「お前、ちゃんと飲んでるか?」
床の上に乱雑に重ねたクッションの中に埋もれるようにして座っているシュウの膝の上、マサキはグラスに注がれたエール酒を飲んでいた。
「飲んでいますよ」
「嘘吐け。俺がこの一杯を注いでから、ひと口も酒を口にしてねえだろ」
どうやら希少なワインを入手したらしかった。飲みませんかと誘ってきたシュウに、偶にはいいかと応じはしたものの、マサキはシュウほどに酒に強くない。シュウとしては折角のワインを自分が独り占めするような真似は避けたかったらしく、せめて半分とマサキに勧めてきたが、なら一杯だけと付き合ったワインのフルーティな味わいに、これ以上はいい――と、過去の酒の席で彼に幾度も醜態を晒しているマサキは断るしかなく。
調子に乗って飲もうものなら、簡単に正体を失ってしまえる軽さ。酒と云うよりジュースに近い喉ごしに危険を感じたマサキは、だからこそエール酒に逃げ込んだ。
鉄の肝臓を誇るシュウの酒に付き合い続けるのに、安価で飲み易いエール酒は最適だ。何せ、酒の数にも入らないアルコール度数を誇る。これなら、シュウのペースに巻き込まれても酷く酔うことはない。
「大体、人を酒に誘っておきながら、お前が先に飲み終わるってどういう了見だよ。持ってこいよ、新しいボトル」
その言葉に返事はない。
既にワインボトルを空にしたシュウは、珍しくも酔ってしまっているらしかった。深い色味。濃紫の瞳が、下がり気味の瞼の下で揺らめいている。それでもまだ、自分を取り繕うだけの余裕はあるようだ。しどけなく微笑む彼の王侯貴族のような佇まいに溜息を吐きながら、マサキはテーブルの上に手を伸ばした。
皿の上に無造作に並べられているチーズを取り上げる。
隣には木製の小さなボウルに盛られたナッツ。酒の合間にそれらを少しずつ齧りながら飲み続けること四杯目。そろそろトイレに行くのも億劫になり始める頃合いとなったマサキは、自らの身体を抱えている手を動かすことがなくなったシュウに、この一杯を飲み終えたらお開きにしようと告げた。
「御冗談を。夜はまだ始まったばかりだというのに」
「なら、飲め」マサキはエール酒が残っているグラスをシュウに押し付けた。
「飲ませてはくれないの?」
「云ってろ」
グラスを手にしたシュウの頬を指先でつつく。酔いが明らかとなっても、余裕ありげな表情。早く飲めよ。睨み付けながらそう急かせば、飲まねば話が先に進まぬと思ったようだ。グラスの中身を一気に煽ったシュウが、「次はあなたの番ですよ」と、マサキの手にグラスを握らせてくる。
「まだ飲めって?」
「私が飲めば飲むのでしょう」
「ボトル持ってこいって云ってるのによ、この男は」
マサキはグラスにエール酒を注いだ。瓶を開けてから大分時間が経ったからか、そろそろ泡が少なくなり始めている。爽やかさの減った味わい。ひと口飲んだマサキは顔を顰めて、美味くない。そう吐き出した。
「なら、新しいボトルを持ってきましょう。あなたも付き合ってくれますよね、マサキ」
「ワインじゃなくてエール酒がいいんだがなあ」
ようやくマサキから手を離して立ったシュウに一縷の望みを託して伝えてみるも、彼としては同じ酒を楽しみたいようだ。他にもいいワインがあるのですよ。などと口にしながら、戸棚の中に並んでいるワインボトルに手を伸ばす。
「仕方ねえなあ。一杯だけだぞ」
「これならアルコール度数もそこまでではありませんし、あなたでも気持ち良く飲めると思いますよ」
「お前、人の話を聞いてるか」
早速と新しいワインボトルを開栓したシュウは、どうあってもマサキに付き合わせる気でいるのだろう。用意した新しいグラスに並々とワインを注いでくる。
