何気なく足を踏み入れた城下の中心部に近い場所にある公園で、まさか姿を見かけるとは思っていなかった人物を目にしたマサキは、その思いがけなさに思わず足を止めてしまっていた。
噴水から少し離れた位置で輪を描くように点在しているベンチのひとつ。顔を伏せていても目に付く男はどうやら、膝の上に本を乗せたまま眠りに落ちてしまっているようだ。自分の立場がわかってんのか、あいつ。マサキは溜息とともにそう吐き出していた。
シュウ=シラカワ。ラングランに災厄を振り撒いた張本人。元大公子であったからこそ、彼の存在はラングランの暗部として、一般には受け止められているようだ。当然ながら、王都に足を踏み入れていることが公になっていい存在ではない。それだのに何を血迷ったか、堂々と顔を白日の下に晒して居眠り中ときたものだ。マサキは迷ったものの、このまま放置をしておいて後々面倒なことになるのも気分が悪いと、仕方なしにシュウの許に足を進めた。
「おい、シュウ。こんなところで寝てんじゃ」
全てを云い終えるより先に、マサキ――と、シュウがその名を口にした。起きているのだろうか? ぴくりとマサキは肩を跳ね上がらせた。
日頃、顔を突き合わせている時には聞いたことのないような声。そう簡単には感情が動かされることがないらしい男は、抑揚に乏しく言葉を紡ぐ。それがどうだ。こんな風に優しい声を放つことも出来るのだ。相手の全てを慈しむような、穏やかで温かい声……それが自らの名を刻んだからこそ、マサキは次の動作をどうすべきか悩まずにいられずに。
どうもシュウ=シラカワという男は、勝手気ままに動き回っているようにみえて、マサキたち魔装機の操者たちに思い含むところがあるようだ。その中でも特にマサキに対しては、地上で長く敵味方として関わってきたからだろう。他の操者たちとはまた違った関わり方を望んでいるようでもある。
暫く、その場に立ち尽くしていた。
鈍感と評されるマサキでも、時には他人の感情を察してしまうことはあるのだ。奇妙な縁で繋がれた男は、どんな夢を見て自分の名前をそんな声で呼んだのだろう。あらゆることに白黒はっきり付けたがる性格のマサキではあったけれども、それは知らない方がいいような気がする。珍しくもそう考えて、黙ってその場を立ち去ろうと決心したその瞬間に、
「ああ――……マサキ。いたのですね」
酷く疲れているようだ。シュウは目を開いても、直ぐにはいつもの調子とはいかない様子で、それでも目の前に立っているマサキの姿が現実であることは認識出来ているようだ。膝の上に置いたままの本を畳むと、僅かに額に手を置いて瞑目し、それからようやく明瞭りと、生気の宿った瞳でマサキを見た。
「お前、あんまり城下に堂々と姿を現わすなよ。それを誤魔化すのにセニアがどれだけ苦労してると思って」
「何とはなしに恋しくなったのですよ、この景色が。ですから、少しだけ読書をしたら立ち去ろうとは思っていたのですが、どうやら思った以上に疲れが溜まっていたようですね。随分と深く眠ってしまった」
云って、本を小脇に立ち上がったシュウに、それならいいけどよ。マサキはそれ以上、そのことについて彼に忠告をしても無駄と、言葉の矛を収める。そして逡巡した。何か夢を見ていたのか――そう尋ねたい気持ちがある。
「大丈夫ですよ。今日はもう戻ります。あなたには迷惑をかけてしまいましたね」
「偶々通りがかっただけだしな。迷惑もへったくれもねえよ。むしろ俺に気を遣うぐらいなら、セニアに気を遣ってやれよ。毎度々々あいつに尻拭いをさせてるんだからよ」
そうですね。そう頷きながらも、上滑りする声。
これは期待は出来なさそうだ。マサキは表情を渋らせた。
シュウの口からセニアについて語る言葉をマサキは聞いたことがなかったものの、それは身内故の甘えでもある。裏ではそれなりに繋がりがあるらしいふたりは、マサキの与り知らぬところで様々に謀略を働かせているようだ。だからこその気のない返事。まあいい。マサキは気を取り直してシュウに向き直った。
「それじゃあ、俺は行くぜ。云ったからにはちゃんと帰れよ」
「わかっていますよ、マサキ」
その瞬間、彼はマサキが見惚れてしまうほどに穏やかに微笑んでみせると、では――と、真白の衣装の裾を風に閃かせながら、マサキが今来たばかりの方向へと去って行った。残されたマサキは微かに胸に残る未練を振り切るようにして、その逆側へと。力を込めて足を踏み出した。
幸せにしてあげて
「貴方は萌えが足りないと感じたら『寝言で相手の名前を呟いてるシュウマサ』をかいてみましょう。幸せにしてあげてください。」