「そういやマサキさん、知ってます?」
いつもであれば暇と見付けるなり誘いに来る仲間が、珍しくも誰ひとりとして訪れて来ない休日。マサキは風を通すのに窓を開いた自室で、柔らかな陽射しを受けながら溜まった雑誌を読み耽っていた。
そこに話し相手を求めて来たらしい。チカが窓から飛び込んできた。
マサキが座っている椅子とセットになっているテーブルの上にちょこんと陣取った彼は、暫くの間、主人と愉快な仲間たちの近況報告を切れ間なくマサキに聞かせてきたが、その反応が鈍いことに業を煮やしたようだ。不意に話を切ると、マサキの肩に飛び乗ってきた。
「何をだよ」
「うちのご主人様が、最近、あるものを手に入れたんですよ」
「あの不条理な機体をまたパワーアップでもさせるつもりか?」
「そういうものではないんですねえ」
羽根でくちばしを覆ったチカがうっふっふと含みのある笑い声を洩らす。
マサキは雑誌のページを捲った。
嫌な予感はしたものの、ある種生真面目が服を着て歩いているような男のすることである。それが仮に厄介事を生み出すだけのシステムだったとしても、迷惑を掛けないぐらいの対処を施した上で研究に使うことだろう。
万が一、不測の事態が起こったとしても、その被害を最小限で食い止めてみせるに違いない。そう、かつてゼゼーナンの企みを暴き、壊してみせたように。そういった意味では、マサキはシュウの研究者としての能力と善性に信頼を置いている。
だのにチカと来た日には、その話を嫌でもマサキに聞かせないと気が済まないようだ。何だと思います? 云って、気のないマサキの意識を自分に向けるように、耳朶をくちばしでつついてきた。
「一発で当てられたら、マサキさんの望みをひとつ叶えて差し上げますよ」
「大きく出るじゃねえか。そんなに意外なものなのかよ?」
「それを知ったマサキさんが何を望むかは、あたくしにも想像が付くものですからねえ」
マサキは読みかけの雑誌をテーブルに放り投げた。そして間髪入れずに肩にとまっているチカの身体を掴み取った。
「云え」目の前に掲げたチカの顔を睨む。
「えー? どうしよっかなー?」
おちょくっているとしか思えない口調。腹立たしいこと他ない。マサキは無言でチカを掴む手に力を込めた。ヒィ! 全身を締め付けられたチカが悲鳴を上げる。
「このままお前を握り潰してもいいんだぜ? あいつだってお喋りな使い魔からそろそろ解放されたいところだろうよ」
「い、いいいいいんですかッ!? 正義の味方の魔装機神の操者が使い魔虐待なんて!」
「お前が一匹いなくなったぐらいじゃ誰も困らないだろ。むしろ方々から感謝されるに違いねえ」
「返事になってない! しかもマサキさん本気ですね!? 目が据わってる!」
当たり前だ。マサキは更にチカを掴む手に力を込めた。まるでゴムボールのような弾力を感じさせる身体が、むに、と指の合間からはみ出してくる。お前……マサキは起こり得ない事態が起こったことに目を剥いた。
「おーほっほっほっほ! あたくし使い魔ですからね! このぐらいの圧力で潰されるようなやわな身体は」
ばん。マサキは反射的に床にチカの身体を叩きつけていた。
「な、何たる虐待! 動物愛護団体に訴えますよ!」
マサキは今まさに起き上がろうとしている最中のチカの身体をブーツで踏みつけた。むぎゅ。何とも気の抜けた声がくちばしから洩れる。
「潰れなきゃ潰れるまで踏み続けるだけだ。云え。何をあいつが手に入れたって?」
「……しん」
ブーツの下から小さく聞こえてきた声に、マサキは僅かに力を緩めた。その隙を逃すようなチカではない。ずるり――と這い出てきた身体が次の瞬間にはふわりと宙を舞う。
「写真ですよ、写真! 聞いて驚け! ついにマサキさんの写真を手に入れたんですよ、あのゲス野郎は!」
部屋の中を所狭しと飛び回りながら喚くチカに、マサキは椅子から飛び上がらずにいられなかった。
「冗談じゃねえええええええ! 何に使われるかわかったもんじゃねえ! 絶対に取り返す! 取り返すに決まってるだろこの野郎おおおぉぉぉぉおおおおおお!」
※ ※ ※
