一晩をともにしたその日。朝から機嫌の悪いマサキに、思い当たる節のないシュウは首を傾げたくなる思いでいた。
「今更いちいち量るもんじゃないだろ。作り慣れたメニューなんだぞ」
どちらが云い出した訳ではなかったが、ふたりでいるときの食事の支度は交代制だ。
昨日の夕食を担当したのはマサキ。ビーフシチューにサラダと肉を好む彼らしい食事は、シュウからすれば少し濃く感じられる味付けだったが、決して不味いという訳ではなかった。故にその食事の出来に文句を云った覚えはない。
そうである以上、彼の不機嫌の理由はそれ以外にあるということだ。
「計量カップに計量スプーンとか、どんだけ自分の舌に自信がないんだよ」
シュウは大人しく座って待つ気がないらしいマサキの言葉に眉を顰めた。当然ながら今日の朝食の支度はシュウが行っている。その手順が気に食わないらしい。カウンターの上にある計量カップやスプーンの存在にケチを付けてきたマサキに、シュウとしては増々彼の不機嫌の理由が気に掛かる。シュウはマサキをいなしながら昨日の出来事を思い返した。
昼過ぎにシュウの家を訪れた彼は、手にかき氷機の入った包みを提げていた。ピーコックブルーの本体に白い手動レバーが付いたレトロモダンな作り。シュウの家の冷蔵庫を漁って氷をかき集めた彼は、そのかき氷機で作ったかき氷にいたくご機嫌だった。
それから、いつも通りに読書をするシュウの隣でテレビを見ていた彼は、夕方近くになってシュウを散歩に誘ってきた。涼しくなる頃合いを待っていたようだ。近くの林を通る川辺を三十分ほど。川を伝うひんやりとした風を浴びながら、ふたりで肩を並べて歩いた。
彼の機嫌が悪くなるような要素はどこにもない。
むしろ、やりたいことをやれている分、昨日のマサキの機嫌はかなり良かった方だ。
それが証拠に、食事を終えてバスに向かった彼は鼻歌混じりにシャワーを浴びていた。寝る時もそうだ。明日はあれをしようこれをしようと無邪気に提案してくる彼に、シュウはいつになく満たされた気分で眠りに就いた。
それがどうだ。
起きたらこの有様である。
シュウは計量カップで量った水を鍋に入れた。クラムチャウダーの材料は既に炒めてある。ふわりと香るあさりの匂い。きちんと計量カップを使っただけはあって、程良いとろみ具合だ。
「まだかよ」
「もう少しですよ」
クラムチャウダーとホットドック。食べたがったのはマサキだった。
良く食べ良く動くマサキは、味が濃いものを欲しがることが多い。日頃、葉物を好んで食べているシュウからすれば、マサキが好むメニューは胃にもたれるものばかりだったが、他に彼の機嫌を取る方法も知らない。何せ、シュウには彼の機嫌を損ねた理由にまるで心当たりがないのだ。そうである以上、彼の云うことに唯々諾々と従う以外に何が出来ようか。
「腹減った」
「牛乳でも飲みながら待っては如何です」
「あと一分だけ待ってやるから、早くしろ」
だのにマサキと来た日には、駄々を捏ねるのを止めようとしない。
シュウは鍋の火を止めた。フライパンの中には炒めたキャベツ、トースターの中には焼いたホットドックパン。これからウィンナーを炒めるところだというのに、一分で完成させろとは無茶にも限度がある。
「ろくじゅうー、ごじゅうきゅうー、ごじゅうはちー……」
けれども本気なようだ。カウントダウンを始めたマサキに、マサキ――。シュウはその名を呼びながら向き直った。
「機嫌が悪い理由を云いなさい」
「別に」
「別に、で済ませられる話でもないでしょう。私が何かしましたか」
不機嫌が服を着て歩いているような表情。大きな目の下に白目が筋を引いている。睨み付けるようにシュウを見上げてくるマサキに、シュウもまた冷ややかな視線を返す。
「私が何かしたのであれば謝罪しますよ。けれども、非がないものを理不尽に当たられるのは耐え兼ねますね」
それで少しは態度を軟化させようと思ったようだ。夕べ。と、マサキが小さな声で言葉を吐いた。
「夕べ?」
「夜中にトイレに起きたんだよ」
「それが?」
「ベッドに戻ったら、お前が背中を向けて寝てた」
「……私とて、寝返りぐらい打ちますが」
「わかってるよ、そのぐらい。でも、俺は嫌だった。だからお前を起こそうとしたんだけど、お前、深く寝てるのか全然起きなかったんだよ」
そう云ってシュウの胸をどん、と叩いたマサキに、シュウは最早どう言葉を継げばいいかもわからずに。
「えー……マサキさん、もしかして病み系?」
キッチンの小窓の張り出し口にてその遣り取りを眺めていたチカが、これ以上となくシュウの胸中を的確に代弁してくる。悪いかよ。ぼそと言葉を吐いたマサキがシュウの胸に顔を埋めてくる。
さて、どう収拾を付けたものか――。シュウはマサキの背中に腕を回しながら、彼の機嫌をどう取り直すか思案しながら宙を仰いだ。