温かな橙色の光がリビングを満たしていた。
「夕食は何にしますか、マサキ」
もう日も暮れようかという時刻になってようやく手元の本から顔を上げたシュウは、ソファの隣で姿勢を崩してテレビを眺めているマサキにそう尋ねた。
「ギブ! 本当にギブ! 羽根がなくなるっ!」
「ちょっとぐらい痩せた方がいいんだニャ!」
「いやいやいやいやそれ痩せた違う! ああヤメテ! なくなる、羽根がなくなっちゃう!」
「まだまだいけるのね!」
床の上では一羽と二匹の使い魔が飽きることなくじゃれ合い続けている。長くシュウに放置されたことで疲れてしまったのか。そこにちらと視線を向けたマサキが、何にすっかねえ。何の感情も見い出せない表情で呟いた。
「いやいやいやいや、何夕食の話とか呑気にしちゃってるんですか! 見えてるなら止めて!」
助けを求めてくるチカに、「楽しそうで何よりですよ」と、シュウは笑いかけた。
昼頃に訪れたマサキと何をするでもなく過ごした午後。鳥の姿をしているチカを見ると猫としての本能が騒ぐようだ。理由もなく襲い掛かったシロとクロに、いつものことであるのだから逃げればいいものを。と、シュウは思うも、わざわざそれを口に出したりはしない。
「そこ笑うところじゃありませんって! ああ今、ぶちって云った! 滅茶苦茶羽根が抜けた音がした!」
本人が口にしている通り、その羽根は随分と薄くなってしまっていたが、所詮は魔法生物である。明日には呆気なく元の姿を取り戻している生き物に、助けも救いもないだろう。それに、何だと云いつつも、遊び相手がいることを彼は喜んでいるのだ。
だったら何をしようが野暮というものである。
シュウは隣で考え込んでいるマサキに視線を戻した。
戦場以外で見ることのない表情。眉間に皺を寄せて考え込んでいるマサキに、シュウの口元は自然に緩む。
若さゆえか。偏ったメニューの嗜好があるマサキではあったが、趣味らしい趣味を持たない彼にしては食べることに対する拘りは強いようだ。午後を読書に費やしてしまったシュウは、だから今日の夕食のメニューをどうするかをマサキに決めさせることにしたのだが――。
「寿司だな」
「寿司ですか」
おもむろに口を開いた彼が発した言葉に、シュウは僅かに目を見開いた。
温暖な気候のラングランには生食の文化がない。と、なると彼の目的も知れたもの。シュウはソファから腰を上げたマサキを見上げた。振り返った彼の顔にはまるで悪戯を思い付いた子どものような笑顔が浮かんでいる。
「地上に行こうぜ」
ラングランでの日本食の再現に限度があるからだろう。地上世界に未練を感じていない彼は、けれども本場の日本食には未練があるらしかった。ほら、立てよ。そう云ってシュウの腕を引っ張ってくると、まだまだ遊び足りないといった様子の一羽と二匹の使い魔に、「お前らもだ。行くぞ」と声をかけた。
「セニアに怒られるのはあなたでしょうに」
「いいんだよ。俺しか怒られないなら、それで」
そこまで腹を括っているのであればいいだろう。シュウは壁に掛かっているコートを手に取った。ようやくマサキの二匹の使い魔から解放されたチカが、スカスカになった羽根でひょろひょろと飛んでくる。彼をポケットに入れてやったシュウは、早く来いよと急かしてくるマサキに続いてリビングを出た。
※ ※ ※
「――で、回転寿司ですか」
どうせ滅多に出ない地上であるのだから、少し高級な店に入ってもいいだろうに。堅苦しさが耐え難かったのか、マサキが選んだのは大手チェーンの回転寿司だった。
「悪いかよ、回転寿司で。たらふく食えるだろ、この方が」
「この辺りなら、安くて美味しい握り寿司の店もあるでしょうに」
場所は東京。しかも新橋。何を思ったかサラリーマンの街に足を踏み入れたマサキは、夜の街に繰り出す会社員の群れに混じって、それは堂々と回転寿司の店のドアを潜ってくれたものだ
平日とはいえ夕食時だ。客はそれなりに入っていて、店内は賑やかなこと他ない。会社員の姿が目立つ店内に、シュウはそこはかとない居づらさを感じながら正面のマサキを見詰めた。
「それって立ち食いとかだろ。座ってゆっくり出来るんだからいいじゃねえか」
四人掛けのボックス席。シュウを伴って颯爽とソファに陣取ったマサキは、タブレットに表示されるメニューを漁るのに夢中なようで、顔を上げることなくシュウに言葉を返してくる。
「でしたらせめて北海道に行けばいいものを」
どうやら寿司を食べることで頭がいっぱいだったらしいマサキは、そういった当たり前のことにさえも考えを及ぼす余裕がなかったようだ。驚いた様子で目を見開くと、まあ、入っちまったもんは仕方ねえ。と、実に彼らしい言葉を吐いた。
「日本食を恋しがる割には、その質にこだわらないのがあなたらしい」
「食えれば何でもいいとは思ってねえよ。俺にだって味覚はあるからな。ただ、ちょっと思い出しちまってな」
「何をです?」
「子どもの頃の御馳走の話だよ。親父が月に一度、回転寿司に連れて行ってくれてさ。好きなだけ食えって云うけど、子どもが食える量って限りがあるだろ。食えても十皿ちょっとでさ。上手く嵌めてくれやがったなあ、なんて」
そう云って顔を上げてにかっと笑ってみせたマサキに、深い悲しみの影を見て取ったのはシュウの驕りだろうか? シュウは黙って湯呑みに手を伸ばした。ふたり分の茶を注ぎ、先ずはマグロとイカだな。そんなことを云いながらタブレットを操作しているマサキに渡す。
「まあ、偶には回転寿司も良し。私は嫌いではありませんよ」
「あからさまに態度を変えるんじゃねえよ」
ははは。と笑い声を上げたマサキが、注文を終えたことで用のなくなったタブレットをシュウに渡してくる。それを受け取ったシュウは色鮮やかなメニューの数々に視線を落としながら、そういえば――と、口を開いた。
ふたりで食事をするのも珍しくなくなったことで気付くのが遅れたが、地上でこうして差し向かいになって食事をするのは初めてのことだ。シュウがそれをマサキに告げると、何故か彼は酷く驚いたような表情になって、気付いてなかったのか? と尋ね返してきた。