写真々々と部屋を飛び回りながら喚き散らすチカをどうにかして捕獲したマサキは、件の写真を取り戻すべく、彼を引っ立ててシュウと愉快な仲間たちが隠れ住む拠点に向かった。どうやら以前、生活の拠点にしていた洋館は引き払ってしまったようだ。クラッシック一辺倒だった以前の住処と異なり、古めかしさと目新しさが同居する外観。両翼を広げるように建つレトロモダンな二階屋を、マサキは草むらに身を潜めながら遠目に眺めていた。
「あたくしに任せておけばいいものを」
「お前に任せて物事が上手く行ったことなんてあるかよ」
「でも、マサキさん。どうやって写真を取り戻すおつもりで?」
「だからそれは、あいつらが留守の内に忍び込んで」
はあ。とチカが大仰に溜息を洩らす。
「それで前回、どういった目に合ったかお忘れで?」
そう、マサキが彼らの拠点に忍び込むのは、今回が初めてではなかった。チカの口車に乗せられたとはいえ、シュウの日記という手にしただけでも呪われそうなアイテムの中身を盗み見みに向かった前回。確りと鍵のかかった意匠も見事な分厚い日記帳は、どうやらシュウが魔術でプロテクトをかけていたようだ。
マサキが触れると同時に開錠された日記帳。まるでこうなることを予想していたような仕掛けに、嫌な予感を感じながらもマサキが中を読んでみれば、そこには彼のめくるめく妄想が微に入り細に入り書き綴られていた――……。
「いや、待て。今回は俺の写真だろ。流石にそれを使ってどうこうなんてそんなこと」
「何せご主人様のすることですしねえ。写真の中のマサキさんが動き回ったとしても、あたくしは驚きませんが」
十指に及ぶ博士号を得られるだけの知力に、王位継承権を与えられたほどの魔力。才能に恵まれた男に不可能はないのだろう。彼の手にかかれば写真の中のマサキが動き始めるのも時間の問題だ。
しかし、その半面、彼は自分に益のないことに労力を使うことを厭う。
彼にとっての利益とは彼自身の興味や関心を満たすことも含むものであるとはいえ、だからといって写真の中のマサキを動かして、彼が利益を得られたものか?
「それを使って何をする……」云いかけた瞬間、マサキの脳裏に悍ましい想像が過ぎる。「あ、いや。云わなくていい」
「そりゃ勿論、(自主規制)するんじゃないですか?」
「云わなくていいって云ってんだろ! 何でわかってることを云うんだよ、お前は!」
「そりゃあ、あの日記を読めばねえ。飛んで火に入る夏の虫っつーか、マサキさんだって何だかんだ楽しんでるのがわかるっていうか。だのに否定するようなことを云うんですもの。だったら、あたくしだって意地悪のひとつやふたつ」
マサキの部屋の本棚にひっそりと眠っている日記。いつの間にか無礼にも夜中に忍び込んでくるようになった主人ともども中身を読んでいたらしいチカが、その内容に言及しかけた刹那、館の入り口からシュウと愉快な仲間たちが出てくるのがマサキの目に映った。
咄嗟にチカのくちばしを掴んだマサキは、彼らに気取られないように、気配を殺してその行く先を窺った。どうやら彼らは徒歩で街に向かうようだ。家の前の道を東に折れていった一行の姿が遠のく。マサキはチカを掴みながらゆっくりと草むらから這い出た。
「何しに出て行ったと思う?」
「さあ? 買い出しじゃないですか? そろそろ冷蔵庫の中身が怪しかったですし」
「何時間ぐらいで帰ってくるかね」
「サフィーネさんとモニカさんがウィンドウショッピングを始めなければ、一時間ぐらいじゃないですかね」
「それだけあれば充分だ」
マサキはチカをジャケットのポケットに突っ込んで立ち上がった。ひょいとポケットの口から顔を覗かせたチカが、大丈夫なんでしょうね? と、声を上げる。正直、一抹の不安が顔を覗かせるも、シュウの手元に自分の写真があると知りながら、それを放置しておくなど言語道断。
当たり前だ。強気に言葉を返して、マサキは館に向かって走り出した。
※ ※ ※
部屋数は二十を下らないらしい洋館は、広さに見合わず確りと戸締りがなされていた。ひと通り戸締りの確認をしたマサキはポケットの中に仕舞い込んでいたチカを空に放った。通風孔から館の中に入り込んだチカが、手近な窓の掛け金をくちばしで下ろす。マサキは窓を乗り越えて館の中に侵入した。
