贖罪

「それでは、わたくしどもはこれで」
 簡素な応接セットぐらいしか家具のないこじんまりとした部屋で、この孤児院の一ヶ月の収支や活動状況などの報告を受けていたマサキとテュッティは、施設の責任者である初老の男の話が途切れがちになったのを契機に革張りのソファから立ち上がった。
「見送りは結構ですので」
「畏まりました。他の操者の皆様にも宜しくお伝えください」
 恭しく頭を下げながら部屋の扉を開いた男性に軽く会釈をして、マサキはテュッティに続いて通路に出た。磨き上げられたタイル張りの通路を、黙ってふたりで靴音を響かせながら歩いてゆく。階上から響いてくる賑やかな子供たちの声……親を失った子どもたちは、その悲しみを胸の内に秘めながら、今日も逞しく生きている。
 七階建てのクラシカルな建物は、百年ほど昔にホテルとして利用されていたものだった。資金繰りが悪化した結果、建物ごと国の管理下に入り、その後、孤児院に転用されたのだという。改修が行われたのはホテルの運営に必要な施設が集まっていた一階部分のみ。階上の客室(ゲストルーム)などは、そのまま子どもたちが日常生活を送る空間として利用されていると聞く。
 一階の奥にある来客用の応接室を出たマサキとテュッティは、長い通路を抜けて、かつての従業員出入り口を潜り、ロビーに出た。時刻は昼時。この時間に孤児院に残っているのは、運営スタッフと就学前の子どもたちだけだ。彼らは今は二階にある宴会場(パーティルーム)で昼食を取っている。
 人気のないロビーが賑やかになるのは、もう少し先のこと。それまでには施設を出なければならない。マサキとテュッティは過日の繁盛の跡が残るロビーを出て、猫の額ほどの庭を横目に門を抜けた。
 月に一度、マサキとテュッティがこの孤児院を訪れているのは、魔装機操者たちで出し合った寄付金を届ける為にだ。
 王都が壊滅したのち、二つに割れたラングラン。内乱が終結しても、この国を切り裂いた傷跡は消えず。そこかしこに深く爪痕が残っている。
 溢れ出た数多の戦災孤児たちもそのひとつ。彼らを親なし子にしてしまったのは、この世界の未来を守るべく召喚されたマサキたち地上人なのだ。どうして彼らの存在を無視できよう。
「今回も無事に寄付金を届けられたな。直接、子どもたちの様子を見れないのは残念だが」
「でも、賑やかな声が聞けたのだもの。変わらず問題行動を起こす子もいるとのことだったけれど、引き受け先が決まった子以外はひとりも欠けずに今月も無事過ぎたのよ。今はそれで充分だと思わないとね」
 金ばかりで何もしないのも申し訳ないと、魔装機操者たちで話し合って慰問を申し出たこともあったが、全員ではないにせよ戦災孤児も多い施設。魔装機に快い感情を抱いていない子もいるので控えて欲しいと、孤児院側から返答を受けた。それからマサキとテュッティは寄付金を届ける際にも、なるべく子供たちに顔を見せないで済む時間を選んで訪れるようにしている。
「いつかは顔を見れる日が来るといいんだけどな」
「確認の為にもどんな様子ぐらいかは見たいものだわ。でも、これでいいのかも知れないわね。戦災孤児の全てを私たちで面倒を見きれない以上、一部の子どもたちの前にだけ姿を見せるというのもね」
 迷い悩むテュッティの横顔が自分を納得させるように言葉を吐くのを、マサキは黙って見詰めていた。
 バゴニアとシュテドニアスに両翼から攻め込まれたラングランの被害は全土に及んでいる。それは戦災で親を失った子どももそれだけの規模に及ぶということだ。テュッティの云う通り、マサキたちではその全ての面倒を見きれない。そうである以上、姿を見せずに寄付を行い続けるのも、優しさのひとつの表し方であるのだろう。
「ところで、この後はどうする。軽く食べてから帰るか」
 奥まった位置にある孤児院の前の細い道を抜けて大通りへ。内乱集結後、急ピッチで進んだ再建作業は、その傷跡を殆ど感じさせないまでに城下町を復興させていた。王都壊滅以前の賑わいを取り戻しつつある大通りに軒を連ねる飲食店。昼時とあって、どの店からも美味しそうな匂いが流れ出てきている。
 それを横目にマサキが口を開いた瞬間だった。
 人いきれの中に見知った姿を認めたのだ。
 シュウ=シラカワ。日向の道を歩めもしないまでにこの国を混乱に陥れた張本人は、マサキたちの存在に気付いていない様子で、数メートル横を通り過ぎて行った。
