空が明るくなり始める頃に目を覚ましたシュウは、いつもなら寝直すところを素直にベッドを出た。
着替えを終え、カーテンと窓を開く。待ち兼ねていたかの如く吹き込んでくる早朝の風。今日のラングランも穏やかで過ごし易い陽気になりそうだ
洗面所で洗顔と歯磨きを済ませた、キッチンに入る。軽く焼いたトーストとスクランブルエッグ、そして昨日の夕食の残りであるコシードを器に盛り、ダイニングテーブルに着く。
ひとつの研究が片付いたばかりだった。
最中は不規則な生活が続いていたが、それも昨日まで。これでシステムが吐き出すデータを睨み続ける生活も終わる。無論、研究は終わっただけでは完成したとは云えない。論文の執筆。この後に控えているまた長い作業を思うと、今から気が削がれる部分もあったが、先のことは先のこと。せめて今日ばかりは解放感に浸りきりたい。
「そうは云っても研究の虫ですからね。どうせまた少しもしない内に新しい研究に手を付けるんでしょ、ご主人様」
「やりたい研究テーマが溜まっていますからね。論文を書きながら、その準備もしなければなりませんね」
朝食を終えたシュウはテーブルから立ち上がった。
食べ終わった食器を食洗器に放り込み、洗面所に入ったついでに回していた洗濯機の様子を窺う。研究にかまけて随分と洗濯物を溜めてしまった。順調に動いている洗濯機が、乾燥を含めて仕事を終えるまではまだまだ時間がかかりそうだ。
思えば人間らしい生活とは無縁の二週間だった。データの異常を告げるアラートに叩き起こされては、地下の研究施設に下りる日々。その都度環境を一から作り直すこと二桁ほど。スマートに研究を成功させているように見えるシュウであっても、実際は果てしないトライアンドエラーの繰り返しだ。
脳内で組み立てた理論の実証は、既存の思考体系からの脱却を意味する。
構築した環境にエラーを吐かれては知識を総動員し、活路を見い出す。滅多に行き詰まりを感じることのないシュウであったが、今回の研究では三日も解消されないエラーに頭を悩まさせられた。その研究が片付いたとあっては、解放感に満たされるのも已む無し。シュウは洗濯機をそのままに、チカをポケットに突っ込んで外に出た。
脇には一冊の分厚い書籍を抱えている。
通い慣れた街の喫茶店にも、もう二週間ほど顔を出していない。そのついでに新入荷の商品を確認し、あればその味を堪能しながら読書に励むことにしよう……
一時間ほど喫茶店で読書に励んだシュウは、自宅で飲む用の茶葉を数種類買い求めてから店を出た。
続けて通りの奥まった場所にある馴染みの古書店へ。シュウが入口を潜ると、待ち構えていたようだ。シュウの好みを把握している店主が、シュウが何かを口にするより先に、店の奥から大量の書籍を持ち出してくる。
きっと、シュウが読むだろうと思って取り置いてくれていたのだろう。シュウはカウンターに積み上げられた書籍を緊急度でより分けて、三分の一ほどを持ち帰ることにした。
一週間は悠々と旅行に出られる代金。キャッシュで支払い、重くなった荷物を手に自宅に戻る。
家の鍵は開いていた。
玄関扉を開けると、吹き抜ける風が草と太陽の匂いを運んできた。嗅ぎ慣れた香りに口元が緩む。マサキさん! と、シュウの上着のポケットから顔を出したチカが威勢よく室内に飛び込んでゆく。
ラ・ギアスの雄大な自然を、自らのパートナーとともに、常に駆け抜けている青年に染みついた匂い。チカを追ってシュウがリビングに入ると、どうやら家の惨状を見兼ねたようだ。ソファに洗濯の終わった衣類を積み上げて、マサキがそれらを畳んでいる最中だった。
「掃除もしておいたからな」
恩を売るように端的に、自身の功績を口にしてきたマサキに、「それは手間をお掛けしました」シュウは笑いかけて、手にしていた荷物をダイニングテーブルの上に置く。
「何か飲みますか」
新しい茶葉を勧めてみれば、そこまで舌が豊かではないマサキは尻込みしてみせたたものだが、折角の機会である。ふたり分のアイスティを用意してシュウはリビングに戻った。
「何かいいことがあったのかよ」
「どうしてそう思うのです」
グラスをテーブルに置き、洗濯物の山を挟んでマサキの隣に腰掛ける。衣類を畳み始めたシュウに、仕事を奪われたような気分になったようだ。お前はやらなくていいぞ。微かに頬を膨らませながらマサキが云う。
「しかしここは私の家ですからね。客人に家事を任せきってしまっては、家主の立場が」
「んなもんはとうにねえよ」
そう云って、あははははと高らかに声を上げて笑ったマサキが、
「どうせ研究が一段落付いたとか、そういう理由だろ」
膝に乗せている衣類から手を離し、シュウの頬へと手を伸ばしてくる。
体温の高い彼の手のひらは、いつでもしっとりと潤っている。けれども、その感触を嫌だとシュウが感じたことは一度もない。
「上機嫌じゃねえか」
どうやら気持ちが表情に出ていたようだ。研究が片付いた翌日に、この家を訪れてきた恋しい人。シュウはマサキの手に自らの手を重ねると、その通りですよ――と、眩く映る彼の姿に目を細めた。