だだっ広い館の中をチカに案内をさせながら歩くこと5分ほど。マサキは二階の左手奥にある部屋の前に辿り着いた。細かく意匠が施された両開きの扉。他の部屋は一枚開きの扉なだけに、部屋の重要性が窺える。どうやらこの向こう側がシュウの書斎スペースであるらしい。
鍵が掛けられるように出来ている扉は、幸いなことに閉ざされきってはいないようだ。マサキはドアノブを掴んだ。ギィ……と、重苦しい音を立てながら扉が開く。正面には両袖机、右手側の壁には書棚。左手側には仮眠をするスペースだろうか。質素なベッドが置かれている。
「ところでマサキさん、どうやって目的のブツを探すおつもりで?」
「この辺から」マサキは本棚の前に立った。「手あたり次第に探していきゃ、いつかは見付かるだろ」
「ええ!? 一時間しか時間がないのに、作戦が手あたり次第!? 幾ら頭脳戦が苦手にしても物には限度があるんじゃないですか?」
ポケットから飛び出してきたチカが、あれやこれやと言葉を発しながらマサキの周りを飛び回る。それをまるっと無視してマサキは書棚に手を伸ばした。ガラス製の開き戸が嵌め込まれた書棚は、軽々しく触れられない雰囲気を放っていたが、だからといってこのまま何もせずに立ち去る訳にもいかない。
マサキが挑んでいるのは、決してシュウに持たせてはならないアイテム――マサキ自身が写っている写真を取り戻すという重大なミッションなのだ。マサキは開き戸を開き、書棚の中を漁った。書棚の奥は元より、本と本の間、本の中と順繰りに探してゆく。幸い、本の虫な割には、全ての蔵書をここに置いている訳ではないようだ。ざっと見ても数百冊ほどの蔵書。このぐらいの量であれば、一時間もかからぬ内に全てを確認出来るだろう。
「もしかしてマサキさん、書棚を全部漁るつもりですか?」
「そりゃそうだろ。何処にどう隠されてるかわからない以上、部屋を隅々まで漁らないことには」
「それにしたってもう少しやりようがあると思うんですけど」
ふわりと宙を舞ったチカが、部屋の中央にあるアンティークな造りの両袖机の上に着地する。彼は綺麗に整頓された両袖机の天板上を歩き回りながら、書棚を手当たり次第に漁るマサキに語りかけてきた。
「部屋を漁る時には定石があるんですよ。先ず、鍵の掛かっている場所。この部屋で云えば、この両袖机の引き出しです。それから不自然な厚みがある家具。この部屋にはないっぽいですね。となると、鍵のかかっている引き出し→鍵のかかっていない引き出し→書棚の順で漁るのが一番ベターな手順になるんじゃないかと」
「でもお前、鍵の掛かってる引き出しを漁るって、鍵がなきゃ開かねえもんをどうやって――」
マサキはチカを振り返った。代わり映えのしない顔立ちが、瞬間にやりと笑ったように映る。
「あたくしを誰だとお思いで? これでもあのゲス野郎の使い魔ですよ! 鍵の在処ぐらい知ってますって」
ちょいちょいと両袖机上を動き回ったチカが、その済みに置かれている卓上チェストの引き出しを器用にくちばしで開く。そして得意げに胸を張ると、開いた翼でマサキを手招いてくる。
マサキは仕方なしにチカに近付いた。
引き出しの中には二種類の小さな鍵が収められている。マサキは盛大に訝しんだ。こうしてチカでさえも取り出せてしまう場所にこれみよがしに鍵を収めている時点で、収穫は見込めないような気がする。とはいえ、確認もせずに闇雲な探索を続けた結果、実はそこにあったでは笑い話にもならない。マサキは鍵を取り上げて、両袖机の鍵の掛かった引き出しを開いた。
「もう俺、これは見たくなかったんだけどよ……」
「ああ、ごめんなさいごめんなさい! これの存在をすっかり忘れてました!」
果たしてそこにあったのは、意匠も豪華なシュウの日記帳だった。
※ ※ ※
「あー、何処だよ! 見付からねえじゃねえか、あの野郎ッ!」
マサキは床の上に伸びた。