 月面で確かにこの手で命を奪った筈の男は、内乱の最中、再びラングランに姿を現した。そして第二王位継承権を有していたモニカ=グラニア=ビルセイアを連れ出すと、いずこかへと姿を消した。それからマサキはシュウの姿を見ていない。
 それがまさか、こんなところで。
 辺りを憚る様子も見せずに人波を抜けてゆく後ろ姿。丈の長い白い衣の裾がひらめいている。「そうね……」気付いていないらしい。マサキはテュッティの言葉を最後まで聞かずに、「悪いな、テュッティ。ちょっと用事が出来た」踵を返してシュウを追った。
 五メートル……十メートル……気取られないように距離を保って後を付ける。やがて先ほどマサキたちが抜けてきた道へと、シュウが踏み込んでゆくのが目に入る。どういうことだ……? この道の先にある目ぼしい施設は孤児院しかない。マサキは訝しく感じながらも、更にシュウを追った。
 見間違えようもない。
 白い人影が孤児院の門を潜り、建物の中へと姿を消す。
 見てしまったものの意味が考えられずに、マサキはその場に呆然と立ち尽くしていた。いや、まさか……そんな筈はない……そうして暫く。混乱の収まったマサキは自らに喝を入れるように拳を握った。この国を混乱に陥れた張本人が、今更慈善家を気取るなどあってはならないことだ。きっと、そう、シュウには他の目的があるに違いない。
 色を失うまでに握り締めた拳に痺れが走る。
 ゆっくりと指先を開いたマサキは、たどたどしく歩を進めると門前に陣取った。食事を終えて庭で遊ぶ子どもたちを眺めながら、気に食わない男の姿が再び現れるのを待つ。いずれの意味にせよ自分は知ってはならないことを知ろうとしている。そんな気がしてならなかった。
 果てしないほどに長い時間、けれども実際にはきっと三十分ほどの時間であったのだろう。待つのに疲れを感じ始めたマサキの目の前に姿を現した男は、いつものように皮相的(シニカル)な笑みを浮かべるでもなく、ひっそりと溜息を洩らすと愁いを帯びた表情を露わにしてみせた。
「私としたことが迂闊でしたね。あなたの存在に気付かなかったとは」
「お前、ここに何の用で足を向けやがった」
「それを知ってどうするつもりです、マサキ」
「ここの子どもたちをお前に利用される訳にはいかねえんだよ。わかってるだろ。ここは孤児院だ。両親を失った子どもたちに、これ以上の苦しみを与えてなるもんか」
 再び、シュウの口元から溜息が洩れた。物憂げな表情で、次に吐くべき言葉を探している。何故だろう。それがマサキには、シュウが何かに非常に気まずさを感じているような態度に思えたのだ。
「信じろというのは難しいでしょうが、私はここの子どもたちを自らの欲の為に利用しようとは考えていませんよ。そこまで外道になりきれるほど、私は世の中に絶望してはいない。この答えでは不満ですか、マサキ」
「相変わらず人を煙に巻くような物云いをしやがる。それでお前を信じろって? 無茶を云うんじゃねえよ」
「私はあなた方のように高潔な魂を持ってはいないのですよ、マサキ。何も知らなかったあの頃に戻れるのであれば、胸を張って大丈夫だと云えるのですがね。残念ながら時間は巻き戻せない」
 その言葉は何を意味していたのだろう。マサキには理解が及ばなかった。ただシュウが何かを酷く後悔しているらしいことぐらいしか……それが何であるのかマサキには見当も付かない。ゼオルートの死、王都の壊滅、ヴォルクルス信仰。どれひとつ取っても、後悔するには規模の過ぎるものばかりだ。
 少しの間があった。さあ、とシュウが通りの先、人行き交う大通りを指差す。言葉の途切れたマサキに、あなたの往くべき道はそちらだと示すように。
「行ってください、マサキ。私にも国際指名手配犯である自覚はあるのですよ。城下町で魔装機神の操者たるあなたとこうしてふたりでいる姿を見られていい立場ではないことぐらい理解しています」
 マサキは悩んだ。ここでその一歩を踏み出していいものなのか。
 きっと恐らくシュウは自身で云った通り、孤児院の子どもたちに害を成すつもりはないのだろう。その気があったらマサキとこうして具にもつかない話を続けるより先に姿を消している。マサキの知っているシュウ=シラカワという男はそういう男だ。やると決めたことは誰にも何も云わずに成す。
 マサキは舌を鳴らした。そして身体を大通りに向ける。「今日のところは勘弁してやる。けどな、シュウ。わかってるだろうな」振り返って、今一度。シュウに向けて言葉を放とうとしたときには、彼は既に逆方向に姿を消そうとしていた――……。