果てにぼんやりと見えていた眩い光の塊にようやく辿り着いたのだ。マサキがそう気付くよりも先に、木立が開け、別荘と呼ぶには些か巨大にも思える洋館が姿を現していた。
尤も、その外壁には蔦が絡まり、所々剥がれ落ちてしまっている。罅割れた窓、瓦の崩れた屋根。そして赤錆びた門。人の手が入らなくなった建物は、こうして静かに朽ちてゆくのだ。マサキはその佇まいを眺めながら、この館の在りし日の隆盛に思いを馳せた。そうして、門前へと視界を向けた。
わざわざマサキを迎えに来るような真似はしなかったものの、方向音痴を案じてはいたようだ。鉄扉の手前に見知った男が本を片手に待ち構えているのを認めたマサキは、だったら来ればいいじゃねえかよ。吐き捨てるように呟くと、男の許へと。その足を進めていった。
※ ※ ※
マサキがシュウに呼び立てられて、彼が大公家の一員だった時代に所有していた別荘のひとつに、こうして足を運ぶことになったのは、意外にもリューネの旺盛な好奇心が発端だった。
何でも、ヴァルシオーネRでの散策の途中に発見したのだそうだ。森の中にぽつんと佇む廃れた洋館。暫く様子を窺いに通った彼女は、近隣の町での聞き込みなどを経て、そこに人が住んでいないと確信を得るに至ったらしい。肝試しをしに行こうよ。気軽にもそう誘いの言葉を吐くと、半ば強引に、マサキを洋館の中へと引き込んだ。
恐らくは、お化けに怯えるかよわい女の子を演じるつもりであったのだ。マサキの腕にしがみ付きながら、次はあっちの部屋、その次はこっちの部屋と、館の探索を指示するリューネは、途中でどうも自らの思惑通りに事が運んでいないことに気付いたらしく、おっかしいなあ。ぶつぶつ口にしながらも、次はあっちの部屋! などと意気揚々。溌溂とした様子でマサキの腕を引いてゆく。
それもその筈。地底世界と云えば聞こえはいいが、実態は夜のない世界である。闇を感じることが出来るのは地中ぐらいなラ・ギアスで、廃れているとはいえ、陽射しが差し込む洋館で、肝試しに相応しい雰囲気を求める方が間違っている。結果、わざとらしく怖がってみせるリューネに呆れるばかりとなったマサキは、館の大半の探索を済ませたところで、彼女の気も済んだだろうと王都へ戻ることにしたのだが。
その矢先に、まさかの白い影を目撃したものだから、リューネが張り切らない筈がない。
そんな馬鹿なと思いながら、万が一もある。マサキはリューネとともに白い影を追った。幽霊ならまだ救いがあるが、もし相手が生きた人間であるのなら、それは不埒な考えを抱いている犯罪者の可能性もある。
二階に上がり、一階に下り、食堂を抜け、客室から寝室まで各部屋を回る。ようやくそれらしいシチュエーションに遭遇出来たリューネが浮足立つのを牽制しながら、各所の捜索を終えたマサキは、そうして最後に残されていた書斎で、そこに残されていた書物を検めているシュウと顔を合わせたのだ。
「で、どうやって片付けるつもりだって?」
シュウの後に続いて別荘の中へと足を踏み入れたマサキは、辺りを窺いながら、前回、ここに来た時の内部の様子を思い出していた。
マットの破れたベッド、僅かに衣類を残すのみとなった箪笥、割れた食器が散乱するキッチンにヒビが入ったワイン樽が並ぶ貯蔵庫。あったところで持ち帰ろうなどと盗人猛々しいことは考えていなかったものの、廃墟化が進む別荘だけはある。書斎の書棚にしても空きスペースが多かったし、そこに置かれていた金庫の中身に至っては何を況やだ。
金目のものは既に運び出された後らしい別荘を、今更にシュウが片付けようと決心したのは、どうやらこの別荘だけが何かのはずみで王室の管理から外れてしまったかららしかった。自分が使っていた品がもし残っていたとして、それを全くの赤の他人に触れられたくはない。そう考えたシュウの感情は、成程、確かにマサキでも理解出来る。