両袖机の引き出しを全て調べたのみならず、書棚の蔵書をも漁り尽くしている。それだけではない。ベッドの下、マットレスの隙間、家具の裏側から壁の継ぎ目まで、室内のいたる所も探し尽くした後だ。それだのに目当てのブツだけが見付からない。シュウの明け透けな妄想が書き連ねられた日記帳や、マサキと遭遇した日にちだけがメモされている手帳といった、存在する意味を深く追求したくないアイテムは見付かったものの、たかだか写真一枚だけがまるで――そう、まるで最初からそんなものは存在していなかったとばかり何処にもないのだ。
これではさしものマサキもへばりたくなるというもの。
はぁ。マサキは溜息を吐きながら、このついでに処分してやろうと決めたシュウの日記帳を開いた。口にするのも憚られる妄想の数々。シュウが何かの勢いに任せて書き散らかしたらしい日記は、彼の精神状態が真剣に心配されるほどに、嫌な方向にパワーアップを遂げている。
「やったことだけ書けよ。何でやってないことを書くんだよ、あいつは」
「やったことなら書かれてもいいんですか? マサキさん、相当にご主人様の奇天烈な行動に慣らされているみたいですけど、大丈夫です? まさか、新たな世界に目覚めちゃったなんてそんなこと」
「どっちだって書かれたかねえよ! でもあいつを止めてもどうせ書くんだろ! だったらまだやった覚えがあることを書かれた方がマシだって云ってんだよ!」
「諦めるのはまだ早い気がしますがねえ」
書棚の上から降りて来たチカが寝そべっているマサキの胸の上に乗る。彼はこのままマサキが伸びていたところで事態は好転しないと云いたいらしかった。ちょいちょいとくちばしで喉仏を突いてきながら、
「それよりも、探すのはもう諦めたので? だったらさっさととんずらこいちゃいましょうよ。ご主人様に見付かったら厄介な事になりかねません。その結果、痛い目に合うのはあたくしとマサキさんですよ。別にマサキさんがそれでもいいっていうか、そっちの方がご趣味だって云うんなら、あたくしはひとりで先にとんずらこかせていただきますけど」
「元はと云えばお前が持ち込んだ話だろうが」マサキは日記帳を放り投げるとチカを掴んだ。「他に思い当たる場所はねえのかよ。俺は写真を見付けずして帰るなんてご免だぞ」
「ひぃ! また動物虐待ですか! あたくしを脅してももう何も出ませんよ!」
マサキはシェーカーを振る要領でチカの身体を振った。カラカラカラカラ。してはいけない音がチカの身体から聞こえてくる。マサキはチカの身体を耳に近付けた。どうやらその音は彼の頭から聞こえてきているようだ。
「お前、何か変な音が頭から聞こえてきてるぞ、大丈夫か?」
「脳味噌ですかね?」
「脳味噌」
「ほら、あたくしこれでも使い魔じゃないですか。作る時におがくずとか、木の枝とか、粘土とか、羽毛とかが使われたらしいので」
「本当かよ!? それでこんな立派な身体が出来上がるってホラーじゃねえか!」
「それこそが魔術だと云って欲しかったですね」
驚いた表紙に手の力が抜けたらしかった。マサキの手のひらから抜け出したチカがふわりと宙へ羽ばたいて行く。彼はマサキの上空をくるくると旋回しながら、ところで――と、言葉を継いだ。
「隠し場所になりそうな場所は思い出せなかったですが、可能性のひとつは思い付けましたよ」
「写真の在処か」マサキは身体を起こした。
シュウと愉快な仲間たちが館を出て行ってから、既に一時間以上が経過してしまっている。チカの言葉が正しければ、いつもであればそろそろ戻って来てもおかしくない時間である。彼らが戻って来るのが時間の問題となった今、頼れるのはシュウの無意識の産物であるチカの頭脳だけだ。
「聞きたいですか?」
マサキの肩にとまったチカが、凄まじく嫌気を滲ませた声を発した。
「やめろよ。そんな声を出されると聞きたくなくなる」
「いや、だってマサキさん。これだけ探して見付からないってことはですよ、この部屋にはないと考えるしかないじゃないですか。そこで基本に返ってみた訳ですよ。そもそも好きな人の写真をですよ、一般的にはどう扱うかって云ったら」
「好きな人の部分はいらねえだろ」
「いーや。ここが大事な部分なんですよ。だってマサキさん、もしマサキさんが好きな人の写真を手に入れたとしたらどうします?」
