魔法をひとつ

 乾燥パスタとレトルトのパスタソース。冷蔵庫の中の有り合わせの野菜。それらでボロネーゼとグリーンサラダを作ったマサキは、シュウを呼んでダイニングキッチンで食事にすることにした。
 シュウはいたく満足気だった。
 普段、経口栄養補助剤サプリメントで食事を済ませているからだろう。大した手間のかかっていない食事を有難がるシュウに尋ねてみれば、まともな食事を口に入れるのは三日ぶりだったようだ。彼のあまりのずぼらさに、マサキとしては呆れ返らずにいられなかったが、それならば彼が機嫌を良くするのにも納得がゆく。そう思いながら、マサキはシュウとゆったりと会話と食事を味わった。
「何か飲むか」
「アイスティーで結構ですよ」
 和やかに過ぎた食事の終わり。再びリビングへと戻って行ったシュウに、マサキは早速と冷蔵庫から化粧箱を取り出した。
 アイスティーとアイスコーヒー。飲み物の準備をしながら蓋を開けてみれば、中には様々な形や飾りのついた一口サイズのチョコレートが並んでいる。こういうのって高いんだよな。形が全て異なるチョコレートにマサキはひとり呟き、さてどう提供しようと宙を仰いだ。
 蓋を開けるまでは適当に分けて皿に盛るつもりだったが、こういった中身であれば勝手に選ぶのも気が引ける。マサキは先ず飲み物をリビングのテーブルに届け、そして化粧箱を片手にソファに戻った。
「どれを食うよ?」
 蓋を開けてシュウに差し出せば、彼はちらと箱の中身に目を落とすなり、「ощущение」と、咒文と思しき言葉を放った。何をするつもりなのか。マサキが身構えた刹那、化粧箱の中にある幾つかのチョコレートが淡い光に包まれる。
「どういうことだよ」
「感知魔法をかけたのですよ。彼女らの手を介した食べ物に油断は禁物ですからね」
「魔法がかかってるのか、これ」
「恋のまじないも念がこもれば立派な魔法ですよ。特にモニカの魔力は膨大なものですから、願いがそのまま魔法になるといったことも日常茶飯事でして」
 シュウの種明かしを聞いたマサキは眉を顰めた。シュウの云うことが確かであるのならば、モニカは日常的に意識せず魔術を発動させてしまっているということだ。
「流石は元王位継承権保持者だけはあるな。伊達に魔力に恵まれてないってことか」
「彼女の場合は知識があり過ぎるのも問題ですね。新しい法則を自ら編み出しもしてしまう」
「大した姫さんだな。お前の従妹だけはある」
 しかし、それにしても物騒な話である。振り向かないなら振り向かせてしまえとは、逞しい彼女ららしい行動原理ではあるが、シュウの意思を無視して魔術に頼るところまで思い詰められているとなると。
 マサキは我が身を案じた。シュウに乞われるがままここに足を運んでしまっているが、呑気にそうしている場合ではないのかも知れない。
「……まさかな」
 恐ろしい想像が脳裏を過ぎる。マサキはもしや――と、言葉を継いだ。
「もしかして、お前があいつらにこの家に立ち入らせないのって」
「家事をさせろと云う彼女らを迂闊にこの家に入れたが最後。よくぞそれだけ持ち込んだというぐらいに、彼女らはあちらこちらに『おまじない』の触媒を隠してゆくのですよ。お陰で、彼女らが立ち入った後は大掃除が欠かせない。とはいえ、早い内に見付け出さないと、私自身に難が起こりますしね」
「あー……そっか。知らないこととはいえ、煩く云っちまってたな。済まなかった」
 不摂生な生活を送るぐらいであるのなら、彼女らの力を借りればいいものを――と、常々思っていたマサキは、それを実際にシュウに云ってしまったことがあった。しかも一度ではない。幾度もだ。
 特異な状況に置かれているシュウとしては、ほじくり返されたくない話題であっただろうに。
 だからこそ、自身の言動を悔いたマサキが謝罪を口にすれば、シュウはシュウでマサキに詫びねばならないことがあるらしかった。マサキに向き直ると、真っ直ぐに視線を重ねてくる。
「謝罪をするのは私の方ですよ、マサキ。あなたには先に理由を話しておくべきでしたからね」
「いや、そうは云っても、実際この目で見ないとな。俺はラ・ギアスの常識に疎いところもあるし」
「そうではないのですよ。触媒の中にはあなたを標的にしたものも多くありました。しかも、私に対しての魔術とは異なり、結構な悪戯になるものも多く」
「……あいつら、今度会ったら全力でぶっ潰す」
 そこでマサキはようやく合点がいった。
 毎度、言葉を濁して逃げ回るシュウに感じていた違和感。明瞭はっきりと言葉を紡ぐ彼にしては妙な事もあるとは思っていたが、その原因がサフィーネとモニカのまじないにあったとは。しかも標的にはマサキも含まれているときたものだ。それではシュウとしても、あまり積極的に口にしたくない筈である。
「このチョコレートはどうするかね」
「魔術がかかっているものは処分するしかありませんね。彼女らのことだ。イモリの黒焼きぐらいは混入させていることでしょう」
「お前、本当にあいつらに苦労させられてるんだな……」
 未だ淡い光を放っているチョコレート。1個、2個、3個……数えてみれば6個。微妙に見付け出し難い数を混入している辺り、彼女らの本気度が窺える。
 一体、彼女らはどういった魔術を施したのか。マサキとしては中身が気になりもしたが、色が色だけに割って中身を開けてみたとしてもわからないことだろう。マサキは6個のチョコレートを引っ繰り返した上蓋の中へと避けていった。よくよく注視してみれば、後から混入されただけあって確かに歪な形をしている。
「まあ、自分の家のことぐらい自分でやれってことだな。今度からもう少しマメに家事をやるんだな。俺だってそんなに回数を来れる訳じゃないんだからよ」
 上蓋を運び、キッチンのゴミ箱に6個のチョコレートを放り込む。これで間違って口に入ることもない。安堵したマサキはリビングにいるシュウを振り返った。
「あなたがここに住めば、全て解決するのですがね」
 彼は意地でも積極的に家事をこなすつもりはないようだ。しらと云ってのけたシュウに、マサキはぽかんを口を開いた。どうすればこの男が積極的に家事をこなすようになったものか――彼に対する先の長い躾を思ったマサキは、深く長い溜息を洩らして、キッチンカウンターに凭れ込んだ。