彼はマサキとリューネの狼藉に目を瞑る代償として、マサキに別荘の片付けの手伝いをするよう強要してきた。マサキからすれば発端はリューネにあるのだから、彼女にこそ片付けの手伝いをさせるべきだと思ったし、実際にシュウにそう云いもしたのだが、彼は彼なりに思い含むところがあるようだ。自らの仲間であるサフィーネや、モニカ、テリウスなどにも手伝わせる気はないのだと云って、マサキにも片付けの件に関しては口外をしないようにときつく云い含めてきた。
「本以外の細々とした品に関しては全て処分で大丈夫ですよ。庭の一角に焼却炉が残っています。先程、確認してみたところ、まだ使えそうでしたので、衣類といった焼却出来そうなものに関してはそちらで処分を進めることにしましょう。陶器類といった焼却出来なさそうなものは、放置してくださって結構です」
「本を見付けたらどうすればいいんだ」
「そちらの選別は後程私がしますので、一旦、書斎に置いておいてください」
そして彼はマサキに鍵束を渡すと、それで片付けの終わった部屋に施錠をするようにと云い含め、
「私は二階の西部屋から始めますので、あなたは一階の東部屋から始めてください。あなたはグローブをしていますので大丈夫だとは思いますが、くれぐれも割れ物には気を付けて」
早速とばかりに白い衣装をひらめかせながら二階へと上がっていった。
※ ※ ※
殆ど荷物らしきものの残されていない閑散とした部屋の数々を回りながら、シーツやカーテンを掻き集めては焼却炉に放り込んでゆく。この別荘が使われなくなってからどれだけの歳月が過ぎたのかは不明だが、昨日今日使われなくなったという訳ではないからだろう。残されている品は痛みが激しいものばかりだった。
例えばシーツひとつにしても少し力を込めれば裂けてしまったものだし、窓に下がっているカーテンにしても軽く引っ張っただけで取り外せてしまう有様だった。クローゼットの中に所々残されていた衣類は虫食いが激しくてとても着られたものではなかったし、化粧台の中に残されていた化粧品の大半は溶けて揮発してしまっていた。
壁にかかった絵画、机の引き出しに残されていた紙束、奇跡的にもドライフラワー化して残っていた植物。シュウが目当てとしている書物の類に中々巡り合えないのは、彼自身が幾度となくここに足を運び、その都度発見した書物を運び出していたからなのだろう。部屋と焼却炉を往復すること十数度。目新しい品を目にすることもなく、そろそろ二時間は過ぎようかという頃になって、ようやくマサキは広々とした寝室に備え付けられてい化粧台の引き出しの底に、一冊の古びたアルバムが収められているのを発見した。
まさかこれだけ片付けられてしまっている別荘に、今更意味のある品が残っている筈もないだろうと、何の気なしに頁を捲る。色褪せた写真。保存状態は良くなさそうだ。産着を着た赤子の姿ばかりが収められている写真を一通り眺めて、最後の頁に辿り着いたマサキは、そこに突然に現れた赤子の成長後の姿に言葉を失った。
下に書き付けられている文字から察するに、それはシュウが七歳の頃の姿であるようだ。
式服に身を包んでカメラに収まっている子供の面差しは、幼くはあったものの、ひと目でシュウだと知れるぐらいには今の彼の面影を残している。彼にもこういった時代があったのだ……当たり前のことでありながら、今まで考えを及ぼすことのなかった事実。それが今、こうして目の前に現れている。利発に映る眼差しに、自信を覗かせている口元。輝ける明日を信じて疑わないシュウの子どもの時代の表情は、今と比べると溌溂としたものに感じられる。彼はこういった子供であったのだ。マサキは暫くその姿を眺めてから、そうっとアルバムを閉じた。