「アルバムに大事に仕舞っておくかな……いや、家に帰れない日の方が多いしな。それだったら財布の中にでも仕舞ってお――」
そこでマサキははっとなってチカを振り向いた。表情の変化が読み取れない筈の小鳥であるところの彼は、何故だろう。マサキには物凄く嫌そうな表情をしているように映る。
「その通りですよ、マサキさん。ご主人様にとってマサキさんの写真は聖遺物。それをみすみす部屋に放置しておくなんてそんなことがある筈がない! あのゲス野郎はきっと肌身離さずマサキさんの写真を持ち歩いているのに違いないですよ!」
その瞬間、マサキは世界が立て続けに滅亡に襲われたかのような絶望感を味わった。けれどもそれはシュウがマサキの写真を持ち歩いているのではないか? という仮定の話に感じたものではなかった。
ひやりとした空気の流れ。肌に感じた違和感に、マサキはチカから視線を外し、正面に顔を向けた。そのマサキの視線を追ったのだろう。マサキの絶望の意味を覚ったチカが、ひぃ! と悲鳴を上げる。
「何を――、しているのですか。あなた方は」
いつの間にか音もなく両開きの扉を開いて部屋に入り込んでいたらしい。マサキとチカの目の前には、獲物を見定めるような眼差しを自分たちに注いできながら、静謐とも呼べる笑みを口元に湛えたシュウが立っていた。
※ ※ ※
「つまりあなた方は私が所持しているマサキの写真を入手すべく、私の部屋に忍び込んだ――と」
シュウがゆったりとした動きで両袖机に腰を落ち着けるのを、諦めに近い感情を抱きながらマサキは見守った。
「その割には聞き捨てならない呼ばれ方をしていたようにも思えますがね、チカ」
「そ、そそそそんなことはございませんよ、ご主人様。あたくしこれでもご主人様の使い魔ですからね。使い魔の使命は主人のフォロー! 陰に日向に主人に仕えるこのあたくしの鋼のような忠誠心! 間違ってもご主人様のことをゲス野郎なんて呼びませんて!」
「あなたとは別口で話すことにしましょう」
主人に対する裏切りをあっさりと白状してみせたチカに、シュウは思うところがあるようだ。額に手を当て、暫し考え込む素振りを見せると、それで? と、部屋の中央で所在なく立ち尽くすしかないマサキの言葉を促してきた。
「私があなたの写真を持っていたとして、あなたはそれに何の不満があるのですか、マサキ」
「不満しかねえだろ!」
自らに対しては劣情の塊でしかないような振る舞いに及ぶ男の、さも自分に落ち度はないとでも云いたげな台詞に、マサキは反意を唱えずにいられなかった。
「お前のすることなんて碌な事じゃねえ! 夜中に俺の部屋に忍んで来るだけじゃなく、そのついでに人の大事な日記を盗み見る。それだけじゃ飽き足らず自分の日記に妄想を書き散らす。挙句の果てには俺に黙って俺の写真を何処からか入手してくるとか、どう考えても真っ当な目的の用途じゃねえだろ!」
「なら聞きますが、あなたはどういった目的であれば、私があなたの写真を所持していることに納得出来るのですか」
「そもそも持つなって云ってるんだよ!」
マサキはシュウの度を越した自分への執着心が怖ろしくて仕方がなかった。
何処かで迷ったと思えば彼の掌の上。虚仮にされているとしか思えない実験とやらに付き合わされる。だったら自宅に篭ろうと思えば、気紛れに人目を忍んで忍び込んでくる。そうした拘束から解放されてひととき安らぎを得たと思えば、自宅であられもない妄想を日記帳に書き付けている。場所も時間もお構いなしにマサキを構い倒してくる男は、果たしていつマサキから心を離しているのか。マサキには想像が出来ない。
「そうは云いますが、マサキ。あなたがこの写真を入手した経緯を聞けば、そういった口を利いてはいられないと思うのですがね」
「何だよ……入手の経緯って……」
「聞きたいですか?」目にするのも心臓に悪い悪魔の微笑みが彼の口元に浮かぶ。「聞かない方がいいと思いますが」
云いながらシュウが上着の内ポケットから分厚い手帳を取り出す。どうやらそこに写真を挟んでいたようだ。白く細い指先が開いた手帳から写真の束を取り上げた。
マサキは身を乗り出してシュウの手元を覗き込んだ。