マサキはグラスに鼻を近付けた。アルコールの匂いに混じって甘い葡萄の香りが鼻腔に潜り込んでくる。大丈夫なんだろうな。再びクッションに埋もれて、自分の分のグラスにワインを注いでいるシュウに尋ねてみれば、どうぞと差し出されるボトル。マサキはアルコール度数を確認した。8パーセント。確かにこの度数であれば、そこまで量の心配をしないで済みそうだ。
「では、改めて。乾杯、マサキ」
グラスを合わせてきたシュウが水を飲むようにワインを煽る。酒に強い彼にとって、このぐらいのアルコール度数は数の内にも入らないのだろう。マサキは恐る恐るグラスに口を付けた。甘い。フルーティだった先程のワインと比べると、よりジュースに近付くなったような味がする。
「酔っても何も出ないからな」
「わかっていますよ」
「なら、飲む。変なことするなよ」
それにシュウは答えない。ただ穏やかに微笑んでいる彼に、まあ、こんだけ酔ってりゃ変な気も起きねえだろ――と、マサキは新たなワインを注いでやりながら、自分もまたワインを飲んだ。
それが良くなかった。
「お前がふたりに見える」
云いながらシュウの両頬を抓む。どうやら見えている場所からは指二本分ほどずれているようだ。
「なら、単純計算で二倍ほどあなたを可愛がってあげられますね」
「俺の身体はひとつしかないぞ」
二重にぶれているシュウの真ん中で頬を抓んでいる自分の指。マサキは両手を上下に動かした。肉の少ない頬はあまり動きはしなかったし、マサキ自身、何を自分がしたいのか良くわかっていなかったが、酔ってスキンシップに飢えているらしいシュウにとっては喜ばしい出来事であるようだ。可愛いことをしてくれる。などと口にしながら、マサキの身体を引き寄せてくる。
「可愛い云うな。俺は男だぞ」
間近になったシュウの顔に、ようやく焦点が合った。と、薄く形のいい口唇がマサキの頬に触れる。啄むように二度、三度と口付けてきた彼は、そこから今度はこめかみへと口唇を動かし、またも二度、三度……そして、更には額へと。ひんやりとした温もりを伝えてくる。
「男にとって好きな人は可愛いものですよ、マサキ」
「俺も男なんだがな」
「なら、あなたは私をどう感じているの?」
「そりゃ……」
口にしかけたものの、続きを口にするのが躊躇われる。マサキは口ごもった。
時々、そう時々、マサキの目にはシュウの容姿が酷く逞しく映った。そして同時に、酷く美しく、酷く妖しく、そして酷く格好良くも映った。だが、それを素直にシュウに伝えられるほど、マサキの根は純粋には出来ていない。
意地っ張りなのだ。
そもそもマサキは好意でさえも素直には伝えられない人間だ。照れや気恥ずかしさがどうしても先に立つ。それが、決して気が合うとは云えなかった男とこうしてふたりきりの時間を過ごすに至っている。想いは口にしなければ伝わらないとわかっていたし、だからこそ伝えるべきであるとマサキ自身理解はしている。だが、それでも恥ずかしいものは恥ずかしい。
「可愛いとは思わねえだろ。このでかい図体を」
だからマサキは逃げてしまう。本音とは裏腹な言葉に。
けれどもシュウは気を悪くする素振りも見せず、そういったマサキでさえも愛おしいといった様子で目を細めてみせるのだ。
「あなたもそこまで小さくはありませんけれどもね」
でも、とマサキの手を取ったシュウがその手に指を絡めてきながら、耳元に囁きかけてくる。
――そんなあなたが可愛くて仕方がない。
マサキはゆっくりと目を伏せた。自分なりの格好良さを追求しているマサキからすれば、可愛いと云われるのは本意ではない。それでも、シュウに可愛がられているのは嫌ではない。続けて顔に降るような口付けを浴びせてきたシュウに、マサキは全身が溶けてゆきそうな感覚に囚われながら、黙って身を委ねていった。
リクエスト
「シュウさんが酔ってるか、寝ぼけてるかして、マサキの頬をもちもち揉んだり、髪をスンスン吸ったり、顔中にチュッチュッとバードキスをしたり…。とにかく意識がぼーっとしてるシュウさんがマサキを“可愛い可愛い”と愛でる」