熱情、或いは飼い慣らせない情熱

シュテドニアス分裂の報を受けて、その調停に向かったマサキが、シュテドニアスのラセツ派の自分に対する風当たりの強い反応を目の当たりにして、精神的なダメージを受けた挙句、風の魔装機神に拒否されたとサフィーネから聞いたシュウは、思ったより自分が平静を保っていることを意外に感じたものだった。
 かつての自分であったら、その程度のこと。魔装機神の操者となったからには、予め覚悟を決めておくべき事柄であったと思ったに違いない。
 誰かの正義は、誰かにとっては害意でもある。
 物事を二元論で語るのをシュウは好ましいと感じなかったけれども、世の中というものは、そういった単純化された構造で物を見たがる者が多いのも事実なのだ。その単純な世の中の構造に思い至れないマサキという風の魔装機神に選ばれた操者を、シュウは憎々しいと感じたこともあった。
 時は流れるものなのだ。
 等身大の少年でもあるマサキは、世界の全てが自分に微笑みかけているような、順風満帆かつ幸福な時代を生きている真っ最中なのだろう。自分にもあったその時代を、シュウは人間が成長していく上での通過儀礼とだから思えるようになったからこそ、マサキに対して以前ほどに苛立ちを覚えなくなったのだ。
 世の中の現実を目の当たりにし、挫折を味わうことで、そうして人は世間の反応と自分の感情のギャップに折り合いを付けていくことを覚えていくようになる。そういった意味では、マサキは魔装機神の操者としては半人前以下だ。これからの彼の道のりには、更なる困難が待ち受けているに違いない。そんな道半ばにいるマサキに、一足飛びに自分の境地に至れというのも酷な話だ。
 とはいえ、シュウにはシュウの都合がある。ただ黙ってその成長を見守り続けるなどといったロマンチシズム溢れる対応をしてやれるほど時間はない。そもそも自分の生き様を見て育て、といったゼオルートのような父性に満ちた育て方をしてやれるほど、シュウは表街道に生きてきた人間ではないのだ。
 だとしたら、自分にしてやれることなど決まっている。
 そうしてマサキの元に乗り込んだシュウは、予想以上にダメージを受けているマサキに、少年時代のセンシティブさというものは、ここまで人を繊細にさせるものなのだと改めて感じ入りながらも、魔装機神の操者として必要なものは何かをマサキに説いて聞かせた。
 自分の物言いは、極々一部の人間にしか通じないものであるらしい。それをシュウは自覚しているからこそ、案の定なマサキの反応を微笑ましいものだと感じつつも、多少は戦う意思を取り戻したらしい彼を神官イブンの元に連れて行くことにした。精霊界にマサキを送り込む為である。
 マサキに本当の自分を取り戻させる為には、自分では足りない部分がある。それをシュウは正しく認識しているのだ。自分による度を超えた干渉は、却ってマサキの成長を阻害しかねない。だからこその処置であった。
 伊達に長く神官職を務めてはいない。イブンはシュウの思惑を即座に察知したようで、深く理由を尋ねることもなく、マサキを精霊界に送り込んでくれた。
 精霊界の奥底で悠久の安寧に身を置いているシュウの従兄弟は、充分な役割を果たしてくれた。直感的な判断力を持つマサキにとって、高貴なるものの義務と責務のあり方をわかり易く示してくれるフェイルロードは、尊敬を向けるに値する存在であるのだろう。
 精霊界を統べる高位精霊たる風のサイフィスもまた、正しくマサキの役に立ってくれたとみえる。サイフィスとて、マサキを気に入ったからこそ風の魔装機神の操者に選んでいるのだ。戦う意志さえ失わなければ、その道を示すのもやぶさかではないのだろう。
 但し、サイフィスとの邂逅は、マサキにとっては多大な負担を強いるものとなってしまったが。
 精霊と意思の疎通を図るには、共鳴ポゼッションが必要不可欠だ。それは人間のプラーナを著しく消耗させる。精霊界から戻ったマサキが、少し目を覚ましてはまさた気を失うの繰り返しになってしまうのもやむなしだ。
 どうにもならない情動に、シュウが支配されたのはその瞬間。
 時折、シュウは思うことがある。時が過ぎ、自分の経験や知識が増えるにつれ、マサキに対するシュウの関わり方は変化を遂げた。波風の立たない穏やかな感情。だからこそ考えてしまうのだ。自分はマサキに対する憧れとも憎しみともつかない両価値的な感情を失ってしまったのではないかと。それを懐かしく感じることもあれば、寂しく感じることもある。その程度にはシュウも年齢を重ねたのだ。
 けれども、こういった瞬間なのだ。シュウの心の闇が騒ぎ出すのは。
 どうしようもない愉悦を感じている。マサキの苦しむ姿に、彼を支配したい。シュウはそう渇望してしまう。様々な感情が入り混じっているようにも感じられる曖昧ながらも強烈な情動は、隙あらばこうして姿を現わにしては、シュウの欲望を明確にする。
 ないものに人は支配されはしないのだ。サーヴァ=ヴォルクルスというのはそういった存在でもある。人の心の奥底に眠る感情を呼び覚まし、自身の傀儡として動かす。たった一度の契約の記憶が、シュウをヴォルクルスにあれほどまでに縛り付けたのは、だからだ。
 それがわかってしまったからこそ、シュウはそういった自身の醜い欲望もまた自分自身の一部であると受け入れて、だったらせめて飼いならせるようにしようと、その感情の抑制に努めてきたというのに。
 その努力を一瞬で吹き飛ばす、マサキ=アンドーという存在。
 憎々しいだけでは、この感情を現す言葉は足りない。どうにも羨ましくて、妬ましくて、そして眩ゆい。だからこそ、欲しい、と思う。その全てを支配して、思うがままに陵辱したい。そう思ってしまう。今、自分の眼前にあるマサキの弱った姿を、シュウは自分の行いで成してたくて仕方がない。
 好転しない事態に、受け入れ先の手配だの、帰路のルートの確保だの、サイバスターの移動だの、女同士の大事な話だのとマサキの仲間たちが動き始める。「放っておけばなんとでもなるものを、騒ぎたがりどもめが」偏屈な神官イブンは、そうシュウに言い残すと、自身もまたそれらの手配をしに姿を消した。
 ふと気付けば、眠っているのか起きているのかわからない表情で、床に横になっているマサキとふたりきり。本当に消耗している。シュウは黙ってマサキの傍らに立ち、青褪めたその顔を見下ろしていた。
「あの、さ……」その口が開く。だるさに上手く開けないのだろう。瞼を伏せたまま、マサキは続けた。「その……さっきはすまなかった。世話をかけたな、シュウ……」
 精一杯の謝意を人目のないところで口にするのが、意地っ張りなマサキらしい。まだまだ彼は少年のままなのだ。シュウの中から、霧が晴れたように、先程までの歪んだ欲望が消えてゆく。
 シュウは床に膝を付いた。
 そんなに時間もない。そのまま身を屈める。
「もらいなさい、マサキ」
 そしてマサキの口唇に口付けたシュウは、流れ出るプラーナによる酩酊感に身を任せながら、濡れたマサキの舌の感触をゆっくりと味わった。