判で押したように同じショット。場所は何処かの平原。サイバスターをバックに立つマサキは、カメラではない方向をどこか物憂げな表情で眺めている。背後に軍用テントが並んでいるということは、ラングラン正規軍との合同演習中の一枚だろうか。
「覚えがねえ。誰だ、この写真を撮ったのは」
それにしても、いつ撮られたのか覚えがない。マサキは首を捻った。
「合同演習に参加していた兵士ですよ」
「何の目的でだよ。演習の記録が必要だっていうなら、ひと言声をかけてくれりゃいいものを」
マサキの答えに何を感じ取ったか。シュウは顔を俯かせると、声を潜めて嗤った。お目出度い。直後には嫌味とも皮肉とも付かない言葉が洩れる。
「何だよ……だって、あいつらが俺の写真を撮る理由なんて他には何も」
途惑うマサキにシュウが諭すように言葉を継ぐ。
「あなたは知らないでしょうが、軍は圧倒的男社会ですからね。長く従軍していると、何処かにオアシスを求めたくなるようなのですよ。それ即ち、性的な象徴という意味でですが」
予想だにしていなかった単語が飛び出した所為か。マサキは云われた言葉の意味を一度で咀嚼しきれなかった。何だって? マサキはシュウに問い返した。
「つまり彼らはあなたをセックスシンボルとして拝しているのですよ、マサキ」
「嘘だろッ!?」マサキは声を上げてシュウに詰め寄った。「お前、俺がわからないと思って適当なことを云ってるだろ!」
「この写真を撮った兵士に話を聞いたところ、彼はこの写真を五十枚は売ったそうですよ。一般女性兵の写真は三十枚も売れればいい方らしいですから、あなたの人気の高さが窺えますね」
同じ釜の飯を食い、時には死地をともにもした兵士たちの思いがけない裏の顔。セックスシンボルということは、シュウの手にしている写真は彼らに性的に消費されたということである。マサキは言葉を失った。見た目はどうということもないスナップ写真だけに、にわかには信じられない。
「信じる信じないはあなたの自由ですが、だからこそ私はこの写真を全て回収しようと決めたのですよ。そう、出来ればあなたには内緒でね、マサキ。そこのお喋りな使い魔の所為で台無しになってしまいましたが」
信じ難い話ではあるが、シュウの言葉には整合性がある。マサキは考え込んだ。
何よりマサキに強い執着を向けているシュウだ。他人にそういった目的でマサキが消費されるのを我慢出来る筈がない。そもそも、幾らシュウであろうとも、ただマサキを揶揄う為だけに、マサキの写真を何枚も焼き増すような真似はしまい。彼が出回った写真を取り戻そうとしているのは、手にしている写真の数でも明らかだった。
「あー……そりゃ、すまなかった……」マサキは鼻の頭を掻いた。「その、なんだ。ありがと、な……シュウ……」
「私に感謝をしているのでしたら、形で表して欲しいものですね」
はあ? マサキは目を剥いてシュウに向き直った。
「お前、相変わらず厚かましいな! 折角いい話で終わりそうだったのに、恩を着せにかかるんじゃねえよ! しかも形で表せ? 金でも寄越せってか!」
「まさか。もっとささやかなものですよ、マサキ。あなたの髪の毛を一本、それ以上の礼は要りません」
「髪の、毛……? 嫌な予感しかしねえ。お前、それを使って何をするか云ってみろ」
「ここに用意した人形に埋め込むのですよ」シュウは両袖机の引き出しの中から、粘土で作られた人型を取り出してみせた。「既に術を施した後です。ですから、それさえあれば、あなたを好きな時に意のままに動かすことが」
悪魔のような発想をする男の、悪魔のような宣告。真っ当な精神を持っていない男だと承知してはいても、不条理さに我慢も限界だ。マサキはシュウを睨み付けると、全身の力を込めて絶叫した。
「巫山戯ろ! 絶っっっ対に、やらねえからなあああああああああッ!」
結果、髪の毛に気を取られて写真を撮り返すことを忘れたマサキは、後日チカに「同じマサキの写真しか並んでいないアルバム」をシュウが作り上げたと聞かされて卒倒する羽目に陥るのだが、それもまた彼の深い愛情の為せる業。マサキ自身にとってはさておき、何だかんだで今日もラングランは平和なのである。