孵化

 起きるんだニャ! と、いう声とともに、胸の上に何かが飛び乗ってきた。続いてもう一撃。起きるのね! どすんと音を立てて、こちらは腹へ。目を開けずとも何であるかは知れる衝撃に、マサキは身を捩ってブランケットに包まった。
「はいはーい。朝ですよ! 起きましょうね、マサキさん!」
 けれども、ブランケットの中に籠城するのは無理があったようだ。ふわりと頭に何かが降りてくる感触がしたかと思うと、耳をくちばしで突つかれる。ああもう。マサキはブランケットを剥いで、ベッドから飛び起きた。
「わーったよ! 起きる。起きりゃいいんだろ!」
 マットレスの上で胡坐をかき、大きく伸びをひとつ。本当に大人しくしているということを知らぬ使い魔どもだ。そう思いながら、雁首揃えて自分を起こしにきた使い魔たちから顔を背け、カーテンが開かれた窓へと目を遣れば、珍しくも先に起きていたようだ。ベッドの持ち主が今着替えを終えたばかりといった様子で振り返る。
「起きましたか、マサキ」
「お前の差し金かよ」マサキは寝ぐせの残る髪を掻き上げた。
 ふたりと二匹と一羽の朝は、大抵は静かに過ぎていった。シュウとマサキ。ふたりの逢瀬を邪魔しないくらいには良識的な使い魔たちは、夜をリビングで明かすのが常だったし、朝が訪れたからといって、無遠慮に寝室に立ち入ってくるような真似もしなかった。
 それがこの騒ぎである。
 シュウが手引きをしていなければ、誰がこの二匹と一羽の使い魔たちに寝室に立ち入る許可を出せたものか。
 マサキはシュウを睨んだ。まだ眠気の残る頭と身体。抜けきらない疲労感の原因は他でもない。目の前で涼やかに微笑んでいるこの男にある。
「今日は大事な用事があるのでしょう」
「あるっちゃあるけどな。まだ大丈夫だろ」
 ベッドを回り込んできたシュウが、ほらと床に散らばっている衣服の中から靴下を取り上げる。
 どうやら着替えを手伝うつもりでいるようだ。マサキに足を出すように促してくるシュウに、仕方ねえな。彼に甘やかされるのが嫌いではないマサキはベッドの端から足を差し出した。
「お前が着せてくれるのは有難えけどな、どうせ後で式服に着替えるんだぜ」
「わかっていますよ、マサキ」
 午後に宮殿で控えている王宮騎士団員の任命式。立会人を務める予定のマサキは、午前中にはここを立たなければならなかった。
 それを告げておいたからだろう。マサキの目を確実に覚まさせる為に使い魔たちを使ってくる辺り、人の悪いこの男らしい嫌がらせだ。そのくせ、かいがいしくマサキの世話を焼くことを厭わない。変わり者の博士号持ち。マサキは未だにこの男が何故自分を好きなのかわからずにいる。
「ほら、脚を入れて」
 靴下を履かされれば、次はジーンズだ。足を通させてくるシュウに、何だかなあ。マサキはごちた。けれども胸を占める擽ったいような、甘酸っぱいような感覚。きっと、これを人は幸福と呼ぶのだろう。そう感じ取った瞬間、目の前の男に対して言葉に出来ない愛しさが込み上げてくる。
「今日はいい天気ですから、さぞ華やかな任命式になることでしょうね」
 立ち上がらせたマサキにジーンズを履かせたシュウが、次いでシャツを拾い上げる。シュウ。シュウの名前を呼んだマサキは、向かい合ったシュウに向けて顔を突き出した。言葉にせずとも伝わる想い。当然のように重ねられる口唇が愛おしい。
「あたくしたちの存在ガン無視!? ホント、お熱いことで!」
「いつものことニャのね」
「慣れたんだニャ」
 二匹と一羽の使い魔が視界の隅で騒ぎ出す。それを無視してシャツを着たマサキは、恨みがましそうな使い魔たちの視線に見送られながら、シュウとともに洗面所へと向かった。
「あなたは本当に良く寝返りを打ちますね。折角の綺麗な髪をこんなにして」
「悪かったな。寝相が悪くてよ……」
 着替えが終われば、髪のセット。どうかすれば洗顔や歯磨きまで手ずから行いかねない男の献身的な態度に、けれども時々マサキは不安になることがあった。
 これは夢ではないだろうか。
 サイバスターを目の前に格納庫でひとり佇んでいたシュウと顔を合わせたあの日から、もう随分と長い年月が過ぎた。積み重なった記憶は決して楽しいものばかりではない。むしろ凄惨なものの方が印象に残っているぐらいだ。
「寝返りを打つのは悪いことではありませんよ。人は寝返りを打つことで身体の歪みを正しているのですから」
「そうなのか? 初耳だ」
「歳を取ると歪みが治り難くなるのは、寝返りを打たなくなるからであるのですよ」
 だから不安になるのだろう。またいつか、あの辛く苦しい日々に引き戻されてしまうのではないかと……。
 マサキは温かいドライヤーの風を受けながら、シュウの手で整えられてゆく自らの髪形を鏡越しに見守った。そうして変われば変わるものだと、他人の手を借りたがらなかったかつての自分を思い返した。
 きっと、これからマサキはまだまだ変わってゆく。
 それが輝ける未来に続くものであればいい。髪のセットを終えたマサキはシュウを振り返って、今一度。その口唇を求めてつま先を立てた。