そしてそのアルバムを手に、書斎へと上がった。
館の方々から集められた書物はさしたる量でもなく、書斎のデスクの上に僅かに詰み上がるぐらいしかなかった。本の虫たるシュウはその誘惑に打ち勝てなかったようだ。真摯な眼差し。その中の一冊を手にして立っているシュウのその眼差しは、中身を検めているようでいて、実際には読み耽っているのだと物語っている。これではここの片付けが進まなかったのも頷けようというもの。おい、シュウ。マサキはその名を呼んだ。
「どうかしましたか、マサキ」
それでも目を離す気配のないシュウに、おい。マサキはその鼻先にアルバムを突き付けた。
「アルバム。お前のだ」
マサキの台詞に、中身を見ずして察したようだ。ああ。頷いた彼は、ちらとアルバムを一瞥して、処分してくださって結構ですよ。と、何の執着も見せることなく云ってのける。
「大事な思い出じゃねえのかよ」
「あまり過去には執着しない性質なので」
「そうは云ってもだな、いつかは懐かしく感じる日が来るかも知れねえじゃねえか」
「ありませんね。必要な思い出はここに残っていますよ、マサキ」
憎らしくも指で自らの頭を差して云い切ってみせたシュウに、頭に血が上ったマサキは咄嗟にアルバムを押し付けていた。人間性の欠片も感じられない態度。こういう男だとわかってはいても、癇に障って仕方がない。
体ひとつでラ・ギアスに召喚されたマサキには、過去の形となる思い出は残っていないのだ。アルバムもそのひとつ。日々薄れてゆく記憶。頼りとなる記憶媒体を失った人間の記憶力などこの程度のものだ。今となってはおぼろげにしか思い出せなくなった両親の顔立ちに、マサキは歯噛みしたくなるような思いに囚われた。ラ・ギアスで過ぎ去っていった月日は、マサキの地上時代のかけがえのない思い出を、こうやって容赦なく奪っていく。
きっとシュウはマサキの執着を知ったらこう言葉にするだろう。物に執着するのは愚かだと。けれどもその中には両親と映った写真だってあったのだ。
「そう思うんだったら、てめえで処分しろよ」
それに匹敵する他人の大事な思い出を、どうしてその本人を間近にして、自分が処分出来ようか。マサキの言葉に、仕方ないといった様子でアルバムを受け取ったシュウは、畳んだ書物をデスクに戻しながら、でしたら――と、言葉を継ぐ。
「処分ついでに集めた廃材を運ぶのを手伝ってはもらえませんか」
「お前、まさか処分する物を一箇所に集めておいて、後で纏めて運ぼうとか考えていやがったんじゃねえだろうな」
「そのまさかですよ」
仕方なしにマサキはシュウが一部屋に集めた品々を、彼とともに焼却炉へと運び込んだ。
往復すること五度ばかり。赤々とした火を立て続けている炉は、それだけの歴史がこの館にあったことを伝えてくるようだ。そこにひとつ、またひとつと物を放り込みながら、シュウはマサキにアルバムが必要ではない理由をこう語って聞かせた。
「私の人生の始まりの日は、この世に生れ落ちた日ではないのですよ」
それがいつであったかをマサキは問わなかった。ただ黙って、シュウが放り込んだアルバムが、静かに音を立てて焼けていくのを隣で見守った。
けれども、それがいつであったかマサキにはわかるような気がしていた。そう、それはシュウが一度死に、そうして再びの生を受けたあの日。忌まわしい束縛から逃れることを許されたあの日。だからこそ、彼は与えられた境遇の先にある未来にではなく、自身の選択の積み重ねの先にある未来に辿り着くべく、前進を続けている……。
灰となったアルバムは二度と人目に晒されることはない。
それでいいのだ。マサキは自らの心を納得させると、再び館の中。彼が捨てた過去の清算を手伝うべく、片付けを続けていった。