あー、もしもし? ……何だよ、お前か……何の用だよ。俺、寝てたんだぞ……はあ? 今から出て来いって、まだ朝早いだろ。寝かせろよ。後で幾らでも付き合ってやっから……え? 何、云ってんだよ。十分で着替えて髪セットして歯磨いて出て来い? お前なぁ。自分が出来ないことをどうして俺にやらせようとするんだよ。自分の支度にどれだけ時間がかかってるかわかってるのか? 短くても三十分はかかってるだろ。無理だって、無理。せめて二十分……お前なあ。十分、十分って、しつこいぞ。こうして話をしてる間にも時間が過ぎてるってのに……まだ云うか。何度も云わせんなよ。直ぐにそっちに行くのは無理……は? そこまで出てきてる? 何しに? 朝靄が綺麗だからぁ? お前、本当に馬鹿じゃねえの。朝靄ぐらい珍しいもんじゃねえだろ。それをわざわざ一緒に見ることに何の意味が……え? 二重の虹も出てるって? 本当だろうな。嘘だったらただじゃおかねえぞ。わかった。五分で行くから、虹が引っ込まないようにしとけよ。ええ? どうやるかって? 知るか。でも、お前なら出来るだろ。頼んだぞ。じゃ、直ぐ行くから……。
※ ※ ※
「マサキさんも無茶云いますね。幾らご主人様でも自然現象をどうにかするなんて無理なのに」
彼誰時の平原を覆う朝靄。白んだゼオルートの館を眺めるシュウの肩でチカが呆れ顔になった。
「研究だけは進めているのですがね」
屋根に架かる二重の虹は溜息が出るほどに美しい。そろそろ光を帯び始めた太陽が、うっすらと辺りを照らし出す。まるで幽明境に足を踏み入れたような気分だ。シュウはチカとともにマサキの訪れを待った。
「止めてくださいよ。ご主人様が云うと、その内、本当に出来るようになりそうで怖いんですから」
「出来るようになる為の研究だというのに、おかしなことを云いますね」
シュウはクックと声を潜めて嗤った。
足元を濡らす露。脛を覆う青草が、風に吹かれて揺れている。
「その研究、何かの役に立つんですか?」
「さあ、どうでしょうね」
「役に立たない研究をするなんてご主人様らしくない」
「景色を留めておけたら面白いでしょう。それに、今日みたいな日には役に立つ」
「大丈夫ですか、ご主人様。何だかトチ狂った台詞に聞こえますけど」
シュウはそれには答えなかった。
朝靄の奥に映る影。どうやら滅多に見られない景色に気持ちを急き立てられたようだ。十分も経たぬ内にゼオルートの館の門を開いて姿を現わしたマサキに、シュウの口元がつい緩む。あー、やだやだ。そのシュウの顔を覗き込んでチカが顔を顰める。
「ホント、幸せそうな顔をしちゃって」
徐々に近付いてくるマサキに、シュウは軽く片手を上げた。
どこだよ。息せ切って駆けてきたマサキに、ゼオルートの館を指差す。来た道を振り返ったマサキの顔が緩む。シュウはその肩にそっと手を回して、彼とふたり。朝靄をまたぐ二重の虹を見上げた。