そろそろ海月が姿を見せるようになった海を、マサキは名残惜しく眺めていた。
例年に比べれば、実に良く遊んだ夏だった。
海や山に向かっては縦横無尽に走り回って遊び暮れ、時にはセニアの目を盗みつつ、地上に上がっては祭りだ花火だと物見遊山に暮れた。夏を満喫しきったこの二ヶ月。秋の訪れを感じさせるようになった自然に、ふと気になって、海の様子を見に来てみれば、人気のすっかりなくなった海が物寂し気に波を打ち寄せている。
砂浜に腰を落として、海と空の境界を探す。
まるで絵の具が溶け合うように混じり合っていた海と空。視界一面を覆っていた藍色も今となっては過ぎ去りし記憶となった。
ついこの間までは当たり前だった景色が、夢幻のように消えてゆく。マサキは視線を空に向けた。勿忘草色となった空が海の上にふわりと浮かんでいる。
「あなたも夏の名残りを追いかけてきたのですか、マサキ」
終わりつつある夏を惜しんでいると砂を噛む音が聞こえた。次いで頭上より降ってくる声。振り仰ぐまでもなく相手が誰かわかったマサキは、何しに来たんだよ――と、隣に立った人物の足を視界の隅に収めながら尋ねた。
「云ったでしょう。あなたもですか? とね。夏の名残りを探しに来たのですよ」
「気障ったらしいことを云いやがる」マサキは膝に乗せた手で頬杖をついた。「海には海月が浮かんでるぜ。夏ももう終わりだ」
「あれだけいた観光客もどこに行ったのやら。すっかり人気もなくなりましたね」
「夜になると虫の鳴く声が響き渡るようになったしな。暑い々々って騒いでたけど、過ぎてみりゃ一瞬だったな」
「楽しかったですか、今年の夏は」
シュウの顔を見上げると、彼もまた水平線の彼方に視線を向けていた。
ああ。頷いてマサキは彼の視線を追った。綿菓子のような雲も今は昔。細く筋を描いて浮かぶようになった雲が、まるで魚のように群れをなして空を覆っている。
海や山で顔を合わせ、時にはともに地上に向かいもした男は、過ぎ去った今年の夏に何を想うのだろう。出来ればそれが満ち足りたものであればいい。そう思いながら、お前は? マサキがシュウに尋ねれば、楽しかったですよ。視線をマサキに向けた彼は満足気に答えてきた。
「海に山、湖にも行きましたね。それだけでも充分でしたが、地上のお祭りや花火も観ましたし。これだけ充実していれば、云うことはありませんよ」
「そっか」マサキは砂の上に寝そべった。「俺は遊び足りねえ」
「あなたらしい」シュウが笑う。
「次は秋ですよ。味覚の秋、スポーツの秋、読書の秋。やれることは沢山あるでしょう」
「落ち葉狩りに、栗拾い。梨狩り……か。後は適当に身体を動かすくらいかな」
隣に立つ男のように書物に愉しみを見出せないマサキにとって、秋は食欲を満たす季節だった。
そのついでに身体を動かし、そのついでに自然を眺める……夏と比べれば賑やかさに欠ける季節の訪れ。寂しいもんだな。情緒に欠ける発言だと思いつつも、マサキは呟かずにいられなかった。
「そこかしこに人が溢れていた季節が終わる。当たり前に過ぎていく季節が惜しいと感じたのは初めてだ」
「それだけ充実した夏だったのですね」
「そりゃあ……」マサキは再びシュウを見上げた。
海に山、湖に森。祭りに花火。作り上げた夏の思い出には、どれも当たり前のように隣に立つ男が存在している。
仲間でもなければ味方でもない男。シュウ=シラカワ。けれども彼は、マサキと一番数多く夏を過ごした人間でもあった。
マサキはゆっくりとそれらの思い出を振り返った。そして目を細めた。どれも宝石のように輝ける記憶ばかりだ。
「来年の夏も、祭りに行こうぜ。一緒にさ」
「構いませんよ」
「花火を見て、屋台を回るんだ。今度は金魚すくいとか、射的とか、型抜きとかやろうぜ。食べてばかりじゃ面白味に欠けるだろ」
「あなたが教えてくださるのなら」
「勿論だ」マサキは身体を起こした。
服に付いた砂を払い、立ち上がる。ついでに足元にあった貝殻を拾い、それをプレシアへの土産とポケットに収めた。
「誰かと過ごす夏は楽しかったよ。お前ともな」
マサキはシュウに向かって片手を挙げた。そしてその場から立ち去る。
浜辺に残されたシュウが、私もですよ。そう言葉を口にしたようにも聞こえたが、いちいち振り返って確かめるでもない。彼と過ごした夏は終わったのだ。マサキは次の季節をどう愉しむか考えながら、人気の失せた海を後にした。