大人げない

「お、前……」
 冷蔵庫を開けたマサキは声を詰まらせた。午後のティータイムが習慣付いている男の為に用意したプチ・ガレット。城下のそこそこ有名な菓子店でわざわざ購入して持ち込んだ菓子折りの箱は開いていた。
 中身は当然――というべきであるのか。虫食い状態だ。
 三分の一が食い荒らされている菓子折り。今、この家にいるのは家主たる男と来訪者であるマサキ、そしてそれぞれの使い魔だけだ。人間の食べ物に興味を持たない使い魔たちと発見者であるマサキが犯人になり得ない以上、残る容疑者はひとりしかいない。
「つまんねえことを根に持って、子どもじみた真似をするのは止めろって云っただろ!」
 マサキはリビングを振り返った。そして、最大の容疑者である男に文句を放った。
 済ました顔でソファに腰掛けているシュウは、マサキの剣の立つ表情もなんのその。静かにテーブルの上に置かれているティーカップに手を伸ばすと、それを口元に運びながら、「謝罪の言葉が聞けていませんので」と、さらりと自らの蛮行を自白してのけた。
 何度目の喧嘩の理由は、これまでの喧嘩同様に些細なことが原因だった。
 夜半過ぎに降り始めた滝のような雨。窓を叩くほどの激しい雨の音は、そうでなくとも神経質な男を安らかな眠りから遠ざけたようだった。サイドチェストの上にある灯火器ランプの薄明りを頼りに読書に耽り始めたシュウに、一足先に眠りに就いたマサキは、彼がそこまで朝に強くないことを知っていたからこそ、翌朝、静かにベッドを出てリビングに向かった。
 そこで見てしまった絶景。
 窓の外に描き出されている二重の虹。薄靄が残る中、七色の輝きが朝の光に重なり合っている。まるで神代を思わせるほどに神秘的な光景。心を鷲掴みにされたマサキは、高ぶった気持ちを共有する相手を求めて寝室に戻った。
 その結果がどうなったかは語るまでもない。
 日頃、美術品や芸術品に理解を示してみせる男であっても、睡眠欲という根源的な人間の本能には逆らえないのだろう。絶対零度の眼差しに、刺々しさが勝る口振り。けんもほろろなシュウの態度に、いつものことと挫けず無理にベッドから引き摺り出そうとしたところで堪忍袋の緒が切れたようだ。
 かくて朝から始まった大喧嘩。
 過去の行き違いから互いの性格まで、あげつらい続けること三十分ほど。力尽きてベッドに倒れ込んだシュウに、仕方がないとマサキは寝室を去った。
 そこで終わった話だとマサキは思っていたのに。
「こんの……クソ野郎……」
 マサキは冷蔵庫の中から菓子折りをひっ掴むと、大股でリビングに取って返した。そして、どっかとシュウの隣に腰を落とすと、膝の上に菓子折りを広げた。
 慣れぬ店に足を運び、さんざ頭を悩ませて購入したプチ・ガレットの詰め合わせ。本来であれば、今頃これを抓みながらふたりでティータイムを過ごしている筈だった。
 それに八つ当たりで手を出すなど、やってはいけないことにも限度がある。マサキは顔を上げた。ティーカップをテーブルに戻したシュウはマサキの存在には目もくれず、読書の続きに余念がない。
 巫山戯やがって――菓子折りの中からタルトを片手で掴み上げたマサキは、空いている手をシュウに伸ばした。
 何をされるか覚ったシュウが咄嗟に身体を引くも、反射神経ではマサキの方が勝っている。伊達に長年、風の魔装機神の操者を務めてはいないのだ。マサキはシュウの膝に乗り上がって彼の顎を引っ掴んだ。そして続けざまにその口にタルトを押し込む。
「犬の躾は実力行使ってな」
 無理に飲み込んだタルトに咽返るシュウを見下ろしながら鼻を鳴らせば、余程腹に据えかねたと見える。冷ややかな眼差しを向けてきたシュウと、暫し視線が交錯する。緊張に満ちた沈黙。それでも我が身の愚かさを身につまされたのか。直後にふっと表情を和らげたシュウがわかりましたと口にする。
「私も悪かったですよ、マサキ。あなたの心づくしをこんな風にしてしまった」
 シュウの言葉にはっとなったマサキは、彼の視線の先を追った。
 床の上で引っ繰り返っている化粧箱。シュウに踊りかかった瞬間に膝から菓子折りが零れ落ちたようだ。
 散らばったプチ・ガレットは、最早食べられる状態ではなかった。勿体ないことをしてしまったと思うも、その惨状に彼の心が動かされたのだろう。ふわりと頬にかかる手。仲直りとばかりに顔を寄せてくる彼に、それならとマサキも顔を寄せていく。
 ごめんな。
 口唇が触れ合う寸前にそう呟けば、いいのですよ。シュウが答えてくる。
 そして重ねられる口唇。蟠りを解くシュウからの口付けを、マサキは思う存分貪った。